有名畳職人が手掛けた竜の畳アートがある加茂市の本量寺とは

今回訪れたのは加茂市五番町にある本量寺

 

法華宗のお寺で本量寺こども園が併設されている。

 

このお寺は岐阜県の畳職人、山田憲司さんが手掛けた竜の畳アートが有名で度々メディアで紹介されている。

そんな畳アートがある本量寺に取材に行ってきましたのでご紹介したいと思います。

【本量寺の歴史】

長寿山本量寺は戦国時代に前身となる妙常寺(恐らく真言宗)があったが動乱により廃寺。

江戸時代初期に妙常寺から本量寺に変更し法華宗のお寺として復興。寺請制度の流れで整えられた。

また初代住職は無住だった本量寺に入り20年間、布教活動・お寺の整備を行ったという歴史がある。

本尊は日蓮上人がしたためているお曼荼羅(御題目の南無妙法蓮華経)を中心に釈迦如来と多宝如来が御題目を中心にして並んでいる。

本尊が二つあるのはお釈迦様が教えを乞いて多宝如来が第三者として、その教えを証明した事で本尊が二つお祀りしている。

【本量寺こども園の成り立ち】

昭和二十年から戦後のベビーブームがあり沢山の子どもを何処かに預けないといけない状況が日本にうまれた時に

土地があり信頼がある組織というとお寺や教会等の土地がある場所に保育園を建てるという動きが昭和二十~四十年代に進んでいった中で

大森さんの祖父・祖母が昭和三十年に本量寺こども園を開園。

 

本量寺の特徴として本堂の脇に木製の滑り台があるがわこの滑り台は本量寺こども園が一番始めに買った遊具で当初は室内に設置していたが昭和三十二、三年位に本堂の脇に移動。

滑り台を移動したのは法要をしている中で子ども達が遊んでいられる環境を保育園の経営と一緒に作り出した園の象徴となっている。

 

因みにお寺の幼稚園と一般の幼稚園の違いは基本的には無いが

教育の中で宗教的な教育が含まれているという部分がある。

 

一般の公立の幼稚園・保育園は宗教教育禁止だが私立の仏教系・キリスト教系の幼稚園・保育園では

宗教教育を導入する事で道徳倫理感を子どものうちに植え付けるきっかけとなっている。

本量寺こども園の場合、毎朝『ののさまのうた』を歌ったり毎日、仏様にお参りをしている。

本量寺こども園HP
http://honryoji.main.jp/

本量寺の見所

●迫力の竜の畳アート

庫裏側にある竜の畳アートは日蓮聖人が龍口(たつのくち)で斬首を免れた奇跡の出来事から750年を記念して岐阜県の畳職人である山田憲司さんにより制作された。

竜の部分は煩悩の数である108枚、背景は四十九日に因んで49枚の畳で構成されている。

この竜の畳は光の反射により見る場所によって色の濃淡が変わるのが印象的でした。

 

本量寺こども園が初めて買った遊具は本堂外に設置され、お寺の象徴となっている。

本堂の中には釈迦如来、お題目南無妙法蓮華経、多宝如来という法華宗特有のお祀り方法で仏像が祀られている。

右手にはアート展示スペースがあり加茂市を代表する画家の絵画等が展示されている。

■伯苑(はくえん)

令和3年の日蓮上人御生誕800年記念に加茂市出身の画家で日本美術院「同人(どうにん)※日本美術院トップ」の番場三雄先生が描いた白牛の絵(御生誕800年という意味付けで寸法は800㎜×800㎜)

■本量寺の全景図

現在、本量寺前は住宅街になっているが昔は田んぼが広がっていたという時代の移り変わりを全景図から読み取れる。

■ウルトラマン屏風

加茂市の屏風屋と円谷プロがコラボして制作した屏風

■秋を旅して

加茂市の工芸作家中村謙二先生作の漆の屏風

■青蓮華(しょうれんげ)

令和4年の『法華経』翻訳1616年記念で日本画家の森島明子先生により制作された絵が展示されておりサイズは『モナリザ』と同じ縦73cm×横53cmとなっている。

 

他にも画家の番場春雄先生による本量寺の絵等が展示されている。

 

 

山門を潜ると右手に見えるのが鬼子母神堂で子どもを守る鬼子母神という神様が祀られている。

お堂内部には奉納した提灯が吊るされており左奥には平成最後の年に記念して描いて貰った鬼子母神の絵が展示されている。

この絵には『田』『ノ』『し』『ム』が描いてあり全て合わせると最初の角のない『鬼』という漢字になる。

そして字をバラバラにすると『たのしむ』という読み上げる事が出来る。

鬼子母神堂に設置されているお祭りの案内看板には『鬼』の角をあえて消して書いており

これは鬼子母神の鬼の角をとり優しくなったという事を表している。

因みに鬼子母神堂での例祭は

 

毎月八日午後二時

 

大祭が五月八日(春)と十月八日(秋)

 

一の切、午前十一時

 

二の切、午後一時

 

となっている。

 

本堂の左側には番神堂、稲荷堂がある。

番神堂の中には地獄図が掛けられており子どもの道徳教育を作る一つの教育的効果があるのではと考えられている。

【本量寺18代目住職大森舜晃さんにインタビュー】

●アメリカ48州ヒッチハイク旅

大森舜晃さんはアメリカ本土48州(ハワイ、アラスカを除く)全てを旅をした経験があり

テントと寝袋を持って自転車とヒッチハイクをしながら各州を旅をしロサンゼルスから旅を初めロサンゼルスで旅を終了させたという。

 

この旅で車に乗せてもらった数は150台!

 

沢山のアメリカ人にお世話になった大森さんが旅の武勇伝として語って頂いたのは

 

ヒッチハイクした時にドライバーのおじさんがゲイで

車の運転中に彼の右手が大森さんの股間をまさぐり抵抗しながらも何とか切り抜けた、そんな怖い怖いヒッチハイク事件を体験した事だと語って頂きました!

 

そんな行動力のある大森住職にインタビューしましたのでご覧下さい。

Q:お坊さんになったきっかけとは

A:お寺生まれだから。他になる職業がなかったが自分の人生観の中で仏教が好きになれたのが良かったと思います。

若い頃は仏教が堅苦しいと思い嫌いな部分もあったのですが大学で勉強してから仏教は面白い宗教だと思うようになって自分で色んな体験をしていく内に仏教が大好きになりました。

 

だから住職家業をやっているのは自分の心の中では凄い幸せで、もっと一生懸命やりたいというポジティブな考え方で住職をさせて貰ってますね。

 

多分このまま私は幸せ感で良い仏教を積み上げていくのかな、と未来志向があります。

 

また、幸せ感を共有するには自分がどういうポジションなら一番良いスタンスでいられるのか?

という事をしっかり目指して幸せ感をきちんと皆さんに表現出来るお坊さんになっていきたいと思います。

Q:お坊さんになって良かった事

A:宗教には昔の偏見・差別等が引っ張ってる部分が大なり小なりある。

 

偏見・差別は時代と共に人間は軌道修正・反省して考え方が皆、柔らかくなって現在に至っている。

 

私は自己反省として中学、高校の時にLGBTに対して偏見を抱いていましたが

時代と共にLGBTがメディアで紹介されて、ようやく私も気持ちが分かる器が出来た。

 

中学、高校時代は残念ながら時代が古かった。

 

テレビや新聞の情報が足りない。教育者もいない。

 

教育者ですら気持ち悪いと言っていた。

 

 

そういった時代に育っていたから偏見がそのまま植え付けられていった。

 

時代と共にLGBTの方達でもそれぞれの悩み、苦しみがあったというのを気付いた。

 

自分もその時代に洗脳されている考え方を反省さぜるおえないのですが、それは古典宗教に至ってはもっとある。

そういったものを抱えていながら綺麗事を言わないといけない。

 

病気を持って生まれてきた人に対して、それは先祖の祟りだと言っていた時代があったわけですね。

 

それは仏教に限らず、どの宗教にもあり、それをありながら本当はそうじゃないんだよ

という事を宗教の裏側と表向きにどう解釈して乗りきって仏教は心の自由があるんだという事を示していくかという事は落差があり私の中では苦しみです。

 

苦しみだけれど昔のものは変えられない。

 

ただ、それの扱い方を丁寧にしていかなければならない。

 

究極の平和とはどのようなものだろうか?

 

と思った事は「気に入らない性格だ」と思う事は偏見で「どんな性格があってもしょうがない」と達観するしかない。

 

その達観が出来るか、出来ないかが人間の修行だと思う。

 

人間はどうしても好き嫌いがある。

 

でも好き嫌いがあってる時点で差別なわけで全ての人間が尊敬する所があるという視線を持っていないと、本当の心の自由度というのはあり得ないのだろうと思う。

好き嫌いがあるという事はまだ自分が未熟だと思えばいい、それが仏教のスタンスかなと思う。

 

私も怒る事がありますが、それはまだまだ修行不足であるという自覚を持っておけば心の柔軟性も切り替えれるし

怒ったとしても自分自身に対してまだまだ修行が足りないんだよという相手に対してクッション剤になる言葉のやり取りになるのかな

と今の私のスタンス。立ち位置ですね。

 

それを仏教的に表現出来るようになったのが私の僧侶になった喜びですね。

 

これが確立されたら私は上手に生きれる。

 

不器用にならない、どんな人間でもそれぞれ良いところもあるし

自分がムカついたら修行不足だと第三者的に見れるようにしとけば大方9割位の人間とは程々上手に付き合えるかなと思う。

 

奇人変人もいるので100%が難しい。それが精神修行だと思ってやれば仏教の理想に近い自分の人格を素直に表して生きるだろうと

仏教思想の影で確立された考え方だと思います。

 

その幸せ感がお坊さんになって良かったと思います。

Q:インターネットについて

A:日本に伝わっているお経は13000巻と言われているのですが、13000巻のお経を簡単に検索出来るシステムが出来ている。

 

お経が根本の哲学。ではお経には何が書いてあるのか?

 

調べるとその理由がわかってくる。

 

昔からの言い伝えできていたのが

 

『理由を知ると面白くなる』

 

そういった感覚がインターネットで明確に調べられる時代になったからこそ心のキャパが生まれたと思う。

Q:宗教教育について

A:以前、学校の食前の挨拶である合掌をして「いただきます」を取り入れてはいけない

という話があった事があるが合掌自体が仏教であり、その仏教を取り入れてはいけないという事はマナーが崩壊する。

 

私立では自由ではあるが公立となると微妙なラインになる。

 

社会常識を壊してしまう可能性があるという事が公立にはあり、柔軟に取り入れていくというのが政治家や役人のスタンスとしてあって欲しいなと思うのですが

白黒付けすぎるととんでもない文化崩壊に繋がる。

 

グレーゾーンがあって、そこに柔軟な考えを持っていくという事が人間的にどれだけ大事か?

 

という事を民間にいる人間は凄く感じる。

 

そこが公で仕事をしている人と民間で仕事をしている人とでお互い強調しあって今ある文化を壊さないように丁寧に扱っていく姿勢というのが、これからの新しい時代にもあって欲しいなと思います。

公立の学校よりも私立の学校の方がもっと多くあって欲しいなと思う事があります。

また宗教教育もグレーゾーンなので、いかがわしい宗教とを選別の仕方を冷静に判断出来る国民性を育てて欲しいなと気がします。

 

私も僧侶の格好を常にしていますが本当は小・中学校で授業してみたいです。

お坊さんも授業していいし子ども達に色んな影響を与えて子ども達自身が大人の話を聞いて取捨選択していく。

そういう事も大事だと思います。

そういった事を幼稚園や小・中学校で柔軟に取り計らって貰える経営をして欲しいし校長先生も柔軟で色んな事に対して受け入れていくような校長先生が増えて欲しいですね。

Q:豊かになる税金の使い方

A:国民もただ減税しろと言うのではなく税金をどういう風にして丁寧に使って

より多くの人が豊かに生活出来るのかという考え方を持たないといけない。

先の先の巡った税金の流れで助かっている面がいっぱいある。

例えば警察や消防、自衛隊、医療、教育全て税金の恩恵によって守られている。

そういった巡りめぐった考え方というのは、もっと色んなポジションに税金の恩恵が配分されて持ちつ持たれづな賢い国民になって欲しいな

という事を私は日本に求める事ですね。

 

税金が投入される事でチャンスが色々生まれてくる現実がある。

税金がなかったらチャンスも生まれないし職業選択も自由に行えなくなる。

 

昔と比べると今は職業選択はかなり豊かになってきているが、それだって税金が投入されているから生まれているというのが相当感じる事があります。

 

Q:お坊さんが坊主の理由

A:お坊さんになるには何故、丸坊主になるんだ?

と20代の頃に反発していましたが丸坊主の理由は何なのか?

 

と調べると色々な理由が多く書かれているが

理由の一つは髪の毛が飾りになる(長髪や茶髪等)

その個性を形に表すのではなく、その飾り(欲望)を反り落として全部心で表現するというスタンスを戒めとして髪の毛を反り落とすという話がある。

 

あと昔のお坊さんは山奥で修行をしていた。なので髪の毛があると虫がついて不衛生になってしまう。

身体の健康を保つ為に髪の毛を反り落として虫がつかないようにしている。

 

あるいはお坊さんがあまり言いたくない理由の一つ

昔、犯罪を犯した人が捕まると丸坊主にする。

 

丸坊主というのは犯罪人の象徴だった。

 

それと同じスタンスになる事がお坊さんの戒めになる。

犯罪人と同じように丸坊主にする、とお経に書いてある。

 

あまり言いたくはないけれど、それは自分を最下層に落として謙虚になるという事を象徴している。

犯罪人と同じになる事で髪の毛を伸ばしている人達は皆、尊敬の対象なんだよ

自分は一番最下層でどうにもならない立場、自分自身をおとしめる謙虚になる姿勢としての丸坊主であるという事を

お経を調べて衝撃を受けたが逆にそのおもむきをしっかり認識すると、やっぱり丸坊主でいないといけないと積極的になるんですね。

意味を知ったら丸坊主の方が逆にお坊さんらしくて欲を捨てるという意味でも身体の健康を守るという意味でも

あるいは自分を最下層におとしめるつもりでも、

この大きな理由を大事にして頭を丸めるスタイルを守っていく。

 

哲学をきちんとわきまえて自分の身体で表現する。

言ってみれば飾りを捨て、心で飾れというのならば心の飾りをもっと増やさないといけない。

 

心の飾りを増やすには一人でいても無理ですね。

 

色んな人と交流して色んな人の人生を知る。

 

言ってしまうと葬儀が一番大事で亡くなった人の人生を学ばせて貰っているというスタンスでいた方が色んな人生を学べる機会が増えてきますし

死ぬまで積み重ねていければ良い修行になると思っています。

【まとめ】

今回、加茂市の本量寺にて竜の畳を見に行きましたが畳を一週しながら畳に目を凝らしてみると色の濃淡の変化というのが顕著に分かるのは凄かったです!

 

他にも有名画家の作品が沢山展示されていたり新潟県にある他に類をみないアートなお寺だと思いました!

 

そんなアートのお寺が加茂市にあるので実際に見て欲しいと思っています。

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