タシデレ!
ボクはチベット仏画タンカをモチーフにした漫画仏画という絵を描いている仏画絵師の宮下です。
この記事では仏画を描いていく上で気を付けたいポイントやルール等をまとめてみたので注目して読んでほしい。
【仏画のルール】
伝統的な手法をとった仏画を描くにせよ、オリジナリティ溢れる仏画を描くにせよ、仏画の描き方を語る上で重要になってくるのがルールの存在である。
この2つの絵を見て貰いたい。
上が観音菩薩が生み出した慈悲の女神『グリーンターラー』、下が仏法を守護する8大龍王の1つ『ウパナンダ龍王』
『グリーンターラー』
『ウパナンダ龍王』
この2つのには決定的な絵の違いがある。
それは伝統的な姿形をとった『グリーンターラー』と独創的な描き方で描いた『ウパナンダ龍王』である。
因みにチベット仏教では、数多くの尊格が存在し、日本では馴染み深くないようなチャクラサンヴァラ(勝楽尊)やヒンドゥー教由来のガネーシャ(歓喜天)やガルーダ(迦楼羅天)といった神々も存在する。
この記事では知られざるチベット仏教の神仏の種類をまとめているので仏画を描く上での参考にしてほしい。
【尊格(神仏)の描き方】
ボクは仏画を描く上で気を付けているのが尊格が持っている持ち物や体の色、ポーズである。
『グリーンターラー』は名前の通り体を緑に描き、左手に蓮華を持ち右手を与願印(願い事を叶え与える手のポーズ)を結び半跏(右足を蓮華に乗せている)の姿をとりタンカ(チベット仏教画)を参考に描き尊格が漫画風で装飾的な枠が描かれていること以外タンカのように描いている。
何故ボクはそのように描いたのか?
答えは仏画とは鑑賞物である前に宗教儀式にもちいられたり、信仰の対象として描かれてきたからである。
ボクがラダックのチョグラムサムにあるゴンパを訪れた際、巨大な千手観音のタンカに向かい熱心に五体投地を繰り返すラダック人、ネパールのチベット仏教僧院内に多くのタンカが掛けられ、その下でラマ僧達はマントラ(真言)を唱えお勤めに励む姿を見てきたボクは「ふざけて描いてはいけないな」と思うようになり出来るだけ伝統的なままの状態で描くようになったのだ。
ただボクはルールが曖昧だったり物語調の絵や龍といった架空の生物を描く際は漫画風の表現方法を用いるようにしている。
『ウパナンダ龍王』の場合がそれである。
『ウパナンダ龍王』のようにオリジナリティ要素を取り入れた絵は海外ではよく見かける。
ネパールの画廊では画家のオリジナリティ要素を入れた絵が多く展示されているが、やはりボクの見る限り伝統的なルールを取り入れた絵が多くあるように感じられる。
だからオリジナリティ要素を入れるにしてもルールを尊重して仏画を描いた方が良いのだと思う。
ルールと言えばチベット仏教の神仏が持つ持ち物も忘れてはいけない。
何故なら持ち物が違っただけで違う仏様になる可能性があり、それが仏画を描く上で難しいポイントだったりする。
また彼らが持っている様々な持ち物(蓮や金剛杵、頭蓋骨の杯等)を調べると様々な事がわかってくるから面白い。
代表的なチベット仏教の神仏の持ち物を紹介している記事はこちら
【タンカをアレンジした仏画は受け入れられるのか?】
ボクの知り合いの日本で活動しているチベット人タンカ絵師ケルサン・ギャルツォ氏にボクが描いた漫画風の仏画を見せたことがある。
すると彼は
「これはタンカとは言えない」
ボクは驚いた。
彼から教えて貰う前までタンカとはチベット仏教画の事を指しているとずっと思っていたからだ。
タンカとはチベット仏教画‥
これは正解であり不正解だ。
タンカとはあくまで伝統的な描き方で描いたものを指す。
つまり尊格の顔、体、目の位地に至るまで細かく数値で決められていている。このような仏画の事をタンカと言っているのだ。
だから漫画的な要素を取り入れたボクの仏画はタンカとは言い難いのだ。
またネパール・パタンにあるシムリク・アトリエ主宰ロク・チットラカール氏にボクの仏画を見せた際
「如何して漫画風になっているのか?」
と、明らかに怪訝な表情をされた事があった。
ネパールやチベット等で仏画という存在は瞑想や修行の為にあるもので、決して鑑賞物ではないのだ。
やはりボクのような漫画風にアレンジした仏画は宗教心高い国々からは余り受け入れられるのか・・
と、思わざるおえない出来事でもあった。
ただそれでも‥
タンカを生み出したチベット人達に
「外国人が面白おかしく描いてるな」
と思われないよう描いていきたいと絵を描くたびに思うのだ。
【まとめ】
仏画を描く上でのルールという点を絞って記事を書いてきたが、要約してまとめてみると・・
伝統的な仏の描き方をする。(身体の色や持ち物)
ただ、海外でアレンジした仏画を描こうとすると(特にネパールやチベット等)受け入れられない可能性があり、そういった仏画を描く場合、日本の方がウケがいいのかもしれない。