チベットの大ヨーガ行者ミラレパの波乱に満ちた生涯とは?

ボクがチベットの大ヨーガ行者ミラレパの存在を知ったのは、世界中の妖怪文化を真面目に研究した雑誌『怪』第壱号に掲載されていた水木しげるの神秘家列伝だった。

この漫画にはミラレパの波乱に満ちた生涯が描かれ、にわかには信じられないような伝説的な偉業や悪行の数々が分かりやすく描かれていた。

 

【大ヨーガ行者ミラレパとは?】

ミラレパというのはチベット仏教の4大宗派の一つカルマ・カギュ派マルパと共に開祖と評される人物で、大ヨーガ行者であると共に、様々な美しい詩を詠んだ事から大遊戯詩人として知られるチベット人に人気の聖人だ。

因みにヨーガ行者とは世界的に流行している呼吸法ヨガを行うヨーギニーに事で、元々の意味としては健康的意味合いとして実践されたというよりも真理や悟りに近づくための宗教的意味合いが強かった。

チベット仏教の女神ダーキニーも参照

インド・チベット仏教の生き血を啜る恐るべきダキニ天と日本の稲荷信仰の関係

このヨーガは時として仏教美術に表される事もある。

 

ボクはネパールを旅した時、チベット仏教の聖地ファルピン(グル・リンポチェが瞑想した洞窟がある)にあるチベット仏教寺院に行った時、色鮮やかな悟りを求め実践するヨーガ行者の壁画があったが、修行をする場としての寺院に相応しい壁画だと思った。

チベットを代表するヨーガ行者ミラレパがいかにして誕生したかというと、時は1052年8月25日、裕福なチベット人家庭の間で生まれ(四年後には妹ペタが誕生)、何不自由なく暮らしていた。

 

だが事態は一転、父親の死によってミラレパ兄妹の後見を頼まれた叔父叔母の昼ドラ顔負けの冷遇によって、裕福だった一家の財産は奪われ、毎日こき使われるようになったのだ。

元々お金持ちだったから、叔父達はひがんでいたんだろう。

 

馴れない畑仕事や水くみの数々・・

 

食事は犬のエサのような粗末なもの・・

 

叔父達によるイジメは続いたが、ミラレパが15歳になると母親と共に宴を開き財産を取り戻す訴えを起こすのだが、訴えは通らなかった。

 

【ミラレパの黒魔術】

ミラレパが成長すると母親の頼みで黒魔術を習得し

 

「あの叔父、叔母を呪い殺し九代までも呪うのョ」

 

怖っ!

 

だが、その位追い詰められていたんだろう。

 

 

ミラレパは長旅の末、黒魔術に長ける『クルンの偉大なる智恵の海』と呼ばれるラマに出会い、彼から黒魔術を学ぶ事になった。

 

 

チベット仏教では修行するさい、どんなラマから学ぶ事なのかと言うことであり、自分の師を求め何年も旅する僧侶もいる位だ。

 

 

ミラレパは師である黒魔術師の元10日間、修行したのち守護神からの印を受け呪術を習得する事が出来た。

 

彼は復讐の為、叔父叔母の親族達を呪い殺し、雹の嵐を降らせると村に大打撃を負わせることに成功した。

 

 

・・本当だろうか?

 

 

伝説的人物はいつも、このようなにわかには信じられないような逸話を何かしら持っているものだ。

 

 

実際に黒魔術を使えたか不明だが、この後、自分の行いを悔い、反対に聖なる法を求める旅に出る事になる。

 

【師マルパとの出会い】

ミラレパはニンマ派(密教古派)のラマの元を訪れ修行を行うが、何ら啓示を受ける事は無かった。

 

 

そこでラマの導きによりロプダク僧院のナロパの弟子マルパの元へ行く事になる。

 

 

引きつけられるままマルパの元にいき弟子にしてくれと頼むがミラレパに城を造れと命じたり、完成間際で破壊しろとか、説法を聴くのは許さん!とか・・

 

 

理不尽なイジメは続き、とうとう他のラマを探すといって出て行ってしまった。

(全てミラレパへの試練だった)

 

彼が出会ったのはマルパの弟子であるゴクパというラマ。

 

ミラレパはゴクパの元、窟にこもり瞑想等をしたが何日たっても啓示を受ける事は無かった。

 

理由はマルパからの手紙で判明した。

 

ミラレパは真理の授与に関してマルパからの許可を受けていなかったからだ。

 

つまり師からの協力なしに啓示を受ける事は出来ないという事。

 

マルパの元、再び訪れ心から反省するとマルパはミラレパを向かい入れ今度こそ彼に『教え』を与えたのだった。

 

 

ミラレパは窟の中で長い間、瞑想すると悟りを開く事に成功。

 

 

数年後マルパは優秀な弟子達に経典を与えることになった。

 

その一人がミラレパで、かれには『生命の火』という経典が与えられた。

 

【ミラレパのその後】

弟子達には国に帰り、教えを広めよとマルパは言ったがミラレパだけは数年僧院に残るように指示され、窟の中で瞑想を続けるのだった。

その後ミラレパはマルパの元を後にし故郷に戻るも、実家にあったのは母親の亡骸だった。彼は平静を取り戻す為そこで1週間瞑想したのち、施しを求めながら瞑想を続けた。

 

ミラレパはその後、再び窟にこもり瞑想を続けた結果・・

 

身体は骨と皮だけになり、体中緑色になっていった!

 

よくネパールで売っているミラレパを描いたタンカを見ると体が緑色になっているが、この頃の姿を描いたものだと思われる。

因みにタンカとは瞑想用に使われるチベットの仏画の事で美術的価値も高い。

そして、さらに瞑想を続けた結果、自由に空を飛び回り仏の説法を聞くため異次元にまで行けるようになったのだ。

 

月日はたち、多くの信者や弟子達を得たミラレパは死期を悟ると、岩山の上に立てられた小屋の中で弟子達に説法したのち入滅したのだ。

 

西暦1135年1月14日の事だった。

 

こうして波乱に満ちた大ヨーガ行者ミラレパの生涯は幕を閉じたのである。

 

チベット仏教にはミラレパやマルパのカギュ派の他にもツァンカパが開いたゲルク派やグル・リンポチェのニンマ派等があるが、他の宗派について簡単にまとめてみた記事があるので参照にして欲しい。

ツォンカパからミラレパまで『謎多きチベット仏教とは一体何なのか?』

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