書家の弦巻松蔭が書いた山号額と門柱がある新発田の普門寺とは?

前回訪れた村上市の普済寺の紹介で取材に行く事になったのが

 

新発田の普門寺(ふもんじ)という曹洞宗のお寺。

 

住職の角一法侖(かくいち ほうりん)さんは尼僧(にそう)さんで

 

普済寺の住職角一覚隆(かくいち かくりゅう)さんの娘さんである。

 

 

法侖さんと初めて出会ったのが五泉市の永谷寺で取材中に普済寺の方々が来られた時の事だった。

 

後日ぼくは普済寺に取材に行く事になるのだが、その時の話はこちらでまとめておきました。

角一住職が築き上げた美しい庭園がある村上市の普済寺に行ってみた

さて、今回は法侖さんが住職を務める普門寺について紹介していこうと思う。

 

【普門寺の歴史・イベント等】

願入山普門寺は明治の終わり頃に開かれたお寺で代々尼僧さんが住職を務めてきた。

元々普門寺は新発田の猿橋にあったのを昭和五十年末に現在の住吉町に場所が移ることになった(普門寺にあるお地蔵さんは元々猿橋にあったものを持ってきたとの事)

 

四代目の石本観光師は96歳で生涯を閉じたが

 

きちんと伽藍(がらん*お寺という意味)を整えていれば次の方が来る!

 

という信念を持っていた。

 

その言葉通り、後取りがいなかった普門寺の住職にと法侖さんに話がありお寺を継ぐことになる。

 

石本観光師は北区の廣泰寺生まれで普門寺で育ち昭和十四年に得度を得て小出町の尼学林に入学し、卒業後東京の三鷹にある観音寺尼僧堂で修行した後に普門寺に戻る事になる。

戻った後は書道・華道・茶道等に邁進し地域の人に親しまれてきたという(『普門寺だより第1号』参考)

 

普門寺の本尊は阿弥陀如来だが秘仏で法侖さんもまだ見た事がないらしく、いつかご開帳したいとの事。

 

前立ち(本尊の前にある仏像)はお釈迦様で彫刻家の山脇敏男作)

また書家の弦巻松蔭による山号額と門柱があるが昭和六二年四月八日に観光師によって作られたもの。

 

*弦巻松蔭は現在の北区葛塚に生まれ(1906年)で三才になると母のイクが逝去し

五歳になる頃には父親の耕治から書の手ほどきを受ける事になる。

21歳で父親も亡くなり翌年池田鵞村に書を習い昭和11年30才で上京。その後は数々の創作活動を続け1995年に89歳で亡くなる。

 

彼の作品や道具などは新潟市北区郷土博物館の常設展で見る事が出来る(写真撮影不可)

 

普門寺では坐禅会をやっていて第二土曜の13時半から開催(坐禅45分+勉強会)

 

第四土曜日は普済寺で坐禅会。

 

勉強会も含めているのは、青山俊董老師からの教えで、きちんとした学びがないと自分勝手な間違った坐禅になる危険性があるから勉強会が必要との事です。

因みに普門寺の名前の由来は観音菩薩の意味を指す普く(あまねく)開かれた門が由来となっている。

 

普門寺の位置はこちら【地図

駐車場がないため車で来た場合、境内に停める事になります。

【角一法侖さんにインタビュー】

●尼僧さんになった理由は?

お寺に生まれた事もあって仏教の教え(死生観等)に興味があり、仏教の話を家族とよくする子供だったという。

小学五年生の時に普済寺にて得度をうける。

そして、中学時代に、よく遊んでもらっていた年が一個上の男の子が虐めにより自殺してしまった事に

衝撃を受け、その時から虐め、差別するとはどういう事なのだろう?

と考え初めた。

 

悩んでいた法侖さんに父親から言われた言葉が

 

隻手(せきしゅ)の声を聞け

 

 

という禅僧の白隠慧鶴(はくいん えかく)の言葉

 

 

この言葉の意味は両手を打って鳴らす音という相対的なものの見方ではなく片手の音というのを聞いてみよという意味で

 

人と違うからいじめる、排除するという、比べあいの世界ではない

 

それとは違う見方があるんだと思い、そういう生き方や仏教をもっと知りたいと思った法侖さんは

大学卒業後、愛知専門尼僧堂で堂長の青山俊董老師の元で学ぶことになる。

 

●修行は大変?

尼僧堂の修行は、日々のお務めを他の修行僧ととも行じていく中で、自ずと我が捨てられていきます。

 

自分のわがままを通せない、あれしたい、これしたい事を捨てて

その時々のあり方をそのままに全うする、淡々としている生活の中で今ここに生きている。

 

一日一日を生きていく、尼僧堂の修行時代は長くもなく短くもなくジャストサイズだった。

 

また、名古屋の尼僧堂では座禅の修行期間である接心(月一回三日間)で、堂長老師のご提唱(講義)があり、仏教の教えを親しく学べた所がありがたかった。

 

出家した方が多く年齢層も幅広かったので、そういう人から学べた事が多かったという。

 

●尼僧さんになって良かった事

 

良いことも悪いこともあるがままの命の姿。

仏教の教えに出逢えたこと、そして尼僧堂で良き仲間、師に出会えた事がお坊さんになってありがたかった。

 

●好きなお寺とは?

福井県にある天龍寺。尼僧堂の後輩がいるお寺で一般のお寺だけど

道場となっていて、そこは坐禅中心で生活が成り立っている所が好き。

 

観光としては山形の玉川寺。

 

お庭がわび・さびがあってシュウメイギクが綺麗との事です。

 

■天龍寺HP

■玉川寺HP

●好きな言葉とは?

 

「遇一行 修一行」

 

出会った事にそのまま向かっていく。今、ここを行ずる。

●やってみたい事

尼僧堂時代の仲間たちと「禅の集い」を開催したい。

 

もっと人に来ていただいて仏法を繋いでいきたい。

 

また、お庭にもっと草花を植えてサワサワした気持ちのいいお庭にしたいとの事です。

●お寺の衰退について

 

檀家離れがあって現状は厳しい。

 

昔の人がもともと持っていた人間の力以上のものを畏れる心(素朴な信仰心)がだんだんと薄れて来ている。

葬式や法事等、檀家に頼っているお寺ばかりだと衰退していく。本当に人々に必要とされる、苦しみに寄り添い支えとなるお寺が必要。

【まとめ】

今回初めて尼僧さんのお寺に行ったけど普門寺はこじんまりしていて

いい感じのお寺でした。

 

絵の依頼をもらった五泉の百観音院もそうだけど小さなお寺は大きなお寺とは違う魅力があり

地元に密着しているからこそ愛されているお寺だという事がわかります。

 

他にもまだまだ普門寺のように魅力に溢れたお寺があるので行ってみたいですね!

 

新潟のお寺を紹介する旅はまだまだ続きます。

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