チベット仏教を築いてきた高僧達。その知られざる生涯を徹底解析!

チベット文化圏に行くと数多くの人々が仏教を信仰しているが、仏教がチベットに根付く裏には様々な高僧達の力があった。

ボクはチベットを旅している画家で、仏教美術の宝庫であるゴンパ(寺院)巡りを旅のメインしているが、チベットの高僧達も仏達同様に信仰されている事に気が付いた。

例えば仏像だったり、美しい壁画だったり・・

まるでゴンパの守護神のような高僧達をボクは今まで数多く見てきたが、今回はそんな彼らにスポットを当てたいと思う。

 

【ソンツェン・ガンポ】

ソンツェン・ガンポ(569?~649)はチベット全土を統一した開国の王で観音菩薩の化身とされている人物だ。

彼は13歳で王座につき、大臣トンミ・サンボーダをインドに派遣した後、彼と共にチベット文字を制定した。

また、インド仏教経典の翻訳に努め、唐とネパールから妃を迎えると共に仏教を持ち込み、チベットに仏教を根付かせるキッカケを作った。

 

因みにネパールの王妃はティツン妃、唐の王妃は文成公主といい、チベット自治区にあるジョカン(大昭寺)には文成公主が持ち込んだ釈迦如来像がある。

また、東チベットのラガン・ゴンパにも文成公主が持参した釈迦如来像があるが、こちらはチベットで最も神聖な仏像であるという。

その名にふさわしく荘厳で神聖な雰囲気をかもちだしていたが写真撮ったら怒られたので・・

撮影はやめた方がいいだろう。

【パトマサンヴァパ(グル・リンポチェ)】

チベット仏教4大宗派の一つニンマ派の始祖ともくされるパトマサンヴァパ(?~8世紀後半?)はグル・リンポチェ(導師様)としてチベット文化圏全土で崇められるインド人行者だ。

8世紀、ティソン・デツェン王は仏教を国教とし、インド人僧侶シャーンタラクシタによりサムイェ寺を建立しようとしたがチベットの神々に阻まれ、完成しなかった。

 

そこで密教行者パトマサンヴァパをチベットに呼び寄せ神々を従わせ、チベット最初の仏教寺院サムイェ寺を建立する事に成功した。

後に密教経典をチベット各地に埋蔵し、虚空の彼方に消え去ったが、その経典を元につくられたのがニンマ派である。

不思議に満ちたパトマサンヴァパの障害はこちらの記事を読んで欲しい。

空を飛んでチベットにやってきた高僧パトマサンヴァパとは一体何者?

また、パトマサンヴァパは広く信仰されているが、縁の聖地もチベット各地にあり、ネパールのファルピンやブータン等数多く存在する。

特にファルピンはパトマサンヴァパが瞑想したという洞穴がある聖地でタルチョー(祈願旗)がはためき、煌びやかな仏教寺院が沢山あって、仏教美術好きには一度は行って欲しい所。

 

【ティロパ】

ベンガル人行者でチベット仏教の一派カルマ・カギュ派開祖マルパの師匠ナロパに教え導いた人物。

ティロパは9世紀ベンガルの王子であり、王国逃亡後はブッダガヤでダーキニーの弟子となる。

その後、自分の国に戻ると人々から食べ物を貰い、火葬場に住まいを設けた。

ある日、ダーキニーがティロパは

「四つのチャクラは清いけれど勘違いをしていて完全に清くなっていない」

と思い、ティロパに腐った食べ物を渡した。

ティロパはそれを棄てると彼女は怒り

 

「貴方が良い食べ物か悪い食べ物か判らないのであれば法を修業する意味は無い。」

ティロパはダーキニーの導きにより、ガンジス河でいつも漁師が捨てている魚の内臓を食べて生きていた。

そうして12年間瞑想する事になり、後にナロパに教えを導く事になる。

 

ティロパが瞑想した洞窟がインド北部のラダック、ラマユル・ゴンパに存在している。

 

因みに、彼はいつも魚の内臓を食べていたので『はらわたを食べるシッダ(成就者)』を意味する『ルゥイパ』として有名になり、時を経て『ルゥイパ』の名に『ティ』の前詞をつけて『ティロパ』と呼ばれるようになった。これはルゥイパの変形である。

 

【ナロパ】

ナロパは偉大な密教行者でカギュ派開祖マルパの師である。ナロパは東インドの公国の王子で、子供の頃から正義感の強い人物であった。

両親の勧める結婚に反対した彼は宗教の勉強の為にカシミールに移り、そこでパトマサンヴァパの25の弟子の一人、高僧ナムカイ・ニンポに『ナロパ』の名前を授けられる。

 

ナロパの宗教学の努力はティロパと出会った事により完成し、それはマルパに受け継がれていく。

 

【マルパ】

カルマ・カギュ派の開祖。1012年チベット最南端ブータン国境付近の森林地帯であるロタ地方に生まれる。

 

活発な子供時代だったマルパは両親によって12歳の時、仏門に入ることになりチョキ・ロド(法の知性という意味)という仏教名を受けた。

その名の通りマルパは読み書きの技術をあっという間に習得し、サンスクリット語とインド口語を学んだ。

 

彼は、より高い勉強の為に様々な困難に遭いながらインドに行き密教行者ナロパと出会い、彼と共に密教の勉強をして密教のマスターとなった。

 

後にインド・ネパールで修業しカギュ派を創立。カギュ派の『カ』とは教え『ギュ』は伝統を意味し、一般的に仏教論理学よりも瞑想修業を重んじられる。

 

【ミラレパ】

ミラレパ(1040~1123)はマルパの弟子であり、101曲にもなる詩を書いた詩人でもある。

マルパとの修業の際、作った『シェカル・グトゥ』と呼ばれる9階の塔が南チベットのロダに現在でも残っている。

大呪術者、大ヨーガ行者として生きたミラレパの生涯は、こちらの記事で詳しく書いている。

チベットの大ヨーガ行者ミラレパの波乱に満ちた生涯とは?

【サペン(サキャ・パンディタ)】

相撲で有名なモンゴルは実はチベット仏教国である。

モンゴルにチベット仏教をもたらしたのがサキャ派四世座主サペン*パンディタは大学者の意味(1182~1251)で、叔父のタクパ・ゲンツェン三世座主の予言に従い、甥のパスパとチャクナを連れ、モンゴル支配下の西夏に向かった事が始まり

当初、王は不在で会うことが出来なかったが三年後の1247年に西夏の王ゴダンと会合した事がキッカケでチベットとモンゴルが交流するようになる。

 

後にサペンは中国山西省の五台山で『大印(マハームドラー)』を説いて、1251に70歳で亡くなった。

 

また、彼の甥のパスパは元朝皇帝フビライ・ハンの師となり、チベット全土で権勢を振るった。

 

サキャ派はツァン地方のクン一族がサキャ寺を建立した事が始まりで、開祖はクンチョク・ギェルポ(1034~1102)
他の宗派と違い、世襲制で瞑想修業や仏教論理学・曼荼羅研究を行っている。

【ロサン・タクパ(ツァンカパ)】

ゲルク派の開祖ツァンカパ*本名はロサン・タクパ(1357~1419)は密教と顕教(密教以外)を統合し、チベット仏教会を大改革した高僧である。

ツァンカパは現在の青海省のツォンカ(『ツァンカパ』はその地に因んだ通称)という地に生まれ、36歳の頃、文殊菩薩を見ることが出来るというウマパと出会い、ツァンカパもまた、文殊菩薩を見ることが出来るようになったという。

ツァンカパには様々な逸話が残されているが、彼もまたパトマサンヴァパ同様神格化され、ゲルク派寺院に行くと必ず本尊として巨大なツァンカパの仏像が崇められている。

 

有名なのがネパールの『コパン・ゴンパ』で数多くの外国人が仏教を学んでいるが、ボクは半ズボンで入ろうとしたら警備員に待ったをくらった!

後に特別に入れて貰える事になったが、やはり戒律が厳しいだけの事はある。

 

【ダライ・ラマ】

ダライ・ラマ(大海の師)は観音菩薩の化身とされ、チベット全土で宗派を問わず信仰されている。

歴史はゲルク派がカルマ・カギュ派の『転生活仏制度』から刺激を受け、導入した事が始まりで、デプン寺、セラ寺座主を務めたソナム・ギャンツォがアムドのチャプチャで『ダライ・ラマ』の称号を受けた事が始まりである。

歴代ダライ・ラマは以下の通り。

■1世(ゲンドゥン・トゥプパ)1391~1474

タルシンポ寺を建立した高僧で、極めて学識ある人物として尊敬されていたがダライ・ラマと名乗る事は無かった。

 

■3世(ソナム・ギャンツォ)1543~1588

ダライ・ラマ制度が正式に開始されたのが3世の時。

モンゴルの王アルタン・ハンから『ダライ・ラマ』の称号を受け、その返礼に王に『ブラーマ(宗教の王)』の称号を授けた。1世、2世は後を追ってダライ・ラマとされた。

 

■5世(ロサン・ギャンツォ)1617~1682

チベット自治区にある世界遺産ポタラ宮の建設を命じたのが5世で、初のチベットの政治的指導者になったダライ・ラマである。

だが5世の時代でポタラ宮は完成せず、遺言により5世の死を隠したまま摂政デシ・サンギェ・ギャンツォが6世の教育と共にポタラ宮を完成させた。

 

■6世(ツァンヤン・ギャンツォ)1682~1708

モンユルのニンマ派行者の家に生まれた6世は1697年に即位。

しかし僧院生活に馴染めなかった6世は自ら還俗し、身を飾り、夜ごと酒場で美女達と楽しんだ。

その奔放な姿のせいでダライ・ラマの地位を失い、北京に護送中、没した。

 

■9世(ルントック・ギャンツォ)1805~1815

歴代ダライ・ラマの中で最も短命だったが、続く10世、11世、12世も10~20代で夭折している。

死因は判らないが、その影には貴族達の権力争いが関係しているらしい。

 

■13世(トゥプテン・ギャンツォ)1876~1933

イギリスと清朝との間で翻弄されたダライ・ラマで、英国領インドに亡命中、近代文明に刺激を受け、チベットに貨幣制度を導入。

また、軍備の増強、警察署や郵便局の設置し、チベットの近代化を進めた。

 

■14世(テンジン・ギャンツォ)1935~

アムド・タクツェル生まれ。4歳でダライ・ラマに即位し、15歳の時にチベットにおける実質的な政治・宗教指導者になるが中国共産党の侵略を受け、1959年インドに亡命した。

 

以降、チベットの自由と非暴力の必要性を訴え続け、1989にノーベル平和賞受賞した。

13世の生涯は『セブン・イヤー・チベット』や『クンドゥン』といった映画で、克明に描かれている。

【まとめ】

チベットにおいて悟りを開いた高僧達は神同様に崇められ、ゴンパでは壁画や仏像が数多く見ることが出来る。

例えばパトマサンヴァパの大仏は東チベットやネパール、ブータンといったニンマ派が多く信仰されている国に沢山あり、黄金色に美しく耀いている。

また、壁画のテーマとなるツクシンと呼ばれる木の根のごとく仏教の広がりを示す集会図の中尊としてツァンカパが描かれたり、修業者達を描いた壁画も存在している。

チベット文化圏には、こういった仏教美術の宝庫であり、チベット仏教を築いてきた高僧達の歴史を垣間見ることが出来るので、興味のある人は一度は行って欲しい場所だ。

 

『漫画仏画江師メールマガジン』ではチベット文化圏の情報と共に、知られざる壁画のテーマの話や高僧達の逸話も載っているので、ピンときたら登録して欲しい。

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