色彩学を学ぶ上で、宗教についても学ぶと宗教のモチーフや神々と言った様々な所に多種多様な色が使われ、宗教により一つ一つ色々な意味を持っているという事がある。
【西洋における色の意味】
例えば赤という色を学ぶと、キリスト教においては血や殉教、愛を象徴していてキリスト教の受難の主日や聖金曜日、殉教者の祝日・記念日などに使われ、ヨーロッパにおいて赤い色は昔から情熱や愛といった明るいイメージがある一方、反対に血や殉教等、暗いイメージも付きまとってきた。
キリスト教では赤が愛や血の象徴だが他の色でも様々な意味合いを持っている。
聖母マリアによく使われる白は「純真」「純潔」「喜び」を象徴し、復活祭や祭日といった喜びを表す祭礼行事に用いられている。
また葬儀の使用される黒の代用として使用され「悲しみ」としての白もあるのだ。
緑色は「信仰心」「希望」を象徴し、年間を通して中間色的意味合いを持ち、紫は「苦行」を意味し四句節に用いられている。
【中国における色の意味】
しかしアジアを見れば古代中国における万物の成り立ちを説明する理論『森羅万象』には木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)という五気と言われるものがあり、それぞれ対応する色がある。
五気の中で赤は炎を意味し、同時に宇宙を司り人間世界の東西南北を守護する神獣「四神」において朱雀は赤い色をしている。
因みに他の四神を見てみると、北を守護する玄武は「黒」東を守護する青龍は「青」西を守護する白虎は「白」となる。
また五気についても、季節や空間を統合し森羅万象を創るものとして五色という色が対応している。
木は青(生命)
火は赤(炎)
土は黄(大地)
金は白(鉱物)
水は黒(水脈)
をそれぞれ象徴としての色を使われてきた。
【チベットにおける色の意味】
話は変わるがボクはよくチベット文化圏の国々をよく旅をしている。
チベットには、色鮮やかな寺院や仏像がいくつものあり、日本とはかけ離れた非日常世界が創られている。
そんなチベットに暮らす人々が深刻するチベット仏教においても『色』は様々な意味合いを持っている。
例えばチベット仏教寺院でよく見かける護法神(日本における明王)に使われる青は『怒り』を意味していて、煩悩に対して怒りを燃やし、打ち砕く不動明王等によく用いられている。
また赤い色は『愛欲』を意味している。
恐るべき超能力者ダーキニーや明王ハヤグリーヴァによく使われる色だが、これは愛欲を抑えるのは決して悪い事ではないと悟ったお釈迦様の教えに反映されている。
つまり仏の御心なのだ。
また、チベットでは「オンマニペメフム」
とつぶやきながら数珠を持ちマニ車を回すチベット人が多くいる。
オンマニペメフムとは観音菩薩の真言であり、彼は白い身体をして描かれる事がある。
仏教において白は「慈悲」「清らかさ」「智恵」「真実」の象徴として、菩薩によく用いられている色であり、観音菩薩から生み出された白ターラという身体に七つの目を持つ女神の色でもある。
白ターラと対をなすように観音菩薩から生み出された女神、緑ターラ菩薩の色は、その名の通り「緑」であり、これは「大きな活力」「素早い行動力」を表している。
そんな仏教の神々を生み出した釈迦如来の身体の色は「黄色」で、これは三十二相・八十種好と呼ばれるお釈迦様の身体的特徴を上げたものの一つで、それによれば身体は金色で、お釈迦様の身体から約三メートルにも及ぶ光が放たれていると言われています。
だからこそ仏画で描かれる際は黄色で描かれ、仏像は金色で造られている。
それと同じ如来でも阿弥陀如来は赤い色で描かれる事があり、これは悟りを開いた人の身体的特徴と言われる。
同じように大行者ミラレパも修業を重ねるうち緑色の身体になり神通力をも手にする事が出来てしまったという事があります。
仏教の逸話を離れてみてもチベット文化圏の国々を旅すると必ずあるタルチョーやタルシンキという祈願旗に使われる「赤・緑・黄色・青・白」という色は森羅万象の五色と同じように世界を構成する要素としての色で用いられているのだ。
因みにタルシンキやタルチョーにはルンタと呼ばれる「風の馬」が印刷され、正方形に印刷した紙をまいて「ラーギャロー(神に勝利あれ!)」と叫ぶチベット人の姿をチベットの峠や祭りの際、目にする事が出来きチベット人の信仰心の高さを知る事が出来る。
このように宗教に使われる色を紐解き学んでいくと様々な所がわかってきて面白い。
だからこそボクはその面白さを発見するために絵を描き、チベットへ旅をするのかも知れないと思っている。
何故ならチベットには画家の脳を刺激する、数多くの仏教美術が存在し、一度『チベット』という秘境に足を踏み入れてしまうと病みつきになってしまう、魔力のようなものが存在しているからだ。