仏達のカテゴリーの最上位に位置する『如来(サンスクリット語でタタガータ)』は修行中の身である『菩薩』とは違い完全に悟りを開いた存在である。
『如』というのは真理の意味で、真理を人々に教え、救うためにやってきたという事から『如来』という。
因みに『菩薩』は厳密な意味で仏では無いが、人々と最も近い存在として広く信仰されている。
特にチベットでは観音菩薩信仰が盛んで、チベット人達は何千何万回も『オム・マ二・ペメ・フム(蓮華の中の宝珠よ幸あれ)』を唱え、彼らの精神的指導者であるダライ・ラマは観音菩薩の化身でもある。
この記事では悟りの境地へと達した様々な如来達の一覧と豆知識をチベット仏教の仏達を交えて紹介しようと思う。
また『菩薩』についてはこちらの記事を読んでほしい。
【釈迦如来(シャキャ・ムニ)】
仏教の始祖であるシャキャ・ムニの『シャキャ』とはシャキャ族出身、『ムニ』が聖者を意味する事から『シャキャ族の聖者』という事になる。
また、釈迦如来の元々の名前であるゴータマ・シッダールタはシャキャ族を構成するゴータマ(優れた牛の意味)族の『目的を成就した者』を意味するシッダ・アルタが由来である。
釈迦は紀元前六世紀頃の現在のネパール・ルンビニーで誕生したと伝えられているが、その誕生は伝説的だ。
彼は母親のマーヤーから生まれてすぐに七歩あるいて『添加唯我独尊』と言ったとされているが、これは『宇宙の中で自分だけが尊敬されるべきである』という事の宣言であったのだ。
*釈迦の誕生日(4月~5月頃)は仏教徒にとってお祝いの日であるがネパールではブッダ・ジャヤンティという誕生祭がルンビニーやスワヤンブナート、パタン等で盛大にお祝いをする。
その後、大使として何不自由なく成長したゴータマ・シッダールタだったが、人生の苦痛に思い悩むようになり、二十九歳で出家し、厳しい修行の末、三十五歳で悟りを開き、ブラフマーの御告げの元、人々に教えを説き仏教の始祖となったのだ。
また、現在では釈迦如来の仏像が世界中で見ることが出来るが元々は像を造ることが禁止されていて、初期には法輪や塔等が釈迦の象徴として崇められていた。
因みに法輪は釈迦の教えを象徴し、チベット仏教寺院の屋根の上に設置されているし、仏塔は仏舎利(釈迦の遺骨)が祀ってあるとされ信仰の対象となっている。
出家後の僧服を着た釈迦の仏像が誕生したのは紀元前一世紀頃で現在に至るまで形は殆ど変わってはいないが、チベットにおいては様々な姿で表現されてきた。
例えばジョカンにある本尊ジョウォ・リンポチェは出家前の釈迦像で煌びやかな装飾を身にまとっているし、ペンコル・チョルテン内にあるマハームニという四面八臂四足の釈迦の壁画も存在する。
【大日如来(ヴァイローチャナ)】
大日如来の音写は毘盧遮那如来であり、ヴァイローチャナはサンスクリット語で太陽を意味する。
また、胎蔵界・金剛界曼荼羅の中心に位置する五仏(中心に大日、東に阿閦、南に宝生、西に阿弥陀、北に不空成就)の一つである。
大日如来は仏教における真理そのものであり、法が人格化した姿なのだ。
これを『法身仏』と言い、釈迦如来のように娑婆世界に現れ、教えを説いた仏の事を『応人仏』と言う。
大日如来の特徴は菩薩のように煌びやかな装飾をまとっていて、身体の色は白く、仏の智に入ることを意味する智拳印を結び、結跏趺座を組んでいる。
これは七世紀頃成立の大日如来が活躍する『大日経』における特徴だが十二世紀頃に成立した『完成せるヨーガの環』では大日如来の姿は複雑化する。
大日如来は獅子に乗り、四面八臂を有する。二臂は智拳印、もう二臂は禅定印を結び、他の手は数珠、円盤、弓、矢を持っている。
【阿閦如来(アクショーブヤ)】
アクショーブヤとはサンスクリット語で『動じない者』という意味で、生きとし生けるものに怒りの心を起こさせないという誓いをたて如来となった事からきている。
また、遥か東方にある世界『阿比囉提(あびらだい)』に住む阿閦如来は僧服を身にまとった姿で身体の色は青黒である。
密教において青は怒りの色であり、仏法の障害を打ち砕く仏であるという象徴でもある。
【宝生如来(ラトナサンヴァパ)】
ラトナサンヴァパとは『宝から生まれた者』を意味し、その名前の通り富を司る仏である。
宝生如来は願いを叶える『予願印』を結ぶ僧服の姿で描かれる事もあるが、菩薩形で妃を抱いたヤブユムの状態をとることもある。
身体の色は黄色で宝の色と似ているという事からきている。(太陽の色ともされている。)
【阿弥陀如来(アミタ)】
阿弥陀如来は西方浄土に住む仏であり、どんな悪人でも、その名を唱え、祈りを捧げれば極楽浄土に行けるとされている。
そんな有難い仏であるから古くからインド、中国、日本で信仰されてきた。
阿弥陀如来の別名で無量光(アミターバ)、無量寿(アミターユス)という名前があるが、チベットでは顕教(密教以外の宗派)の形としての無量寿、密教としての形としての無量光が信仰されてきた。
無量寿は僧服を身にまとい托鉢の容器を持った姿で描かれるが、菩薩形の場合もある。
無量光は菩薩形で妃パーンダラーを抱き、托鉢の容器と阿弥陀如来のシンボルである蓮華を持っている。(因みに身体の色は赤である。)
阿弥陀如来について詳しく書いている記事もあるので読んでほしい。
【不空成就如来(アモーガシッティ)】
アモーガシッティとは『完成(成就)を必ず(不空)得るもの』を意味している。
不空成就如来は金剛界曼荼羅で北方を守護する仏であり、僧服をまとい(菩薩形で妃を抱いた状態もある)苛立ちを鎮める施無畏印を結んでいる。
また、ヒンドゥー教の聖なる鳥ガルーダに乗った姿で描かれる事もある。
因みにガルーダはヴィシュヌ神の乗物で、仏教では迦楼羅天として知られている。
【薬師如来(バイシャジャグル)】
万病を癒やし、現世において利益をもたらす薬師如来の正式名称は薬師瑠璃光如来という。
瑠璃光とは仏国土(仏の世界)の一つである浄瑠璃世界の事で、この世界を治めている仏であるから薬師瑠璃光如来なのだ。
因みに仏国土は東西南北にあり、それぞれ四つの仏達が治めている。
仏国土を治める四方仏は以外の通り
北=弥勒仏
南=釈迦如来
東=薬師如来
西=阿弥陀如来
薬師如来は僧服で薬壺や薬草を持つ以外は、釈迦如来と同じ姿である。
【金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)】
大日如来の化身でもある金剛薩埵の『金剛(ヴァジュラ)』とはダイヤモンドの事で悟りを求める心の堅さの象徴である。
因みにインドラの持ち物である雷が武器となった形ヴァジュラでもある。
『薩埵』とは衆生=生きとし生けるものを指している。
金剛薩埵の役割は大日如来の難解な教えを衆生に分かりやすく説く事である。
金剛薩埵は菩薩形で右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持った姿で描かれるがチベットではこの2つは智恵と方便の意味で、悟りを開く道というシンボルである。
また、金剛薩埵同様、同じ役割を持つと考えられるヴァジュラ・ダーラは五仏を統括する存在として考えられている。
【その他の如来について】
仏教では過去七仏という信仰があるが、これは釈迦が悟りを開く前にも仏がいるという考えである。
また未来にも仏が出現するという考えが誕生し、それが五十六億七千万年後に現れるというのが弥勒菩薩である。
さらに、娑婆世界の十方(東西南北、南東等の八方向と上下)に無数の仏達が存在すると考えられている。
【仏(如来)の仏像・壁画を見ることが出来る寺院】
ボクは仏教美術を求めチベット文化圏を旅する仏画絵師であるが、この章では仏(如来)の仏像・壁画が見ることが出来るチベットの寺院を幾つか紹介しようと思う。
初めに仏教美術の宝庫であるインド・北部のラダック地方には未来仏『弥勒菩薩』の仏像を見ることが出来るゴンパがいくつかあるが、その代表は巨大なゲルク派寺院ティクセ・ゴンパである。
このゴンパには高さ15メートルにも及ぶ弥勒菩薩(チャンバ)立像があり、他にも青く美しい壁画を沢山見ることができる。
また、アルチ・ゴンパではカシミール様式の仏達の壁画や大日如来像を中心とした金剛界立体曼荼羅があり、必見である。
そのアルチから南に10キロ程離れたスムダ・チュン村にあるスムダ・チュン・ゴンパではアルチ同様、金剛界立体曼荼羅がある。
ラダックの中心地レーから西に125キロ程先にあるラマユルにあるセンゲガンという御堂には五仏の古い仏像がある。
■インドのチベット世界『ラダック』についてはこちらの記事を読んでほしい。
四川省西部に広がる東チベットというエリアにあるラガン・ゴンパには『ラガン・ジョウォ』と呼ばれるチベットに嫁ぐ際に持参した釈迦像があり、地元住民から深い信仰を受けている。
また、カンゼ・ゴンパには釈迦如来、観音菩薩を初め、数え切れないほどの仏像がある立体曼荼羅がある。
チベット自治区の仏教美術の宝庫であるペンコル・チョルテンには先に紹介したマハームニをはじめ、青黒い身体の金剛毘盧遮那や珍しい女性の姿をした四面毘盧遮那如来の壁画もある。
『世界一幸せな国』として有名なブータンには世界一高い仏像クエンセル・ポダンがある。
ネパールでは住んでいる人より神々が多いと言われる位、至る所で仏像を見ることが出来るが、中でもカトマンズ郊外のファルピンでは赤い身体の阿弥陀如来像を見ることが出来る。
この他、様々なチベット文化圏にあるゴンパで様々な仏像を見ることが出来るが
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