新発田市中央町(寺町)にはいくつものお寺があるが、その中の一つ
相円寺(そうえんじ)に今回は取材に行ってまいりました!
このお寺の事を知ったきっかけは絵のお仕事を頂いた阿賀野市の優婆尊からのご紹介で
色々催しをしているお寺だという事を教えてもらった、ぼくは相円寺に連絡をとり副住職の宗像義順(むなかた ぎじゅん)さんに会いに行く事にした。
実はこの時Teny(テレビ新潟)同行の元の取材だったので、いつも以上に緊張したインタビューでしたが今回もお坊さんの貴重なお話を聞けたのでご紹介したいと思います。
【相円寺の歴史と見所】
宝珠山相円寺は釈迦牟尼仏を本尊とする曹洞宗のお寺で創建は1542年8月28日
このお寺に来て驚いたのは本堂が二階にある事だ。これはお寺の中でも珍しい形かも知れない。
相円寺は蒲原三十三観音の一つで二十五番目の札所となっていて本堂前の観音堂には元々の本尊である千手観音菩薩が奉られていて、その両隣には不動明王、毘沙門天の仏像があり
左側には優婆尊が鎮座している。
この観音堂の中で印象的なのは時代を感じさせる提灯や千羽鶴がいくつも掛けられ写真映えするお堂でした!
また相円寺には初代新発田町長で歌人、書家の原宏平(はら こうへい)が眠る墓所がある。
相円寺までの行き方は新発田駅から徒歩9分、新発田市中央町2丁目2-5に位置している【地図】
駐車場が無いので車で来る場合は本堂前の駐車スペースに停める事になる。
【宗像義順さんにインタビュー!】
●お坊さんになった理由
宗像さんがお坊さんを目指した理由はシンプル。お寺の男の子として生まれたからで
他のお寺生まれのお坊さんのように初めはお寺を継ぎたくないという思いがあったが
やりたい事が見つからなかった宗像さんは親のススメで駒澤大学に行き
卒業後永平寺に四年間修行する事になる。
また、駒澤大学は曹洞宗の大学で入学式と卒業式は般若心経をあげる仏式で
宗像さんが在籍した仏教学部という所は曹洞宗の開祖道元の思想等を学ぶ所で
お坊さんじゃないと入れない竹友寮(ちくゆうりょう)には同じ境遇の仲間達がいて居心地が良かったとの事です。
●修行時代の話
宗像さんはお坊さんになりたいわけではなかった為、最初は永平寺での規則正しい生活に合わせるのがしんどかったが最終的には心地よくなっていくのだそう。
●お坊さんになって良かった事
生きるのが楽しくなってきた!
と語る宗像さん。
釈迦の教えは生きている人の為の教えなので
思い通りにならない事が溢れている、そういう社会の中で生きずらさを感じている人達を和らげる事が出来るので
お坊さんさんになって、仏教と出会えて楽になった、と語ってくださいました。
●趣味について
子供時代はサッカーをやっていたが今は読書が趣味で特に仏教関連の本を読む事が多く
中でもオススメは新潟県長岡市の真言宗の僧侶、諸橋精光著
般若心経絵本
という本で般若心経を分かりやすく絵で説明した本です。
●好きなお寺は?
四年間修行していた永平寺が印象深く山の中にあるのでマイナスイオンが出ていて気持ちよく、ためになる事だらけだったとの事です。
●日々大切にしている事
狭い見方をしないようにする事。
そして、固執しないようにする事。
本が好きなのでついつい本に走ってしまったりFacebook(情報収集の為)をやり過ぎたりしないように気を付けているみたいです。
●これからやっていきたい事
仏教の中身を仏教以外のツールを使って伝えていきたいとの事で
相円寺で開催されるヨガだったり食育を伝えるドキュメンタリー映画『いただきます みそをつくる子どもたち』のお寺での上映等、こうした活動を今後も行っていくようです!
●お寺の現状とは?
檀家離れや墓じまいが多く、お墓があるからお寺に墓参りに来るのではなく
生きている人の為の教えだったり若い人が来るようにする本来的なお寺の役割を通す。
●お寺の衰退について
気にしなくても、やるべき事をやる。
仏法を興じながら伝えていく事で結果、自然に色んなものがついてくる。
【まとめ】
今回もお寺に取材しに行きましたが宗像さんのお話など普段、法話を聞く機会がない為か自分にとっての気付きだったり
お坊さん一人一人の人生ストーリーを聞く事が出来るのでお話を聞く機会が出来るのは嬉しい限りです。
またお寺を知って貰うために記事を書いている訳でありますが、取材の為に自分からお寺に連絡をとったり話したり
元々ぼくは他人と積極的に話してこなかった方なので、お寺を盛り上げる為のアート企画というのを始めなかったら
こうした取材もなかったので色んな人と話している自分に驚いている限りです。
相円寺周辺には曹洞宗以外の宗派のお寺もあるので
どのようなお寺なのか?どのような住職の方なのか?気になる所です!
ので、今後も取材を続けようと思います。
続く。