インド・チベット仏教の生き血を啜る恐るべきダキニ天と日本の稲荷信仰の関係

ダキニ天とはヒンズー教の破壊の女神カーリーの侍女であり、空を飛び回り頭蓋骨の杯の中に入った生き血をすする恐ろしい魔女だ。

ダキニ天はサンスクリット語でダーキニーと呼ばれ、動詞ダーク(飛ぶ)から派生した言葉であり、チベット仏教でもカンドーマ(虚空を行く女)として信仰され、守護尊ヘールカの妃として男尊にシャクティ(エネルギー)を注ぎ込む役目を担っている。

初期の大乗仏教において守護尊のような妃を抱いた姿で描かれる事はなかったが、ヒンズー教や仏教が土着の血の儀礼を取り入れていくにつれ、タブーであった性行為を肯定的に取り込むようになり、7~8世紀位になると女神崇拝が盛んになり、数多くの女神達が登場した。

ヒンズー教の女神崇拝の流れをくんだ仏教が取り入った中にダキニ天や数々のヒンズー教の神々が元になる神仏がいて次第に仏教を守る神々として調服されていった。

ボクは以前ダキニ天を描いたことがあったが、人間を踏みつけ足を上げ、頭蓋骨の杯を持ったダキニ天の容姿を見た個展を訪れたお客様は「遊びすぎだ」と語ったが、このような姿はインドの瞑想法ヨーガ(ヨガ)からきているからだ。

ヨーガは精神を集中して心を落ち着かせる行法として世界的に人気であるり、仏教において「三昧」「等時」「禅定」という言葉を用いられているが、この言葉はインドのヨーガと同じ意味を持っている。

 

また、容姿としての特徴は常に半裸に近い状態で身体は赤く、髑髏の首飾りを持ち、カドヴァーンカと呼ばれる生首がついた槍を持った姿で描かれる。

 

赤という色は仏教で愛欲を意味していて、これは愛欲という煩悩は生きていく上でかかせないと、悟ったブッダの御心でありチベット仏教では守護尊チャクラサンヴァラにおいて愛欲と憎悪という負の統合すら図られている。

 

また彼女が身に付けている髑髏の首飾りは生命に死をもたらす大いなる時の力の象徴として、チベット仏教の神々がよく身に付けている首飾りである。

 

生首が三つついたカドヴァーカと呼ばれる槍は三つの煩悩の消滅を象徴していてチベット仏教の開祖パトマサンヴァパの持ち物で知られる。

恐ろしい魔女の姿で描かれるダキニ天だが日本においては狐と米俵の上にまたがる女神の姿で描かれ、理由は定かではないが稲荷として日本全国の稲荷神社の守り神として信仰されるようになった。

昔から稲荷神社を粗末にしたりすると祟られるとよく言われるが、昔ボクが子供の頃、近所のとある古い家をたて直すため、その家がある土地を一旦整備する事になったのだが、整備と同時に敷地内にあった稲荷を祀った祠を破壊してしまったのだ。

 

母の話によると祠を破壊した後、その家の人が狐に憑かれたように意味の分からない言動をとりはじめたそうだ。

 

恐らく祠を破壊した祟りであり、狐に憑依された状態だったのだろう。

 

だが後に巫女さんがお祓いをした事により、意味の分からない言動が嘘のように消え去ったそうである。

 

 

ダキニ天と日本の稲荷信仰の関係は分からない・・

 

 

ただ狐は昔から霊的な動物と知られ、神話や昔話で狐が数多く登場し、昔の人は祟りを恐れ神社や祠を建設した事から同じ霊的な力を持つダキニ天と狐が空海によって密教が日本に取り入れた際、次第に同一視されるようになったのだと思う。

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