お寺を旅する画家とは!?

タシデレ!!(チベット語でこんにちは)

 

ぼくはお寺を旅する画家の宮下拓実。

 

漫画風にアレンジしたヒンズー教や仏教の絵を描いている。そしてぼくの絵に影響を与える仏教画の根源を探しにチベット文化圏を中心にアジアを旅しお寺を盛り上げる為に何をすべきか?を考え活動している。

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だけど以前は仏教画ではなく漫画家を目指し、夢を叶えるため生きてきた。

 

ぼくに一体なにが起こったのだろう?

 

幼少期までさかのぼり検証しようと思う。

 

【子供時代】

ぼくは昔から何か妄想にふけり、それを絵にする事が好きだった。当時は漫画家になりたいといった夢もなく、ただ頭の中で思いついた“怪しい絵”を描くだけの物静かな少年だった。

回りからみれば机に向かって絵を描く静かな少年みたいに思われていたのだろうか?

でも時には友達と外で遊んだりしたが基本は絵中心みたいな生活を送る子供だったのだ。

 

【中学時代】

中学に上がるとぼくは美術部に入り大好きな絵を描いていたが頭の中で想像したものを今度は漫画にしてみたいと思ったことがきっかけで漫画家を目指すようになる。

といっても漫画を描くのは初めてでクオリティーの高いものではなかったが

ともかく物語を作って友達に見せるのが楽しくて黙々と『ちっぽけアキの大冒険』とか言う漫画を描いていた事を覚えている。

 

その後ぼくはテレビで日本アニメ・マンガ専門学校の存在を知り、ここに行けば漫画家になれる!

と思ったぼくはいつか入学したいと思うようになった。

 

【職業訓練学校時代】

高校に行かなかったぼくは担任の進めで、とある職業訓練学校に入学する。だけど、そこでの授業内容がイヤで遂に逃げ出してしまい、次第に精神を病み自殺未遂を繰り返してしまう暗黒時代であった。

 

そして、その時の影響か吃音症になってしまった。

 

どうして、そこまでなってしまったかというと当時の職業訓練校の担任と指導部の教師がぼくが登校拒否をすると(その後、親に学校に連れ戻される)

彼らは指導室のような所にボクを連れ何時間も時には一日中

ぼくがいかに愚かで人間的にダメなのかと言うのを繰り返したのだ。

 

お前は家族に不必要な人間だ!お前のような奴の事を不貞の輩というんだ!お前の言うマンガ専門学校なんて新潟に無い!(確認もしないで何を言う)等々・・

 

ぼくの人格を無視し彼らに口答えしようとすると怒られる。

 

意見する=怒られる

 

という形はぼくの中に強烈な自己暗示のようなものとなり卒業後

知らない人は勿論、友人家族と喋るときどもるようになったのだ。

何故なら他人と話をするというのは自分の中で感じた事を相手に伝えるという事なのだから・・。

因みにこの学校とは別の場所にある同じグループ学校ともいう場所で先生に虐められて生徒が自殺したというニュースを聞いた事があったが体質は変わってないと思った。

 

【ロシア人と1年間一緒に暮らす】

漫画の専門学校の存在を知ったぼくは入学するため資金を集めることにした。初めてのバイト先で住み込みでバイトをしたけど部屋を借りるにあたり条件があった。

 

‥それはロシア人と一緒に暮らすこと。

 

そして愉快なロシア人達との生活が始まった。

 

しかし彼らとの生活をしていく中、ある一人のロシア人にお金を取られてしまうという事件が発生してしまう。

 

その時一体ぼくに何があったのか?

 

実は、とあるロシア人と一緒に酒(ウォッカをストレートで!)を飲み

ぼくは三杯を過ぎた後くらいには記憶が失くなり気が付けばベッドの片隅でゲボを履いて倒れていた。

 

翌日、給料袋を見るとお金が減っている・・。

 

何でも一緒に住んでいた別のロシア人の話によると酒に酔っていたぼくが件のロシア人にお金を渡したんだそうだ。

 

そのロシア人は失踪(後日発見され強制送還)、お金が無くなる。

 

ロシア人達との生活は楽しかったけど同時に難しいと思った時だった。

 

【専門学校時代】

学費約300万を貯めたぼくは日本マンガ・アニメ専門学校に入学する。漫画家になるためのスキルを習得するために必死であったが、専門学校で出会ったのは『絵』だった。

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絵の授業で先生に見初められ、個展に誘われた。何かのチャンスだと思ったぼくはその誘いを引き受け、翌年開催予定の個展に向け絵を描くようになるが‥。

本格的な絵は初めてだったぼくは画材の使い方に悪戦苦闘。

本やゲームの背景に使われている色合いをみたり色々と試行錯誤して何とか個展を開催。

 

【仏教美術を求めアジア諸国を旅をする】

初の個展は絵の値段も安かった事もあり(画廊が値段をつけてくれた)盛況だった。そして個展での売上金やバイトで貯めたお金でネパールへ初一人旅をする。

 

「とんでもない所に来てしまった!!」

 

 

ネパール最初の印象である。

 

しかし初ネパールはカルチャーショックの連続ばかりで(悪徳ネパール人に会いすぎて)ゲストハウスに引き篭もり続ける結果に。

 

だがネパールの美しい宗教彫刻やチベットの壁画はボクのアーティスト脳に大きな刺激を与え、帰国後ある決意をする。

日本に戻ると絵のテーマを悪魔や天使から仏教の神々へ変え、仏教美術を求めアジア各国へ旅立つようになる。

 

カンボジアでは世界中を旅するサラリーマン高木さんと出会い、韓国の海印寺でも仏教美術の数々を見た。

 

初ヨーロッパのドイツではハイデルベルクやフランクフルトで様々な美術館を巡り、迫力ある西洋美術を見る事に。

 

 

しかし旅をしていく中、いつしか漫画と絵が両立出来なくなり二つの道を求められた。

 

 

そしてぼくは10年間目指した漫画家への道を捨て仏画を描いていく道を選ぶ事になる‥。

 

【ネパールで3か月タンカ修業の旅に出る】

 

全てはインドから始まった…

 

ある旅行サイトでラダックの事を知ったぼくは行ってみたいという思いにかられ3月の冬の時期にインド行きの飛行機に搭乗した。

 

ラダック行きはの便は一度欠航したが二度目は何とか乗る事ができてレーの空港に降りた先でみたものは広大な山々が広がる別世界だった。

 

あまりの美しさに心臓はバクバク・・

 

その後レーの旧市街にあるゲストハウスに泊まったボクはラダックにあるお寺を巡礼するのだが

お寺で見るチベット芸術・文化に感銘を受けた。

例えばラダックに残される西チベットの美しい壁画の数々やチャムと呼ばれる仮面舞踏・・

余りの衝撃に、ぼくはチベット文化の真髄を探しにネパールでタンカ(チベット仏教画)を学ぶ事を決意する。

半年後ぼくは修行先のツテもなくネパールでタンカ絵師を探す事になるのだが、簡単には見付からなかった。

タンカスクールは結構あるけれど、どこも高額だったという事もあり個人に習いたいという思いがあった。

探す内にボダナートに流れ着き、とあるネパール人の紹介で修行先となるタンカ屋で教えて頂ける事になった。

そのタンカ屋は一階がタンカを売っていて二階がタンカを量産しているスペースになっていて、影で活躍している若いタンカ絵師達(10人位)に混じって3ヶ月間教えてもらった。

そう簡単に覚える事は出来なかったが、今まで誰かに本格的に絵を教えてもらう機会がなかったボクにとっては貴重な経験であり

チベット仏教の聖地であるボダナートに長期間いる事だけでも幸せな時であった。

 

ゆっくり時間が過ぎる毎日・・

 

毎日フルタイムで働いていた時と比べると、やっぱりネパールでのスローライフは合っていると思った!

そんな満ち足りていた日々はあっという間に過ぎ去りネパールでの生活は終わりになった。

師匠であるマイラさんや紹介してくれたネパール人、毎日欠かさず通っていたネパール・チベット料理屋の人達と別れを告げ日本に帰国。

その後、絵を描いてみて思ったのは帰国後の絵のレベルが上がっていたという事にビックリした事だった。

絵というのは一度誰かに教えて貰う方が技術的に上がるという事を思い知った出来事でもあった。

【チベット民族衣装店開業する】

ネパールでタンカを学んでから半年が過ぎた時、突如日本では中々見る事が出来ないチベット民族衣装の買い付けの為、もう一度ネパールに旅をする事になる。

どうしてこんな事をしようと思ったかというとネパールでの修行中本格的に将来に悩み過ぎてしまい

 

どうしたら会社に行かないで生活出来るのか?

どうしたら仕事で海外にいけるのか?

 

という事を思い悩んだ結果、服を売ろうとという事を導きだし民族衣装の買い付けをしようと思ったのだ。

この時買い付けてきたチベットやネパールの民族衣装は『カイラス』という民族衣装店で売っている。

『カイラス』はこちら

お店を作ったのは良かったと思っているが個人的に甘かったと思う。

今まで商売なんてした事がないボクがネットショップを作ってもそう簡単に上手くいくはずがなく

どういったものが売れているのか?などリサーチもせず殆ど思いつきで民族衣装を買い付けに行ったという事もあり開業しても売れるという事ななかった

 

(知り合いの家具屋からネットショップは大反対されていたから、もっと耳を傾ければ良かったと思っている)

 

後にブログを作った事もありポツポツと売れるという事があったが、やはり絵で生活してみたいという思いの方が強くなっていた。

30歳を期にオーストラリアでライブペイントをする。

バイトをして海外に行ったりブログや絵を書いている内にぼくはいつの間にか30歳になってしまった。

そんなぼくは以前よりネットで気になっていたオーストラリアのバイロンベイでのライブペイントの旅をする。

 

人によっては大金を稼いで帰国なんて話を聞いたものだからぼくは全財産を持って2ヶ月半バイロンベイへ。

ある安宿にあるキャンプ場でテントを張って生活する事になったが日差しの強いオーストラリアの日々は

外国人の話し声や騒音に悩まされるし節約しようとクッキーや薄い食パンばかり食べていたせいか

ドンドンストレスが溜まっていった。

収入の頼みとなるライブペイントの方はというと、人生そんなに甘くなく僅かな絵の商品や原画が売れただけで旅は大失敗!

 

失敗した理由は色々あると思うが絵や絵の商品の展示方法、英語を勉強しなかった事や元々話すようなタイプではない為、積極的になれなかった事などがある。

とはいえ、この旅でボールペン画を描くようになり

それが後々仕事に繋がった事は多分もう行かないけれど行った事は間違ってはいないと今では思っている。

【チベット文化圏完全制覇の夢】

話は少しさかのぼるけれど

ラダックやネパールでチベット文化の美しさを知ったぼくは、いつしか他のチベット文化圏の国々行ってみたいという思いにかられ、後に初チベットに潜入(東チベット・カム)

初チベットの旅は憧れのチベットであるという事や巨大な僧院の数々、大自然に圧倒された!

中国語が話せなくて相手とのやり取りに苦労した事や四川料理が辛いという点を除けば満点であり、その後アムド地方に二回行く事に。

どこまでも続く大草原や美しい壁画や仏像に感動した事。

そして今まで行くことが無かったネパールのチベット仏教の聖地ファルピンにいき、ガイドブックに載っていないような巨大なチベット仏教寺院の数々を見る事になる。

その後も完全制覇目指してドンドンチベット文化圏を旅しようと思っている。

 

結果的に漫画家の夢を挫折したが後悔はしていない。

仏画を描くようになったおかげでチベットやアジア各国を旅することが出来たし、そこで得た様々な出会い、経験がぼくの絵に大きな影響を与えたのだと思う。

【日本のお寺を盛り上げる!】

 

2020年コロナパンデミックで世界が闇に覆われた。

 

海外へ行けなくなった、ぼくが次に旅するようになったのは日本のお寺だった。

 

ぼくは決して信仰高い人間ではないけれどお寺というのは文化的にも仏の世界を型どった場所という意味でも好きなのだ。

 

チベットのお寺が極彩色の壁画で彩られた場所で各寺個性があって創作を刺激するために魅力を感じていたように

日本のお寺も各寺個性や作り方やイベント、特色や奉られている仏像など魅力を感じるようになった。

 

海外のお寺巡りをメインにしていたぼくにとっては日本のお寺を旅するようになったのは自然な流れだったけど

 

 

そんな、ある日の事。

 

 

日本のお寺について調べている内にお寺の現状というのがわかってきた。

あるサイトによると2040年には全国のお寺の三分の一以上が消えてしまう可能性があるという。

 

 

これには衝撃を受けた!

 

 

地域に愛されコミュニティの場となっているネパールやチベットお寺を見てきた、ぼくにとっては寺院消滅という文字に危機感を抱いたのだ。

 

だが実際は既に寺院消滅というのは始まっていて、待った無しというのがSNSで見聞きしている内にわかってきた。

実際に草木で溢れ再生には莫大なお金がかかるであろう荒れた神社や人気の無い山間部の荒廃したお寺を見てきたし

住職がいない事で僧侶を呼んで住職になってもらっている例というのもある。

原因は檀家の減少、人手不足、若者離れなど社会的要因があるしコロナによって、それは拍車がかかってしまっている。

 

お寺を何とかしないといけない・・

 

そう本気で思ったぼくが考えたのがお寺のアート企画。

 

アートで盛り上げて人を呼び込んでいるお寺もあるし

お寺にアートがある事で宗教に偏見を抱いている人や若い人に興味を持ってもらう事が出来るのではないか?

 

 

また、お寺を盛り上げるという事はそのお寺がある地域の為にもなり地域文化の発信地であるお寺を守る事にも繋がるし

結果的に、その地域自体も盛り上げる事を出来る。

 

特にアートの持つ力というのは想像力が沸いたり(学び)コミュニケーションの一環として役にたつしアート企画によりお寺を注目してもらえる。

 

例えば京都ではアーティストがお寺の襖に絵を描いた事がメディアに紹介されていたり

金沢のお寺が企画した芸術祭『オテラートかなざわ』や新潟の国上寺にあるBL風壁画の例だったりと

アート企画でメディアに紹介されたお寺の例というのは実は結構あったりする。

 

各お寺とも真剣に考えた企画だけど寺院関係者ではないぼくにも何か出来る事があるはず。

ぼくの絵はマンガ的で親しんでもらえる可能性があるので、お寺でのアート企画に活かせると思っている。

襖絵やパンフレット作りなど考えいるけど、お寺と一緒にどういう企画にするべきか一緒に考えて盛り上げてみたいですね!

 

もし、アートなお寺が増えればお寺の未来が変わるかもしれない

 

それがお寺や地域の為になると思っていて、特に若い世代にこそ注目してほしい。

そう思ったからこそお寺のアート企画を始めようと思ったのです。

 

お寺を盛り上げる為の挑戦が始まった!

 

 

*羊画廊HPにはボクの過去の作品も多数掲載されている為、興味のある方はのぞいてみて下さい。

■羊画廊HPはこちら

 

略歴
1988年生まれ。新潟県阿賀野市出身。2010年日本アニメ・マンガ専門学校マンガクリエイト科卒業。
2011年新潟日報夕刊「みにみにみゅーじあむ」作品掲載。2011〜13、15、16、18、20、22年個展(羊画廊)
2012、13年テグアートフェア(韓国)。2014年第10回世界絵画大賞展ターナー賞受賞(東京都美術協会)
2019、21年3331ART FAIR(東京)。2021年マスク de アート展(羊画廊)