えなりかずき似のご住職が勤める新潟市秋葉区の観音寺とは?

新潟市秋葉区には俳優の「えなりかずき」に似ていると評される名物和尚がいる。

阿部正機さんはエフエム新津やUX『ナマ+トク』に出演していた事がある観音寺の現住職である。

ぼくが阿部さんを知ったきっかけは知り合いのユーチューバーのMrBaldyさんの動画だった。

 

動画にはNEXT21内にあるタニタ定食や坐禅会を行っている禅(ZEN)で永谷寺の東玄さんや阿部さんが座禅会をしている様子が撮影されていた。

●MrBaldyさんの動画

後にぼくは観音寺さんに連絡をとり取材に行く事にした。

今回も修行時代の話やテレビ出演の話等をご住職に話ゆ聞いてきましたのでご覧ください。

【福聚山 観音寺】

福聚山(ふくじゅさん) 観音寺は元和元年(1615年)創建の曹洞宗の寺院で蒲原三十三観音霊場10番札所に数えられている。

 

観音寺の現代的な本堂の中に入ると毎年8月10日にご開帳される秘仏(本尊)の聖観世音菩薩があるのだが実は観音寺の歴史に大きく関わっている。

 

ご本尊の仏像は用明天皇の時代に流行った天然痘を鎮める為、聖徳太子が彫った仏像で後に新津城主12代新津丹波守景資に伝わり持仏堂の本尊となったが行方不明になる。

 

しかし本寺の正法寺六世奪山文能禅師が境内の梨の樹に飛来されている聖観音菩薩を発見後

領主の16代新津丹波守秀祐より敷地を与えられ本堂を建立、聖観音菩薩を安置し観音寺を開山した。

(慶長12年(1607)山谷に草創した観音庵が始まりとされる)

【観音寺の見所】

駐車場に車を停めると近くにある「ごりやく地蔵」がある。

ここでお参りをした後に門前地蔵と寺紹介看板がある総門柱を通ると右側に柱からみて順に「菩薩の道の碑」「観音菩薩」「六体地蔵」「干支地蔵」がある。

左側には「読誦(どくじゅ)塔」「巡拝塔」「地蔵菩薩」「日本百観音巡拝塔」「四国八十八巡礼塔」「日本百観音巡拝塔」「日本百観音巡拝塔」がある。

 

それぞれにお参りを済ませ正面にある薬医門形式・むくり屋根の山門を抜けると本堂が見えてくる。

 

禅庭に囲まれた本堂を正面に右側に「磨磚(ません)道場」やえん魔さまのいる「手水舎」

左端には「慈母観音菩薩」「鎮守堂」「鐘楼堂」「無畏城」や味噌が上手に出来ますようにと戦後作られた「味噌地蔵」がある。

本堂の中には観音寺の火災時に搬出された仏像や仏具が幾つかあり、ご本尊の聖観世音菩薩は勿論の事、ご本尊の代わりに参拝される仏像「お前立ち」や「木造ご開山」「木造羅漢尊者」「木魚」「鏧子(けいす) 」があり回りには地元の絵師さんが描かれた絵が飾ってある。

因みに火災時の話で十七世のお弟子さんが出火の際ご本尊を抱いて避難の指示をした所、本堂を出た所に穴があいていて転げてしまい、ご本尊の仏像の右手が傷付いてしまったという話がある(昭和29年に十八世が修復)

十八世が生まれたのは江南区木津にある真言宗醍醐派の光明院だが以前取材した事があるので此方を読んでいただきたい。

火祭りに護摩行!『木津のお薬師さん』と呼ばれる光明院薬師堂とは

また本堂右奥には西国三十三観音堂があり西国三十三観音霊場の霊砂が納められ「お砂踏み」をしながら参拝出来る。

右手のギャラリーがある廊下を進むと左側に開山・位牌堂、右側に十三仏の書が掛けられた磨磚道場(多目的ホール)があり坐禅や寺子屋塾、写経やヨガ、寺カフェ等
として使われる。

磨磚道場の磨磚とは瓦を磨いても鏡にはなってはいけない、鏡にならなくても瓦を磨き続ける事が大事である。

という禅の教えで最終的に何かを目的にするのではなく今あるものを磨いていくが大事であり、人間が仏になろう!

ではなく今を磨いていく事で自然に仏になっていく。

また磨磚道場から砂紋が作られている禅庭がよく見渡せるのだが、砂紋が始まった経緯というのもご住職に教えて頂きました。

元々禅宗(曹洞宗、臨済宗、黄檗宗)は山岳信仰として都市部ではなく山手の静かな所でお寺を開く事が大事だ、と言われていたので山手にお寺が建立されていた。

 

だけど、そこに住んでいた人達の生活は町に近い方に流れていくので平場にお寺を建立するようになった。

 

山岳信仰が元だから自然の風景を必要としている禅宗のお寺だから

砂紋を山に見立てたり色んなものに見立てて山の自然を町のお寺の境内に施されてないけれど砂紋や石を置く事で自然を大事にしている事の現れなのだという事です。

【観音寺三大法要】

観音寺には通常の年中行事の他、大きな法要が三つある。

その一つは2月3日の午後7時に行われる節分会で御祈祷、鬼おどり、豆まきがあり盛大に行われる。

 

6月18日には万灯(塔婆)供養(檀信徒先祖供養)があり午後5時から、おとき、説教、法要が万灯に灯されたお寺の中、執り行われる。

 

8月10日に千日詣り(お観音さま大祭)「ご本尊(聖徳太子作)ご開帳)が午前10時より説教、大般若祈祷、お盆塔婆供養、ご本尊ご開帳、日本百観音・四国八十八ヶ所お砂踏み巡堂、おときという観音寺一大イベントが催される。

 

他にも涅槃会や花まつり等がある。詳細は観音寺HPまで

福聚山観音寺公式HP

https://sotoshu-kannonji.com/

●住所
〒956-0862 新潟県新潟市秋葉区新町2丁目5−51

【阿部正機さんにインタビュー】

●お坊さんになった理由とは?

「お寺に生まれたというのと父親の先代の住職が小学4年生の時に亡くなったので、ある意味後を継ぐレールが出来ていた。」

また正機さんが修行を終えるまでの間お寺を母親が守ってきた事に対して応える為という事が大きいようでした。

●修行時代の話

駒沢大学の仏教学部で四年学び卒業したのが22歳の時。

 

その後永平寺修行に行く事になった。

 

「修行時代で大変だったのは睡眠欲と食欲で、それが極限状態で残る欲であり

 

人間の持つ五つの欲「お金が欲しい財産欲」「出世したい名誉欲」「性に対する色欲」「睡眠欲」「食欲」

は修行をしているとお金がある訳ではないので財産欲も名誉欲もうまれないし異性がいる訳ではないので色欲もうまれない。

睡眠欲と食欲は究極に残る欲で常に眠りたいし常に食べたいという事が辛かった。

 

ただ一番辛かったのは修行を終え本山を下りる時に一緒に釜の飯を食べ、辛い事を共に乗り越えた友人達と別れる事だった。」

 

また正機さんの時代は

 

「今の世のようにパワハラと叫ばれる時代とは違い自然に手が出る厳しさもあったけれど
一つ追い込まれる状況に身を置いてみるという事は大切な事だと感じた。

そういう事では修行の期間というのは人を育てくれる部分もある。」

 

と修行時代を振り替えって語って頂きました。

●お坊さんになって良かった事

「今思うことは大勢の方との出会いがあった事。

地域の方や檀信徒の方だったり大勢の方と出会う事で人を育ててくれる事と思うのでそれが喜びであり

具体的に言えば亡き方をお送りする事がお寺の役目だから

その方の人生を最大で最後のイベントに出会わせて頂く尊さがあると思う。」

 

●日々大切にしている事

 

「道元禅師様の教えの言葉の中に

 

ただまさに、やわらかなる容顔をもて、一切にむかうべし

 

という言葉があり、何かというと

 

いつでも、どこでも、誰とでも笑顔で接していきましょう。

という事を一番大事にしているし座右の銘が「一生懸命」だから生(しょう)は笑うと書いて昔から座右の言葉にしている」

●ナマトクに出演したキッカケとは?

講演会の際にナマトクの番組立ち上げスタッフがお見えになった事があり、その方がプロデューサーの方に話をした事で観音寺に挨拶に来た事があったようで、これが仕事に繋がったとの事です。

また「こうしたお仕事はご縁がなければ出来ない事だったから今振り返ると有り難かった。

5年間だったけど凄く楽しく勉強させてもらったしテレビの仕事はどれだけ短い尺でまとめられるか?(残り30秒の中でいかに言いたい事を言えるのか)等勉強になった。」

 

と当時を振り返って頂きました。

 

●エフエム新津出演のきっかけ

「20代の頃にエフエム新津が開設された時、節分行事やお盆等お寺のPRをかねて話して下さい、と連絡があったのがきっかけで

その後

 

「チャット法話をされますか?」

 

という相談があり新津市仏教会の方達に声をかけて10分の番組を持った。

法話を録音しそれを毎週土曜日流して頂いた。」

●テレビ番組ナマトクの思い出

癌を煩っている病院で入院している方から連絡があった。

 

 

その方は

 

 

「ナマトクを観て連絡しました。私は余命宣告をされているのだけれど、お坊さんは一体ご自分が同じ立場だったら何を生き甲斐に残りの人生、生きますか?」

 

 

というご質問だった。

 

正機さんは

 

「経験がないから軽んじた事が言えないけれど、もし余命の期限が限られてるとしたら今自分が素直にやれる事を毎日積み重ねてしまうかもしれません。笑顔で人生送りたいと思ってます。」

 

と30分の間、命の話をした事は尊かったようです。

 

また「お寺ロケで色んなアクシデントがあったり行った事のないお寺も行けるし楽しかった。

華報寺さんの温泉にロケにアナウンサーと行ってお風呂に入る事、ああいう裸の付き合いも良かった。」

等ナマトク時代には色々な思い出があったようです。

 

●これからやってみたい事は?

「出来るかどうかは別として、お坊さんとしての生き方を通してだけど色々な役職を兼ねているので忙しかった。

若い頃から忙しく、お寺の住職というより飛び職だったので出かける事が多く腰を据えて、という事が出来なかったので観音寺住職として大きなお手伝いが出来ないかと思っている。

あと平たい事を言うのであれば一度でいいから年末年始お寺から離れてみたい。

具体的に言うと箱根に行って箱根の温泉旅館で近くのお寺の除夜の鐘を聴いて、お酒を傾け箱根駅伝をホテルの前で応援するのが夢。」

●日本の仏教について思う事

「一つは仏教を受け入れられている社会があるという事。それが有難い事。外に出かけると仏教に出会ってる。

 

例えば「だるまや」というラーメン屋さんがあったり「無尽蔵(ラーメン屋)」は禅の言葉。「三宝」というレストランの名前は元々仏教の言葉。

 

挨拶など日常の仏教語が普段の日常の会話になっている事。

ちょっと外に出た時に仏教の言葉が沢山あったり会話の中で仏教の言葉が根付いてたりするのが日本なので

 

そういう意味で日本は仏教を受け入れられている国である事が有難いのと手前味噌になるかもしれないけれど

 

お釈迦様の教えというのは本当の幸せの生き方が出来る生き方を説かれたのが仏教なので

それがしっかり日本に根付いているのが有難い事。

 

生活の中に仏教があるのではなく仏教の中に生活が入ってる事に気付いてもらいたい。

 

海外に比べると宗教に片寄っていない事がいい所。

 

宗教で争うという事が一番良くない事だからお互いに懐を広くしてむかい入れる事が大事。

日本国民が仏教を受け入れている柔軟さに喜びを感じる。」

●お寺が衰退している事に対し思う事と現状とは

「仏教離れ、お寺離れ、あるいはお坊さん離れというのがある。

ただ生活の中に仏教があるので、切り離している所が何もないので気付いてほしいという所と

衰退に関してはお寺や神社は普段気にしてないかも知れないけれど実は拠り所になっている。

お寺、あるいは神社という場所は無意識の内にある事によって実は心が整っていて守られている。

 

それがお寺、神社がどれだけ心の拠り所になっていたか?後から気付かないように気お付けて貰いたいと思っている。

 

万が一継ぐ方がいなくなった時に宗教法人を解散しないといけないから

そうなった時にやっぱりあってくれれば良かったな、と思ってしまうと遅いから拠り所であるという事にもう一回向き合って頂いて、皆で残していく事が必要。

 

神社に行ってお賽銭上げてお詣りする事は自分の願いだけでなくて、これで維持管理してください

という事が昔の人のお賽銭の上げ方なので、そうして皆で残していった。

 

その代わりお坊さんもちゃんと律していかないと思っている。

律していく中で良い意味で認めてくれて心の拠り所を守っていく。

 

檀家さんと地域、お寺というのが両立しないと衰退する。

 

ある意味、お坊さんも檀家さんに育てて貰っているようなもの。

 

だから決してお坊さんが檀家さんを導いている訳ではなくて実は檀家さんが住職を育てている。

お寺さんは今、地域に解放している所が多いので皆に足を運んでいただけるような空気作りも必要。」

●コロナになってお寺が変わった事

「お寺に足を運んでくれる方が少なくなった。

対面できる機会が少なくなったのがコロナの影響の一つ

それにともなってマスクは相手が分からなかったり人間関係に距離を作ってしまう感触がある。

ただ一方でコロナがもしかしたら悪い訳ではないかもしれない。

 

コロナウィルスが悪者になっているけれどウィルス自体も生きたいと生き抜いているわけだから

全ての命が生きたいと思っている訳であって人間にとっては悪者になっているだけの事であって

だからコロナウィルスというのにも、ちゃんと尊厳というものを認めて上げる事も大事だな、と思っている。

 

その中で生きづらさを感じる時に悪者になるのはしょうがない部分もあるのだけれど

蚊がくると殺生してしまうのと同じで生きていく上で殺生というのは100パーセント綺麗事ではいえない。

 

ただ、それぞれの命は尊い。

 

生きたい生きたいと精一杯生きている命だという事と

コロナウィルスが盛んになったのは人間のおごり。

 

全ての命は調和されて生きているので人間のおごりの部分で自然界を土足で踏み込んでしまったり自然を変えようとしまっている。

そうやって調和を崩してしまっているが故に色んな自然災害だったりウィルスが本来いるべき所にいない。

それが動き初めてしまっているというのが気付かないといけないと思う。

だからお寺としての影響というのは足を運ぶ人が少なくなっている。

 

あるいはマスクで距離が出来てしまう一方で命の尊厳をしっかり確認する事と命の調和を崩しているのは実は人間かもしれない。

これをお寺としても伝えていかないとダメなのかな、と思う」

【まとめ】

今回取材して思ったのは仏教というのは自分が知らないだけで身近に沢山あるという事。
そして仏教、お寺の大切さというのを取材を通して改めて感じたという事です。

ご住職の非常に分かりやすく優しさに満ちたお言葉は心に響くものがありました。

そして観音寺の歴史を紐解くと以前取材に行った光明院と縁があったというのは驚きでした。

 

お寺の歴史というのは宗派をこえて繋がっていて、それが歴史の面白い所だと思いました。

 

次回また、お寺を紹介出来ればと思っているので宜しくお願い致します。

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