普廣寺との出会い!ある画家のお寺を盛り上げる挑戦第一歩の話

柏崎市にある普廣寺(ふこうじ)というお寺でラップをしたり木材を使って小屋を作ったりするパワフルな住職と会ったのは

 

 

冷たい空気がまだまだ残る春の事だった。

 

 

住職の名前は槙 東佑(まき とうゆう)さん

 

 

小千谷出身でお坊さんの四人兄弟の一人で修行後に無住だった普廣寺に入り住職になった人物である。

ぼくが槙さんの事を知ったのはメディアで何か面白そうな事をしている、新潟のお寺さまがないか調べていた時の事だ。

 

調べている内に普廣寺のHPを発見すると、ぼくの目に飛び込んできたのはTERAdeRAPという興味深い文字と廃材を使って建てられたという小屋の存在。

そして何より住職のごあいさつで「僧侶には何が求められているのか」というお考えに共感できたから。

 

というのも、ぼく自身も絵描きとして何が出来るのか?社会に対して自分が出来るのは一体何なのか?

という事を今までの画家人生で深く考えるようになったからだ。

 

こういった考えになったのは海外に長年行っていた事が大きいかもしれない。

 

ネパールやチベットでは宗教が生活に密着していて仏画絵師がお寺の壁画の修繕をしたり、瞑想用の仏画を描いている人も多い。

 

 

オーストラリアのバイロンベイに行った時は町中壁画で溢れ

画家さんが路上で絵を売っていたり、アートが生活の中に溶け込んでいる(ぼくも路上で売ったけど、ボチボチでひもじい毎日でしたね・・)

 

そんな経験もあってか、ぼくは深く考えるようになった。

 

 

コロナで海外に行けなくなってからお寺巡りの旅をしている内に日本のお寺について調べるようになった時の事。

 

メディアでお寺が大変な事になっている!お寺が消滅の危機の中にあると知った時

 

 

ぼくは電流が走ったような衝撃を受けた!

 

 

その時、ぼくが考えたのは自分がアートでお寺を盛り上げたいという思い。

 

もしかしたらアートで寺院消滅なんて未来が変わるかもしれない・・

 

 

ぼくにとってお寺はネパールやチベットで仏教美術の美しさを知り仏の絵を描き続けようと思ったキッカケを作った場所・・

 

 

そんな場所を何とかしてみたい!

 

 

そう思ったからこそ、ぼくは様々な活動をしてお寺を盛り上げている槙さんと会う事にした。

【普廣寺というお寺について】

ここでざっくりと普廣寺の事を紹介しようと思います!

神興山普廣寺は曹洞宗のお寺で創建1504年(文亀四年)HPによれば過去、三度お寺が炎上や焼失し明治二十六年に再建したお寺で

本堂内には本尊の釈迦牟尼の仏像や寄進された馬頭観音の仏像、十六羅漢等の仏像があるし立派な金ぴかの天蓋が目を惹く。

外には柏崎市指定文化財の六地蔵の石幢や鐘突堂、住職が作った小屋やブランコ、小さな畑があり森から鳥のさえずりが聞こえてくる。

お寺の場所は新潟県柏崎市の北条地区という場所で北条城への入り口がある。

詳しくは普廣寺のHPへ。

【普廣寺近辺の観光スポット】

北条は自然豊かな場所にあってお寺も普廣寺以外に西方寺、本覚寺、西雲寺などの歴史あるお寺や神社がいくつもある。

また地名の由来となっている北条毛利氏が築いた北条城の跡地本丸まで続く道が普廣寺に入って直ぐ横にあって(搦手道)結構急だった!(北条毛利氏の菩提寺である専称寺の大手口からもいけるらしい)

 

北条から15分程の所にある善根には高さ72メートルの不動滝があって不動明王の仏像が鎮座している。

この滝がある八石山には、もう1つ屏風の滝という場所もあるのだが時間をかけて

沢登りをしないと辿り着けない場所にあり装備を整えて行かないと厳しいかもしれない。

 

【槙さんと会ってみた!】

 

普廣寺に行った日の事はよく覚えている。

 

あれは4月の中頃、お寺に向かうにつれ肌寒い雨が降りしきる嫌な天気模様だった。

 

普廣寺に到着後、槙さんと会いラップ活動や普廣寺への思いを聞いてみた。

 

今はお寺でサウナをやってみたいらしく、槙さんの姿勢としてラップでお寺自体を盛り上げるというよりは

住職自体に魅力を持たせ(ラップやサウナ等、自分が楽しいと感じている事を他の人にも楽しんでもらいたい!)

それが結果的にお寺を盛り上げさせる行動に繋がるという事みたいなので

それが槙さんの原動力になっていると思いました(メディアで拝見した印象通り行動力のあるお方なんだと思った。)

 

あと若者のお寺離れについても語ってくれましたが原因として

昔はお寺が教育や祭り、コミュニティなど地域文化の中心地だったけど

今は各々が分散してしまっていて若い人が来る用事というのは葬儀位しかないという事。

実際それは、ぼくも感じている事で知り合いにお寺の印象を聞いても身近に感じているようではなかった。

 

逆に印象としてお墓やお化け、僧侶に対するネガティブなイメージもあるせいか

コミュニティとしてのお寺は戻ってくるのは何かアクションを仕掛けなければ難しいかもしれない。

 

ぼくは、襖絵というアイディアを槙さんにぶつけたのだが結果は惨敗。

 

理由はぼくの絵柄が年配の人に受けが悪いかもしれない、それにお寺が何かをする時は檀家の方々と話し合わなければならない。

話を聞いている内に住職というのが、どういう立場なのかが少し分かってきた気がした。

 

つまり住職には一定の裁量権はあるけれど、お寺という場所が檀家に支えられて存続しているので決定権というのは住職と檀家が分散しているという事。

 

あるいは(これはぼくの考えだが)地域性もあるのかもしれない。

お寺巡りが観光となっている京都と新潟の山間部にある、地域密着型のお寺とでは考え方、立ち位置という面で違ってくるのではないか?

 

 

お寺というのは、どこにでもあって身近だけれど内情を知れば知るほどデリケートな場所なんだな、と。

 

 

槙さんの話が終わり見事に玉砕したぼくは失意の中、雨が降りしきる普廣寺を傘もささずに後にし帰路につくのであった・・。

 

【襖絵実現の可能性】

ぼくが襖絵というアイディアに至ったのは京都や川越等でアーティストとお寺がコラボして襖絵を描いて、メディアで紹介されている例がいくつもあったからだ。

有名作家だから実現できたなんて言ったらおしまいだが

それでも一作家としてお寺を盛り上げる為にやってみたいという思いがある。

 

しかし、絵柄や檀家云々抜きにしても越えないといけない壁がある。

 

それは、お寺として襖に絵を描くのはハードルが高いという事。

 

お寺は檀家との共有財産であり内部との調和も尊重される。

 

 

襖絵難しいかな・・

 

 

と思ったけど後日、五泉の興泉寺の副住職(彼は細密画アーティストとしても活動している)とお話した時、襖絵は決して難しい話ではないという事がわかった。

彼の話では『襖(本体そのもの)』という物があれば可能であり、何もお寺に取り付けられている襖にしなくても描けるのではないか?

 

 

それに襖は剥がせるし・・

 

 

と、ぼくにとって希望の光が射し込んだ瞬間であった。

因みに興泉寺というお寺には龍や書の襖絵や仏画があったり観光として訪れてもいいような大きくて美しいお寺です。

 

【普廣寺の絵の仕事をもらう!】

普廣寺で襖絵は断られたけど、ぼくにはもう1つアイディアがあった。

 

それは、お寺のボールペン画である。

 

ぼくは元々ボールペンを使ってスケッチ旅をしていたり漫画家を目指していた時の名残として背景の落書きとかが好きであった。

 

このボールペン画を何かに活かせないか?

 

と思った時にお寺のパンフレットやHPの挿し絵として使うという事。

 

これもある意味、お寺を知ってもらう事に繋がる可能性がある。

 

絵というのは写真よりも親しみをもって受け取ってくれる。

実際絵を使った冊子作りは結構あってお寺は勿論、あの超有名テーマパークのパンフレットも絵で描かれている。

 

また、知り合いの住職にこの話をした時に御朱印作りにも活かせるという話が出てきた。

ぼくは御朱印集めというのをしていないので、そのアイディアは出なかったが

 

話を聞く感じ判子屋で絵をデータ化して絵がある御朱印の判子を作れるというのだ。

 

 

ぼくは、その話を槙さんにボールペン画の画像と共に恐る恐るメールで送ってみたら・・

 

 

お値段のお問い合わせがあった!

 

 

また残念ですが・・と言われるのではないかとヒヤヒヤしていたけど反応がいい感じがした。

そして後日、再び槙さんから連絡が来て他のボールペン画も見てみたいという。

 

ぼくは再び槙さんと会う事になりお寺の絵が描いてあるスケッチブックを持って待ち合わせ場所に向かった。

久々の再会もそこそこに槙さんに絵をお見せした所、反応が良かった!

話を聞くところ近くHPをリニューアルするため、ぼくの絵を使いたいらしい。

 

話の中で依頼内容の詳細やお値段の事など話し合い、初めてお寺から仕事を頂く事になったのだ。

 

これは嬉しかったですね!

 

自由に描く絵とは違い仕事である以上、依頼者の要望に答えた絵を描かないといけなかったが逆に絵のテーマや制限があった方が個人的には描きやすいと思った。

その日の内に描きはじめ画像を送りながら、やり取りをしたけど中々の好印象で満足してもらえた御様子でした。(原画は後日発送する事に)

 

【まとめ】

ぼくは新潟のお寺のみならず、もっと多くのお寺をアートで盛り上げたいと思っている。

その為には、ぼくの活動に賛同してくれるお寺(仲間)が必要で一緒に頑張っていきたいと思えるような

お互いに気持ちのいい関係が築ける関係性を願ってアート活動をしていこうと思っています。

 

そう、ぼくの目標というのはお寺を盛り上げるというのは勿論の事だけど

 

多くのお寺に知って貰えるようなお寺の為の絵描きになりたい。

 

そんな存在になればきっと日本のお寺の未来というのも何か変わるのではないか?

 

と、本気で思っている。

 

ぼくの今までの画家人生は回りからは、やりたい事をやっているようで、いつも上手くいってはいなかった。

 

十年間続けた漫画家の夢を挫折、市場をよく分からないで始めたウェブショップやブログの方向性、絵で一発逆転する為オーストラリアに行ったけど貧乏生活を強いられた日々・・。

そして日本に帰れば、いつもバイトや派遣生活に逆戻り・・

 

もうそんな生活がずっと続いている・・。

 

 

結局ぼくは何をやってもダメなのか、そんな風に思っていた時にメディアで見たお寺の現状。

アートでお寺を盛り上げる事が絵描きとして出来る最後の道筋かもしれない・・

 

実現できるかわからないけどようやくやりたいと思える事が見つかったのだ。

途中で諦めたいとも思っていないし、諦めたらいけないと思っている。

 

 

これはお寺を盛り上げる、ぼくの挑戦の第一歩の話である。

 

 

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