ツァンカパからミラレパまで『謎多きチベット仏教とは一体何なのか?』

チベット仏教と聞いて一体何を思い浮かべるだろうか?

 

と聞かれても中々ピンとくるひとがいないのでは無いだろうか?

チベットのダライラマやツァンカパを知っている人はいても『その宗教は何ぞや』という所。

ボクは宗教の専門家ではないが知っている限りの情報を分かりやすくまとめてみた。

 

チベット仏教とは?】

一般にチベット仏教とはラマ教なんていい方をされることもある。

 

ラマ教の『ラ』とは目上の事。『マ』を人の事をいい、

その2つを合わせ『ラマ』つまり目上の人、師を意味している。

 

この事からもわかるようにチベット仏教とはラマ=師を重視した仏教で、より良い教えを求めるため師を探しに旅に出る僧侶もいる。

 

このチベット仏教とは日本の大乗仏教の一つ『真言宗』のチベット版と言ってもいいだろう。

 

 

真言宗(密教)は空海が持ち込んだ両界曼荼羅図を用い、真言を唱えるという点でもチベット仏教とよく似ている。

 

 

因みに密教とは『悟り』をえるため速やかに達成可能な実践的修行を説いた教えで、その教えをまとめた聖典をタントラという。

チベット仏教には四つの宗派があるが簡単に説明すると最も古い宗派がパトマサンヴァパ(グル・リンポチェ)によって開かれたニンマ派

 

 

密教色が強くチベットに始めて活仏制度を導入したカギュ派

 

 

チベットのサキャという地にクン一族がサキャ寺を建てた事からスタートしたサキャ派

 

 

因みにサキャ派は他の宗派と違い活仏制度をとっておらず世襲制である。

 

ツァンカパ(密教と顕教(開かれた仏陀の教え)によって開かれたゲルク派はチベット最大の宗派であり、転生活仏ダライ・ラマ制度を導入した事により大躍進した。

因みにチベットには上記四つの宗派の他にボン教というチベット民族固有の宗教があるが、簡単に言えば地母神を祀り、呪術や祈祷を行うシャーマ二ズムを取り入れられた宗教だ。

ただ、現在のボン教は教義を整え、仏教と余り変わりないものとなっている。

 

【チベット仏教の歴史】

そもそもチベットに仏教がもたらされたのは遥か昔チベットの王様ソンツェン・ガムポの時代。

彼の妃となる唐(現在の中国)の皇女文成公主とネパールの王女ティツンによって仏教がもたらされた。

 

 

その後しばらくたち8世紀になると本格的にチベットに仏教がひろまっていった。

 

 

それはこの時の王様ティソン・デツェンが熱心な仏教徒だったからだ。

 

 

また王様はインドの高僧シャーンタラクシタを招いてサムイェ寺の建設を行ったが土着の神々により工事は何度も妨害された。

 

 

その為インドのパトマサンヴァパを呼び寄せ地鎮祭を行い神々を沈めさせた。

そしてお寺は完成し、パトマサンヴァパがチベットを去るさい密教の教えが書かれた『テルマ』と呼ばれる経典をチベット各地に埋蔵し、彼は虚空の中に消えていったのだ。

因みにパトマサンヴァパ縁の聖地はチベットやネパール、ブータン等、チベット文化圏の国々に数多く存在し、ネパール・カトマンズ郊外のファルピンにはパトマサンヴァパが瞑想したと伝わる洞窟がある。

チベット仏教の始祖グル・リンポチェが瞑想した洞窟があるファルピンに行ってみた!

そのパトマサンヴァパの『テルマ』を掘り起こした人達によって布教された宗派の事を『ニンマ派(古派)』と呼ばれチベット仏教の代表的な宗派となったのだ。

 

 

時は流れ11世紀。

 

 

西チベットの王様は仏教復興を目指していた。

 

 

彼はカシミールに優秀な若者達を留学させ、彼らの中の一人リンチェン・サンポは聖典『秘密集会タントラ』と『初会金剛頂経』を持ち帰った。

 

 

これらはチベット仏教を学ぶ上で重要なものとなる。

 

 

そして11世紀後半になるまでにチベット仏教のカギュ派とサキャ派が誕生。

 

因みにインド密教行者ティロパ開祖のカギュ派にはナロパ(ティロパの弟子)から教えを伝授されたマルパの弟子に有名な詩人ミラレパがいるが、彼の生涯は後世に語り継がれる程、波乱に満ちたものだった。

チベットの大ヨーガ行者ミラレパの波乱に満ちた生涯とは?

この頃インドではヒンドゥー教勢力の進撃により仏教が衰退し始め、イスラム教勢力の侵略により、もうヤバイと思った仏教勢力はチベットにいきインド仏教とチベット仏教の融合を図った。

その為、チベット仏教の神々の画像を見るとヒンドゥー教の破壊神シヴァからイメージを取ったチャクラサンヴァラやヒンドゥー教の神々が数多く登場する。

 

この頃チベットに危機が訪れる。

 

 

軍事大国モンゴルがチベットに侵略を開始したのだ。

 

 

チベット代表者サキャ・パンディタはモンゴルに行きモンゴルの王子と謁見し、仏教徒に帰依させチベットを侵略から守ることが出来た。

 

 

それだけではない。

 

 

モンゴルにもチベット仏教を広める役割も作ってくれたのだ。

 

 

【活仏制度】

活仏制度とは、つまり活仏は菩薩の化身で転生を繰り返して人々を救済し続ける存在の事で、チベットではこの活仏制度(ダライラマ制)を成功させたゲルク派が宗教的にも政治的にも主導権をとり掌握した。

また、活仏は一般的にリンポチェと評される事があるが、高僧だけではなくカイラス山(カン・リンポチェ)といった聖地に使われる事もある。

チベットの高僧『リンポチェ』輪廻から解脱した生き仏の真実

 

ダライラマ五世の時代。

 

 

五世はダライラマ=菩薩の化身を確固たるものにすべくポタラ宮を建設。

 

 

ポタラ宮は五世死後完成したがその後のダライラマ達も権力を手中におさめ中国による侵略までダライラマ政権は続いた。

中国による侵略でダライラマはインドに亡命しチベット難民が世界中に散らばったが、様々な国や地域にチベット仏教が根付くことになった。

 

 

チベット仏教の歴史は長い長い波乱続きのチベットの歴史の中の文化の一つだが歴史と宗教が切っても切り離せないくらい重要な事だろう。

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