『新発田の鬼子母神』顕法寺の住職にインタビューしてみた話

新発田寺町にある法華寺からの紹介で訪れたのが同じ日蓮宗のお寺である顕法寺(けんぽうじ)だ。

 

このお寺は鬼子母神という子供、安産の守り神を祀っていて毎年5月8日に御開帳がある。

普段は鬼子母神の仏像を見る事が出来ないがレプリカが代わりに見る事ができ

昔はこのレプリカを新潟へ持っていき信者の人が拝んでいったという(製作年不明)

 

【本堂は国登録有形文化財】

妙栄山(みょうえいざん)顕法寺は万治元年(1658年)創建で二度の火災にあった歴史があり

現在の諸堂は新発田大火(1895年)後の建設で本堂は国登録有形文化財になっている。

 

また、本堂内に提灯がいくつもあり一番目を引くのは巨大な提灯で元は二つあったが子供がぶら下がった事で壊れてしまったようだ。

 

顕法寺は鬼子母神のお寺なので他の日蓮宗のお寺とは違い

中央に鬼子母神を祀っていて右側に日蓮上人の仏像を祀っていて形になっている。

 

顕法寺の位置はこちら【地図

【鬼子母神の正体】

鬼子母神は元々ヒンドゥー教のヤクシャ(悪鬼)のハリティーで500人とも千人とも言われる子供を持っていて

自分の子供達を養うために人間の子供達を食べていた為、見かねた釈迦がハリティーが最も愛していた末の子供を隠してしまい

ハリティーは半狂乱となって探したが結局見付からず

釈迦に助けを求めたところ子供を失う親の悲しみ悟り、改心して子供を守る神様となったという。

 

【青木泰俊さんにインタビュー】

前回に引き続き今回もお坊さんにインタビュー形式で話を進めていきました。

今回は顕法寺の住職である青木泰俊(あおき たいしゅん)さんにお話を参りましたのでご覧下さい。

●お坊さんになった理由

世襲だからという事が大きく若い頃は教員をやっていたが(お坊さんになりたくない反発で)

父親が亡くなった事をきに出家をする事になった。

 

修行は三五日間で現在は一週間のテストを経て行かないといけないが当時は義務ではなかったようだ。

 

なを修行の内容としては

 

水を被ったりお経をあげたり

 

お坊さんの講義を受けたり、所作に関してや色々なお寺を巡ったりしたみたいです。

 

●やりがいは?

 

お坊さんは生き方。

 

宗教家として、どう生きるか?

 

個人的な悩みというのはないが悩みのある人の受け皿になりたい。

 

●好きなお寺とは?

 

きちんとお庭が手入れされているお寺や先人が残したお寺は凄いと思う。

 

●日々大切にしている事とは?

 

人間を大切にしていきたい事。

 

また、お参りにきた人とちゃんと話をしたりする事を大切にしているようです。

 

●やってみたい事

 

色々やってきた。暇があれば本を読んだり山を歩いたり、スキーをしてきた。

 

●お寺の衰退について

 

大きいお寺は経済的にいいかもしれないが

田舎のお寺は経済的に豊かではない(檀家が少なくなってきていて)

 

お寺は衰退していく。

 

あるアンケートによれば

 

仏教を信用出来ますか?に対して肯定的な意見が90%いて

 

次にお寺は信用出来ますか?というのが3割

 

お坊さんに関しては10数%しかないらしく

 

こういった、もろもろの原因としては住職の話を聞く限り

 

次のような原因があるらしい。

 

 

様付けの人が戦後変わってきた(先生や警察など)

 

権威が戦後無くなってきた。

 

 

先生のいう事が当たり前みたいな時代ではない。

 

 

権威としての宗教が無くなっていき中身が問われていて

檀家がお寺に来てもらうような事が、お坊さんの勤め。

 

また、祈祷等で人を呼ぶ事はこれからも進んでいくようです。

 

【まとめ】

本堂が文化財登録されているようだったけど近くには

文化財登録されている本堂があるお寺がいくつかあるようでした。

今回他のお寺の紹介がなかったので、日蓮宗のお寺は個人的に探す事になりそうですが

取材に行けそうなお寺があれば紹介していこうと思います。

続く。

最新情報をチェックしよう!