正月に水行が出来る新発田の法華寺!荒行をこなしてきた住職の話とは

新発田市には寺町と呼ばれるお寺が幾つも集まった地域があるが

その中の一つ曹洞宗の相円寺で副住職の宗像さんと取材した後

 

次に行くお寺を紹介して貰ったのが今回、ご紹介する法華寺(ほっけじ)という日蓮宗のお寺である。

 

調べてみると正月に水をかぶる男女が水行を行う(男性は褌を締める)お寺だという事がわかり少し興味をもちました!

 

住職は本田義昌(ほんだ ぎしょう)さん

 

取材の予約を取るため電話が苦手なぼくは心の臓がドキドキさせながら

電話に出た本田さんと初めて話した時の印象は言葉使いからも優しい印象を受け

実際会って話してみると、底抜けに明るく優しい方なんだと思いました!

 

さて今回は初となる日蓮宗のお寺をご紹介したいと思います。

 

●相円寺の取材の時の話はこちら

テレビ取材でドキドキ!新発田の相円寺の副住職の話を聞いてきた!

【法華寺の歴史】

松見山(しょうけんざん)法華寺は慶長3年(1598)に日覚上人によって開山された。

彼は織田信長の家臣である坂井秀政の養子となるが後に出家し加賀(石川県)にあるお寺の住職となる。

だが坂井秀政が新発田藩の藩主である溝口秀勝の家臣になった事で彼につき従い新発田藩にやってきて

 

藩主の命によって法華寺を建立する事となった。

 

因みに新発田のお寺を紹介した冊子「巡る。」によれば法華寺の山号である松見山はお城から松の見える山として名付けられたようだ。

【法華寺の見所】

本堂左奥にはボケ封じがあると言われる法華経と日蓮宗の総本山である身延山久遠寺
の守護神、七面大明神が祀られているが

同時に法華経を信じる人々を守り悪縁を封じる力を持っている。

 

七面大明神の逸話としては身延山久遠寺に武田信玄が攻めてきた時に守ったと伝えられている。

 

また本堂には安産、子育ての神様である鬼子母神や「話しかけてくる」と言われる大黒天や本尊の前にある日蓮上人、不動明王、愛染明王、四天王の仏像等がある。

境内には新発田藩に尽力した窪田平兵衛武文や丹羽伯弘の墓や吉良邸討ち入りに参加した赤穂浪士の一人堀部安兵衛の母の墓碑等があるり

山門には見事な仁王像がドッシリとかまえている。

 

法華寺の主なイベントとしては

 

・毎月一日の七時に開催される祈願祭

 

・毎月十九日に開催される法華経講義

 

・十月十九日に日蓮大聖人の御命日法要「御報恩会式」がある

 

・母の日には堀部安兵衛の母の墓碑に手打ちした蕎麦をお供えしたり(死別した母の思い=あなたのそばにいたいをかけて)親子の絆を深める行事を開催している

 

・八月末の土日には寺子屋を開催

 

・正月には新春水行祈願祭が開催

 

詳しくは法華寺HPまで

 

【本田義昌さんにインタビュー】

●お坊さんになった理由は?

お寺の子として生まれた本田さんは子供の頃、お坊さんになりたくないという思いがあったが

小学五年生の頃に沙弥校(しゃみこう*お坊さんの卵を育てる場)に通った時に

プロの説教師の話に感動し今までのネガティブな気持ちを払拭してくれた。

 

だが中学に入ると荒れていったが転機となった出来事があった。

 

それは中学三年生の頃に父親が倒れた時の事。

 

死ぬかもしれない父親に対して

 

「お坊さんになっていい」と言った所

 

「お前なんかなれないよ!」

 

と言われてしまい、その反発でお坊さんになる事を志す。

その後、日蓮宗の学校である身延山高校に入学した本田さんは

身延山久遠寺の本院生となり規則正しい寮生活や厳しい修行で参加した学生38人の内、8人になってしまった事があるという。

 

身延山大学では雑務をしながら仏教学部で学び、信行道場で35日の間、お坊さんのスキルがあるかテストされ

大学卒業後には「日蓮宗加行所(大荒行堂)」で100日間の荒行(1日7回水をかぶり後はお経を読む生活)を行い修法師となる。

 

その後、修法師となった本田さんの元にあるお寺からお経を読んでくれないか?

 

と頼まれた事があったそうだ。

 

 

その理由とは

 

何かにとり憑かれた獣のような目と唸り声を出す女性がいて

その女性を元に戻す為に呼ばれたのだった。

 

 

だが必死に仏に祈りを捧げたが

 

 

 

 

女性は元に戻らなかった。

 

 

 

 

この時、本田さんは100日間の荒行も役に立たなかったと思ったそうだが

 

住職に感謝された事で嗚咽をする位、泣いたと語っている。

その後、何かに憑かれた人達が本田さんの元に毎日来た事で

そういう人達の為に役にたちたい、おそっさま(日蓮大聖人)に恥じないように生きよう。

 

そう心がけるようになり36歳で法華寺の住職となる。

 

●修行は大変?

日蓮大聖人が「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて」

と語っているように

何事も嫌だと思ってやると切なく感じたり、苦しみの後の達成感を感じたり全ては心のもちよう。

 

修行時代の話に関しては

 

修行というのは、ある一定の所にいくとどうでもよくなっていく。

 

そして欲も無くなっていく

 

と語って下さいました。

これはある種の慣れのようなものなのでしょうか?

人間には良くも悪くも慣れるという能力があり過酷な環境でも毎日生活していく内に慣れていくという事があります。

 

もしかすると、そういう事なんだと思いました。

 

●お坊さんのやりがいとは?

法華寺では毎月19日に勉強会をしているが一人一人に法華経を教え来られた方に来て良かった!

 

と思えるのが自分の幸せで自分の存在意義がある。

 

その人が必要としている存在=需要と供給があるという事で

怒っている人を冷静にさせたり話術で学ばせる事がお坊さんの役目。

●本田さんの好きなお寺とは?

身延山久遠寺が第二の故郷で自分の居場所がある。

第二の故郷とは自分にとって印象深い、思い入れのある場所の事。

 

ぼくにもそういった場所があり

 

そこはネパールのボダナート。仏画を学び、チベットの文化を感じ、沢山の人達と出会えた場所だからこそ自分の居場所と思えたという事があった。

第二の故郷とはそういう場所なんだと思う。

 

●これからやってみたい事とは?

思い付いた事はじゃんじゃんやっていると語る本田さん。

今度は法華寺をデートスポットにしようとしているみたいだ。

 

●お寺の衰退について

必要とされるお寺にしないと衰退していく。

ニーズにあったお寺に変わっていかなければならない。

 

お寺とは心の反省をする所、生きていく人の礼拝所であり

そこで自分と向き合ったり生きる教えを説いていく=教えのあるお寺は生き残っていく。

 

逆に必要とされないお寺は潰れていく。

 

【まとめ】

今回、本田さんのお話を聞いてみて

何だか法話を聞いているような感覚になりました。

普段法話を聞く機会がないぶん本田さんの法話のような語り口調は新鮮で聞き入ってしまいましたが

 

今回も法華寺という素晴らしいお寺を知る事ができ良かったと思います。

 

新発田には、この他にも沢山のお寺があるので気になる所です!

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