角一住職が築き上げた美しい庭園がある村上市の普済寺に行ってみた

 

新潟県村上市にある普済寺という曹洞宗のお寺は、お庭が美しい事で有名で参拝者や観光客がよく訪れている。

 

ぼくと普済寺の出会いはぼくが五泉市の永谷寺に取材に行った日にたまたま普済寺ご一行が永谷寺本堂の天蓋を参考にと見学に来られた時の事だった

 

その日、ぼくは住職と取材の許可をもらい後日、改めて取材の日程を申し込んで普済寺まで行く事にした。

 

【普済寺の歴史と行き方】

大葉山普済寺の創立は1527年。

 

1497年に耕雲寺の住職が普済寺に入り、戦国武将の鮎川清長の援助でお寺の基盤が築かれた。

 

1599年に上杉氏が豊臣秀吉の命で会津に移動になった為、上杉家の家臣である鮎川家もそれに従ったので居城である大場沢城は廃城。

 

1856年7月5日に火災に遭うが1862年に再建され現在の本堂になる。

 

詳しくは普済寺HPまで

 

今回ぼくは普済寺まで新発田側の国道7号を真っ直ぐ行き

途中、村上市の義経ゆかりの多岐神社にある不動滝に行った為時間がかかってしまったが国道7号まで戻り

 

県道205号を右折し進むと信号があるので県道349号へ行く道を行く(高速道が見える)

 

すると普済寺と書かれた看板が見えるので、後は道なりに沿って進むと丘の上にそびえる普済寺が見えてくる。

 

(高速日東道 朝日三面インターから右折 約3分で普済寺入口の看板が見える)

 

詳しく地図を参考に【地図

【普済寺の見所】

 

見所としては、やはり角一覚隆住職が築いた庭園で水が浸透する地形を意識しながら庭を作ったという事もあって

山から流れ出る湧き水と日本庭園ならではの絶妙なコントラストが見事に表現されている。

 

本堂内には村上市の名工有磯周斎(ありいそ しゅうさい)の天井画が描かれ必見である。

*角一さんの話では天蓋はつけない事にしたそうだ。

 

また本堂に続く階段沿いにも角一さん肝いりの石組みによってお寺参道を彩っていた。

山の方へ続く道を曲がって歩き続けると季節折々の花が植えられ、案内してくれた時には見事なアジサイが花開いていた。

また階段を登り続けると、お寺を見下ろすように薬師如来を祀った薬師堂へ辿りつく事が出来る。

その近くにある墓所には歴代住職の丸い形をしたお墓があって五泉市の永谷寺にあるオボト石と似た形をしている。

大葉澤城跡はお寺のすぐ上の山にあり城域は雷神社のある宮山から普済寺の南裏の山にかけて東西約700メートル、南北約200メートルにわたっていて、今でも畝型疎塞(うねがたそさい)や曲輪(くるわ)などの遺構を見学することが出来る。

 

【角一住職にインタビュー】

●角一覚隆さんの半生

角一覚隆さんは広島県で育ち、子供の頃は身体が弱く小児結核を患い療養生活を送る少年時代であった。

 

中学に進学すると入院などで度々欠席した為、中学を留年。

 

高校に進学すると病気は治り運動をしたい!という強い思いでボート部に入部。

 

在学中は国体を三回、インターハイを二回出場し遂に三年生になるとキャプテンになる。

 

だが国体が終わると空虚感を持つようになり三年生の卒業式前に海外に行きたいと思うようになったという。

理由は農業をしたいと思う事が海外に目を向ける動機だった。

 

その後、角一さんは建設会社に入社。

 

建設会社で重機のオペレターの技術を習ったことと外務省の管轄である豊橋市の海外移住研修所に入所。その後、養蜂技術の研修生として日本各地を回り そこで仏教とか禅について先輩から教えを受けて感化された。

 

その後、大榮寺に修行に行く事になる。

 

己事究明という禅語のように

 

自分とは何だろうか?

 

それを解決したいと思ったのが、お坊さんになるキッカケで

つまり、青春の苦悩の中で自分の人生をいかに人と生きていくのか?

 

それは正しいのか?疑問があった。

 

大榮寺にて八年もの修行の末、一年間札幌のお寺に行った後に普済寺にやってきた。

 

その時、32歳。

 

だが普済寺に来て1ヶ月後

 

先代の住職が亡くなり本葬や晋山式(住職になる為の儀式)といった難題が来た途端に起こり

先代の三回忌にあわせて本葬と晋山式を行い、晴れて普済寺の住職となる。

 

普済寺の入り口に『吾常于此切』と書かれた板があるが、これは角一さんが大切にしている言葉で

 

吾れ常に切(せつ)なり

 

つまりは、今やる事をやっていく。

 

この禅語を胸にお寺や庭園作りをまい進していく事になる。

 

●お坊さんになって良かった事とは?

 

深く考えた後、こう語ってくれました。

 

何事もよくない事は無い。

 

 

生きていくのは人と比べるものではない。

 

 

何かと比べる事はないが好きに生きてきたな、と。

 

●好きなお寺とは?

 

新発田にある香伝寺。

 

掃除が行き届いていて、清々しいお寺。

 

普済寺もまた綺麗なお寺だが

汚れていても汚れていなくても関係なく掃除をする生き方「不染汚(ふぜんな)の修証(しゅしょう)」が関係しているようだった。

 

●オススメの村上市の観光スポット

村上市といえば町屋めぐりが有名だが角一さんのオススメは縄文の里

 

縄文の里は旧朝日村にあるダム開発で沈んだ

奥三面集落の縄文時代の歴史遺産の展示や火起こしやまが玉作り等の体験型ブースがある博物館。

 

詳しくは縄文の里HPまで

 

因みにぼくは取材の後に日本百名滝に選ばれている鈴ヶ滝に行ったけど凄い迫力であった!

 

●角一さんがやってみたい事

 

庭園を整備して、もうひと頑張りしたい!と語る角一さん。

 

発展し続ける普済寺の庭園はどのような形になるのか?

 

気になる所です!

 

●お寺の衰退について

 

檀家が少ないから、それがお寺の衰退に繋がっている。

 

元々は檀家制度が今は制度が無いのも理由の一つで、どなたでも来る事が出来るお寺が必要。

 

檀家だけでお寺の維持が出来る訳ではなく、それ以外で維持が出来ればよく

檀家にとらわれる事なく人が訪れるようなお寺になれば、と私は思っている。

 

【まとめ】

新潟の庭園を紹介した冊子「にいがた庭園街道」に紹介されているお寺だけあって

 

庭園が凄いお寺であった。

 

しかし、その裏では角一住職一代で庭園作りを格闘の末に造り上げた、たまものだと思いました!

 

最新情報をチェックしよう!