新潟県を座禅県に!阿賀野市玉泉寺住職が語る野望とは?

新潟県にある程よい田舎である阿賀野市に玉泉寺という曹洞宗のお寺がある。

地元という事もあってかコロナ前から法要があると、たまに行っていたけど

気軽に海外に行けなくなってからはお寺巡りがメインになったせいか、よく訪れるようになった。

 

参拝は勿論だけど法要や除夜の鐘突を体験したり、夏には本堂前にある観音像のスケッチしてお寺を過ごす。

世界が暗い闇の中にあっても、海外に行けなくても、地元を見てみれば自分でも気付いていなかった楽しみ方というのを見つける事が出来るのだ。

さて、そんな玉泉寺の住職酒井賢晃さんに今回インタビューしてみました!

 

お坊さんになるきっかけの話や修行時代の話など、興味深い話ばかりで

お寺にそれぞれ歴史があるように住職にも一人一人人生や考え方があって、それがお寺作りに活かされていると思いました。

 

それでは玉泉寺と酒井さんの話を書いてみたのでご覧下さい!

【阿賀野市の玉泉寺】

玉應山(ぎょくおうざん)玉泉寺は阿賀野市分田にあり阿賀野川で旅人を襲っていた悪党達を倒した功でお城を与えられた分田七郎俊長の戦勝祈願のお寺として建てられたのが始まりで

元は真言宗であったけど後に曹洞宗に改宗して今に至る。

玉泉寺の山門をくぐってみると目に入ってくるのは慈母観世音菩薩や愛らしい地蔵菩薩。

本尊は虚空蔵菩薩、両隣には毘沙門天と不動明王の仏像がある本堂内には龍の壁画や地蔵菩薩や地獄観音(道教を起源に持つ青面金剛明王)等がある。

詳しくは玉泉寺HPまで

【お寺の子供として生を受けた酒井賢晃さん】

生まれた時から決められた道を歩む事になる。

 

そんな人はどんな気持ちなのだろうか?

 

メディアで歌舞伎の家の子供が紹介されている時があるけど見ている限り、跡継ぎになる事に前向きに捉えている子供が多い気がする。

 

 

では、お寺の子供はどうなのだろうか?

 

 

賢晃さんの話を聞いたら答えは以外なものでした。

 

初めは嫌だった。

 

子供時代は僧服を着る位嫌で跡継ぎだから、決められていたから、と重荷に感じていたようだけど

それが変わったのは高校生の時に父親と共に手伝いをするため亡くなった人の家で葬儀をする為に赴いた時の事。

 

その家にあったのは小さな棺桶。

 

父親が今日の葬儀嫌だな・・

 

と語っていた理由、それは亡くなった人がわずか3歳の子供だったからだ。

 

なんでこんな小さい子供が死ななくてはいけないのか?

 

 

と強い衝撃を受けたという賢晃さん。

 

その後も法事等を沢山こなすようになり僧侶という道を前向きに捉えるようになった。

僧侶になると決意した賢晃さんだったが永平寺での修行が人生が変わる位の経験をする事になる。

 

【永平寺での厳しい修行の日々】

大学の終わりに僧侶になるため永平寺に修行に行く事になるのだが

家をでる前に母親から言われた事が忘れられないという。

 

永平寺を修行の場としたら間違い、帰ってきてからが修行の場だと思って行ってらっしゃい!

 

この言葉の通り僧侶になったあと地域や檀家の付き合い等、苦労する事もあったようだ。

 

永平寺に向かった賢晃さんに待ち受けていたのは人生が変わる位という程、日常とはかけ離れた場所。

まず朝は深夜一時半に起こされ三時半から座禅をして、その後にお務めにはいる。初めの一週間はお風呂も入れず食事もお粥に漬物という僅かなものだけ。

 

そして靴の揃え方が違っていると先輩僧侶から隠されたり鉄拳が飛んでくる。

 

永平寺での修行というのは聞いている限り、とても真似出来ない地獄のような場所だなと感じた。

 

その位、厳しい修行をしないと僧侶になれないという事とも言えるのだが。

 

【書道を始めたきっかけとは?】

賢晃さんはあそび書という文字を崩した形の書道を書いているのだが、書道を始めたきっかけも永平寺であった。

当時、あまりにも厳しい修行で精神的に追い込まれていた賢晃さんがふと、目に入ったのが一本の筆ペンだった。

 

その筆ペンで自分の思いを書くうちに自分の思いを知る事になり、それが書道を始めたきっかけだと言う。

 

他にも修行時代こんな事があったらしい。

 

誕生日の日に書道をやっていると知ってくれていた先輩僧侶から

賢晃さんの名前が彫られたらっかん印を貰った事がとても嬉しくて

修行後にギャラリーで作品展をする時は、そのらっかん印を押して展示するようになったとの事。

 

【好きな寺とは?】

日々玉泉寺でお務めをする賢晃さんの好きな寺とはどこなのか?

一つ一つ各お寺の魅力があって中々一つに絞れない感じだったけど、真っ先に頭に浮かんだのは田上にある東龍寺というお寺。

 

賢晃さんが座禅をするきっかけを作った場所とも言えるお寺で

東龍寺の座禅会を手伝ったりする内に座禅の魅力を感じるようになったみたいです。

 

中々好きな寺を一つに決めるのは難しいかもしれない。

 

ぼくはチベットのお寺が好きでチベットやネパールを旅をしていた時、色々行っていたけど各寺院に魅力があって一つに絞るのは確かに難しい!

【賢晃さんはがオススメする阿賀野市の観光スポット】

ぼくも阿賀野市の人間なので、あえて地元の人が知るような観光スポットを聞いてみたくなった。

 

賢晃さんのオススメする場所は笹神地区。

 

笹神は五頭連峰麓にある緑豊かな場所で、ぼくも村杉温泉があるので結構行く場所で個人的にも行って欲しい場所だ。

笹神は村杉温泉の他にも出湯温泉やキャンプ場、滝があったする。

特に滝は地元の人でも、あまり知られていない不動の滝や金剛の滝があって夏の間、ぼくはよくスケッチや滝遊びの為に訪れてましたね!

そんな場所だからこそ賢晃さんも疲れた時はパワースポット的な意味で大自然の力で癒されに行って欲しいとの事。

【日々大切にしている事とは?】

 

朝が来て目が覚める事。

 

水道をひねれば水が出る事。

 

子供が元気な事。

 

そんな誰もが当たり前に感じている事を大切にしている賢晃さんの次の言葉が全てを物語っているだろう。

 

あたり前がありがたし

 

あたり前と思っている事は実はあたり前ではない、その日々に感謝する事が大切なのだと、そう思いました。

【玉泉寺で『すっぴん寺』が開催!】

SNSですっぴん寺というのが、あったので開催までの経緯をお聞きしました!

因みにすっぴん寺というのは玉泉寺で開催された座禅会やお灸教室、アロマチャーム作り、オラクルカードリーディングの体験型イベントである。

 

このイベントが開催された経緯は玉泉寺の座禅会に集まった鍼灸師やアロマをする人などの参加者達が

ストレスが多い社会だからこそ参加者にリラックスしてもらう為に何か出来ないかと企画したのが始まりという事がわかりました。

 

【賢晃さんがこれからやってみたい事】

賢晃さんのライフワークは座禅会であり日常に取り入れてもらえる位、多くの人に座禅をやって貰い、新潟を座禅県と言われるくらい広めたいらしい。

また、賢晃さんの考え方の一つでお寺の概念を広げて地域全てがお寺でありお寺は今生きる人の為のものと思っているという言葉は印象的でした!

【寺院衰退と言われている昨今について思っている事】

メディアで寺院衰退や2040年までに三分の一の日本のお寺が無くなるなど衝撃的なニュースがあるが、どのように思っているのだろうか?

今は手を合わせる姿も少なくなったしコロナでお寺で色々出来ないという状況もある。

 

これからはお坊さんがもっと外に出てお寺を知ってもらう努力が必要で

賢晃さんがやる事が他のお坊さんに誤解を与えるような事があれば、その誤解をとりつつ色んな人にお寺を知ってもらいたいと語って下さいました!

 

【まとめ】

賢晃さんと会う度に思うのは彼はアイディアマンだという事だ。

例えば今回取材の時に、ぼくの絵を見て廃寺を全面に絵を塗れば見応えがあるし観光にもなるかもしれないと、突然ふとアイディアが沸いてくるのだ。

 

確かに海外では住宅街をペイントして注目を浴びたという例がいくつもある。

 

そんな事が出来たら楽しそうだし、お寺という場所に注目してもらうかもしれない・・

 

そんな住職がいるのが玉泉寺であり、もしかすると、そのアイディアと行動で本当に新潟を座禅県と言われる事も近いのかもしれないと思った!

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