チベット文化圏に行くと、必ずオム・マ二・ペメ・フムと口ずさむチベット人の姿を目にすることが出来る。
意味としては『蓮華の中の宝珠よ、幸あれ』という観音菩薩の有名なマントラ(真言)なのだが、彼らは何故何度も唱えているのだろうか?
チベット文化圏の一つ『ヒマラヤの国』ネパールに行った際、現地に住むネパール人にその理由を教えてくれたので貴方に教えたいと思う。
【オム・マ二・ペメ・フムを唱える意味】
チベット仏教の聖地ボダナート在住のラマさんは日本に何年も行った事がある日本語が堪能なネパール人だが、彼から言わせれば魂を神様の元へ導く為に唱えている。
のだそう。
これに仏教的意味あいを含めれば他者の幸せを願う功徳の精神が働いているからだと思う。
チベット人を含め、仏教徒は功徳を積めば罪が消え天国に行けるという考え方がある為、彼らはマントラを唱えているのだ。
そしてもう一つ。
その背景には輪廻思想が働いている事も知っておいて欲しい。
輪廻思想は言葉の通り、生きるものは全て何度も生まれ変わりを繰り返す思想の事だ。
チベット仏教寺院に行くと必ず六道輪廻図を目にすることが出来るが、これは生前に積んだ業によって六道のいずれかに生まれ変わるという事。
因みに六道(六つの世界)の内訳は
【人道】
我々が住む、この世界の事で六つの世界の内、解脱し輪廻から解放出来るチャンスが最も高い世界だ。
【餓鬼道】
餓鬼という鬼を知っているだろうか?
お腹が膨らみ飢えに苦しむ姿をした異形の物だが彼らが住んでいるのが餓鬼道。
彼らは嫉妬深く貪欲な人間達の餓鬼道に堕とされた、なれの果ての姿だ。
【畜生道】
畜生とは人間以外の生物の事をいうが転生する際、鳥、獣、虫になることが多いと言われるため六道の中で最も悟りを開く可能性が低いと言われている。
【阿修羅道】
阿修羅道とは戦闘神である阿修羅が支配する争いが絶えない世界の事だ。
何故彼らが戦ってあるというと元々天道に住んでいた阿修羅一族の王の娘を帝釈天が、連れ去り正妻にしてしまった為に王は怒り狂い帝釈天に戦いを挑んだ。
だが強大な軍団を持つ帝釈天に勝つ事が出来ず、天道から追放される事になった。その後は人道よりも格下の世界を支配する事になったが、天道と阿修羅道の住民の中が改善する事なく未だに争いが続いているのだ。
【天道】
長寿と神通力を持つ超人的な天人が住む世界の事だ。
一見幸せそうな天人だが人間と同じように煩悩を捨てる事が出来ず、死ぬ前には服が汚れたり、汗をかいたり・・
どうでもいい事だが天人にはそれがキツイらしい。
だからきちんと修行しないと最上位の天道に関わらず地獄に堕とされる可能性もある。
【地獄道】
言わずとしれた閻魔大王が支配する場所で生前に罪を働いたものが死後に堕ちる世界。
地獄は八層構造になっていると言われ、仏教書『往生要集』によると等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄の順になっている。
また罪が重ければ重いほど下層に堕ちると言われている。
六道輪廻は業によってこれらの内に生まれ変わるので、オム・マ二・ペメ・フムと唱える事で解脱するチャンスを作っているのかも知れない。
それを示すかのように以前パタンのゴールデン・テンプル内にあるゴンパで知り合ったネパール人に六道輪廻図に描かれた六つの世界を指さしながらオム・マ二・ペメ・フム・・
と言っていた。
また彼は日本で最も有名な御経『何妙法蓮華経』と唱え六道輪廻図を指さしていた事から、この御経にもオム・マ二・ペメ・フムと同じ意味を持っていると思われる。
彼らが何故、毎日マントラを何百回も唱えているのか?
これでわかって頂けただろうか?
チベット人達にとって宗教とは、生活の一部であって自己を形成するツールの一つでもあるのだ。
何世紀にもわたり仏教文化が根付いてきたチベットにおいて、マントラという呪文は幸せな来世へと願うチベット人達の文化の一つなのだ。