チベット仏教における阿弥陀如来のお姿は伝統的に、一般的な如来像のアミターユス(無量寿)と密教の形としてのアミターバ(無量光)として受け止められてきた。
アミターバは密教が盛んなチベット文化圏だからこそ誕生した仏だろうが、像としては髪飾りや天衣をまとい一見菩薩のような姿である。
また白衣と呼ばれる妃(パーンダラー)を抱きしめた姿もあり、如来の持ち物として描かれる托鉢の容器や蓮華(アミターバのシンボル)を持った姿で描かれる事もある。
ボクはチベット文化圏をよく旅をしていてゴンパ(チベット仏教寺院)をたびたび見学する事があるが、未だにアミターバの仏像を見た事は無い。
だが一般的な形としてのアミタユースに至ってはネパールのチベット仏教の聖地ファルピンにあるゴンパにて、赤い身体のアミタユースの仏像を見た事がある。(チベット仏教における阿弥陀如来の身体は赤い)
一見菩薩のような姿だが、この仏像もアミターユスであり、彼が手にしている物は不死の霊薬で満たされた甘露瓶(アムリタ)である。
アミターユスは『限りない光』という意味であり、一方のアミターバは『限りない命』でありチベットでは延命長寿や健康安泰の仏様として信仰されている。
因みに『アミタ』はサンスクリット語で『無量、限りない』の意味である。
また密教が盛んなチベットではマントラ(真言)を唱えるチベット人や仏教徒の姿をよく見掛けるが、有名な観音菩薩のマントラ『オム・マニ・ペメ・フム』のようにアミターバ、アミターユスのマントラがある。
■アミターバ
オム・アミタプラバ・スヴァーハー
■アミターユス
オム・アムリタテージェー・ハラ・フン
■他の尊格のマントラについてはこちら
【西方浄土に住む仏】
阿弥陀如来がおわす浄土は人間が住む世界から『西方十万億の仏国土』を越えた遥か彼方にあるとされる。
極楽浄土の様子は正にこの世のものとは思えない光景が広がっていて、金や銀で彩られた木々が広がり、天から妙なる楽しみの音色が流れ出す。
昼夜がなく曼陀羅華が黄金の地面に降り積もる・・
もはや思い付く限りの『あの世』である。
このような極楽浄土に住むのが阿弥陀如来であり、彼が住めるのはこの仏国土しかないという。
どういう事かというと原則として一つの仏国土に住めるのは一人の仏しか住めないとされる
だから阿弥陀如来以外の仏、つまり大日如来や釈迦如来はそれぞれの仏国土を持っているという事だ。(大日如来=蓮華蔵世界、釈迦如来=娑婆世界)
この極楽浄土に住む阿弥陀如来だが、彼はアミターバ(無量光)と呼ばれる事から太陽の光をも越えると信じられてきた。
その光は娑婆世界に住む我々人間にも降り注いでいる事から、もしかしたら人が死ぬとき、その光に魂も包まれ極楽浄土に導かれるのかも知れない・・。
宗教的文言になってしまったが、最後にボクの友人に起きた不思議な話で幕を閉じようと思う。
ボクの友人の幼少期の話になるのだが、彼は以前、車との接触事故を起こし意識不明の重症になってしまったという。
実はこの時、彼の意識は全く別の場所にあったというのだ。
そこは『真っ白い世界』だったと彼は言う。
その場所はちゃんと地面があるらしいのだが一面が真っ白なのだ。
真っ白い世界を進むにつれ意識が目覚めたというが、もしかしたらその場所はアミターバの限りない光が降り注ぐ『光の世界』だったのかも知れないとボクは思っている。
またチベットの死者の道案内経典である『死者の書(バルド・トドゥル)』でも人が息を引き取った後、目にするのは経験したことのないような神秘的な発光体を目にするという。(第一の光明)
死者の書では、このような幻影が何日も続き、悟りを開けず解脱出来ない魂は再生へのプロセスに至るが、このような死後の様子を描いた『死者の書』があるのが、チベット仏教の面白い所だ。
因みに『死者の書』はチベット仏教の始祖とされるパトマサンヴァパ(グル・リンポチェ)がチベットを去る際、身ずらの密教の教えを各地に埋蔵した経典テルマの一つであり、テルマを元に教義を整えたニンマ派において、テルマの教え等が信じられている。
(ゲルク派やサキャ派等の他宗派はテルマを信じていない。)
パトマサンヴァパは宗派を超えて、チベット各地で信仰され、崇められている人物で、彼がチベットに蒔いた密教の種は、後の世に大きな影響を与えるのだった。
因みに彼の誕生・生涯は、正に伝説的であり、神通力で空を飛んだ。
とか、にわかには信じられないような奇跡を起こしたとされる。
ボクの友人が目にしたのは『死者の書』で描かれる“第一の光明”だったのか極楽浄土にいるアミターバから降り注ぐ光だったのかは判らない。
しかし一つだけハッキリしているのは、彼は確かに『真っ白い世界』に居たという事実だ。
もしかすると、その世界の先に娑婆世界に住むボクたちの知らない、世界の真実というものがあるのかも知れない・・。
チベットの『死者の書』やアミターバ、阿弥陀信仰がボクに死後の様子を密かに教えてくれているかのようだった、といっても過言ではない。