今回、取材に伺ったのは五泉市石曽根にある真福寺という真言宗智山派のお寺で
越後薬師霊場20番札所として数えられている。
インスタグラムで真福寺の事を知ったぼくはお寺に連絡をとり、ご住職の菊入教理さんにインタビュー取材を行いましたのでご覧下さい。
【真福寺の歴史】
医王山真福寺は1576年開山と伝わる。
真福寺の護摩堂は様々な願い事や仏様を供養する為、今回新しく作ったもので明治時代までは
どうやら護摩を行っていたようだが、いつの間にか廃れ護摩の壇も無かった状態だったが旧本堂を解体する工事をしていた過程で護摩に使う仏器が発見された。
その仏器に明治時代と明記されていたので護摩が明治まで行われていたというのが判明する。
昭和になると護摩をしているという事は無かったようだが今回新しく本堂を作るという事で護摩堂がどうしても必要との事で作ったようです。
また護摩では不動明王が中心になるのだが真福寺では地蔵菩薩を本尊として祀り護摩を行っている。
なぜ地蔵菩薩をお祀りしているのか、というと真福寺の所在地は旧菅名村にあり遺跡を発掘していた時に地蔵菩薩の仏像が出てきた。
その仏像を真福寺に祀り地蔵講を大正時代にはよくやっていたので、護摩堂の本尊として台座や持ち物も無かった地蔵菩薩の仏像を修復し新しくしたものが安置されている。
また五泉地域では護摩祈願を行っているお寺は少ないが
真福寺の落慶法要(新築や修理の完成を祝う法要)の際には弘法大師の生誕1200年の記念の年なので
記念の慶讃法要を務めた際に檀家さんや寄進して下さった方の願い事を護摩木に書いて頂き、その護摩木を燃やして皆さんの健康、願い事を祈願した法要を務めたという事があったようです。
【真福寺の見所】
お寺の内部は大きく三つにわかれており中央が本堂、右手が護摩堂、左手が位牌堂。
本堂のご本尊様は薬師如来。
両脇にあるのが日光菩薩、月光菩薩、その回りにあるのが十二神将。
その奥にある脇侍は右側が弘法大師、左側が興教大師覚鑁(かくばん)
覚鑁師は根來寺(ねごろじ)というお寺で真言宗の中興を成された方。
両脇にかかってある掛け軸は真言宗の八祖(真言宗を伝えてこられた八人のお坊様)
右側の護摩堂のご本尊が地蔵菩薩。その他は聖観音、不動明王、大日如来、荼枳尼天(だきにてん)等が祀られている。
また旧本堂で使われていたものと新調した八祖、両界曼荼羅が掛けられている。
左手の位牌堂には檀家の皆さんのご先祖様のご位牌が置いてあり、地蔵菩薩、水子地蔵が祀られている。
外には石像の地蔵菩薩があり、それが菅名村の遺跡から発掘されたもの。
【本堂を新しくした理由】
旧本堂というのが元々建物自体が茅葺き屋根にトタンを上に被せたものだった。
茅葺きの屋根というのは年々茅が腐ってきたりするので定期的に入れ替える必要があるのだが、トタンをしているので長い間、入れ替え作業をしてこなかった。
トタンのペンキを塗り替えたりしていたが茅が段々、年をおう事に痩せてくる。
そうすると今まで茅の上にトタンが乗っていたのが茅の嵩(かさ)が少なくなる。
そうすると屋根と茅の間に隙間が出来てしまう、そうするとそこに風がふいてどんどん屋根を痛めてしまう事になってしまうので
それを修復、修繕出来ないかという事で護持会で専門家を招いて相談した所、本堂建て替えに近い修繕費がかかってしまう。
また旧本堂は200年前の建物だったので建物自体が歪んでいたりしていたので屋根を取り替えたとしても段々躯体(くたい、建物の骨組み部分の事)自体がずれてくるので何年ももたない
もしくは屋根をあけ躯体の状態を見ると修繕は出来ないという可能性があった為、平成28年に建て替える事業が始まった。
【年中行事】
お盆の供養と年末のとぎ米法要の二つ。
昔は春に仏生会、花祭り、団子まきを行っていたようですが無くなってしまったようです
■真福寺公式インスタグラム
https://www.instagram.com/sinpukuji_gosen
【菊入教理さんにインタビュー】
●修行時代の話
大学を一年間休学をし本山の智積院に修行に入った菊入さんに待っていたのは朝1時、2時に起きる生活。
最初の1ヶ月は貰った経本にふりがなをふって覚えていたという。
全くお経を読んだことも無かったので覚える事の大変さ辛さがあったとの事と
テレビが観れない、電話が無い、新聞も無い、外には出れないという生活だったので当時20歳の菊入さんには大変だったとようです。
また当時を振り返ると大変さよりも檀家さんが待っているよ、という気持ちだけで修行にはげんでいたとの事です。
一年間の修行後、本山を下りすぐに住職になったが東京の大学もあったので自宅があった埼玉との往復生活だった。
週末になると埼玉から車で新潟まで来て法事やお寺の事務をする。
日曜日の夜になると埼玉に戻り平日は学校に行くという生活を続けていたので四年間は年間50回位は行ったり来たりの生活だったようです。
●お坊さんになって良かった事
「私はお坊さんにならなかった人生を経験していないので、なったからこれが良かったというのは分かりませんが
色んな経験はさせて貰っていると思います。
人生の沢山の経験を僧侶としてさせて貰っているというのは非常に感じます。
それは人との繋がりだったりが主な所だと思います。
当然、人の想いと触れる事の人生はそうそう無いんじゃないかと思います。
お寺を建てるという所に関して人の想いがあるからこそ、こうやって立派な本堂を建てる事が出来た。
その想いに直線的に触れる事が出来るのは恐らくお寺の中では私しかいないと思うんですね。
檀家さんと一人一人とお話する、そういった所を含めて人の想いで成り立っていますから
そういった意味では普通の俗人として人生を歩んでいたら絶対こういう経験は出来なかった。
大変な思いもありましたが反面、有難い経験をさせて頂いていると思っております。」
●コロナの影響
「皆さんが中々お参り出来ないというのが、お寺として困った。
皆さんにもう訳ないな、という事。
工事という所で言うとコロナの影響というのは大きくなく被害を被ったのは運送、輸送関係だったりでコロナにより中国の工場が止まってしまうという所が大きかった。
基本的に輸送という所に関してはコロナが始まる前に大きな材料というのは業者さんの所に抱えてもらってましたし
海外のものは殆ど使っていなく目に見える材料は国産を使っている。
そういった意味でコロナの影響は少なかった。
ただウッドショックという所で言うと輸入材というのが無くなってしまって国産産材を使う事になったが国産材も無くなってしまった。
大きい材料は事前に集めていたが細かい床下の材料が入らなくなってしまい工事がストップしてしまったという状況だったので
そういった意味でウッドショックの方が影響が大きかった。」
●檀家さんについて思う事
「お寺は私も含めて檀家さんと一緒に作ったものですから当然檀家さんがいなければ、
お寺というものは成り立たないですし、今後は檀家さんが人口が減っていくのと同じように
世帯が減っていくのは檀家さんが少なくなっていくというのが将来見えている事ですから
お寺は今後どのように維持していくのかという事が非常に大きな問題だと思う。
そういった意味では今の状況でなければ、この先10年後にこの事業が出来たか?
と言えばそれは絶対出来なかったと思う。
色んな困難・苦労がありましたが、この檀家さんでなければお寺建て替えの事業は成し遂げられなかった事ですので皆と一緒に作ったんだという所の思いしかないですね。」
●お寺の衰退について
「日本の人口が少なくなり出生率が下がっている。
という所から当然世帯数が減っていく、という事が衰退と捉えられるのかもしれないけれど
少なくとも私は衰退しているお寺がこんなに立派に建て替えれなかったと思う。
衰退=宗教離れという言葉はありますが、今も昔も変わらないと思います。
当然檀家数は減っていく。
檀家が支えていたお寺という意味では数が少なくなっていくのは当然の事だと思います。
だけど、それで仏教やお寺が衰退していくのかと言うとそうではない。
そういう意味では今、皆さんが求めている物を的確に捉えなければいけないというのは住職の勤めであるし
檀家さんがこうあって欲しいというお寺であるべきだと思います。
それに対しては真摯に向き合ってお寺の運営をしていきたいと思います。
色んな時代が変わればお寺の維持をする方法も変わっていくと思うので、そういった意味でもインスタグラムを始めたという所もあります。
ただ、今までは檀家さんのお寺だったが、それだけではお寺の維持というのは難しくなっていく時代になってきたのだと思う。
そういった意味では色んな取り組みをやっていかないという風に思っております。」
【まとめ】
今回訪れた真福寺で初となる真言宗智山派のお寺の取材でした!
ご住職は穏やかな方で取材に対して真摯にお答えして頂きました。
新しく出来た本堂内は気持ちよく、お寺の歴史を語る仏像が祀られており地域の文化に触れたような気が致しました。
今後も取材を重ね地域で大切にされているお寺を紹介出来ればと思っています。