阿賀野市に観音寺という曹洞宗のお寺に初めて行ったのは桜咲く春の事だった。
阿賀野川沿いの国道49号線を車で走らせると観音寺がある草水地区入り口がある。
この道を真っ直ぐ進むと高速道が見えるので、そこを潜ると木々が生い茂る小さな山の中にある観音寺に到着する。
着いてみて思ったのは阿賀野市に住んでいるぼくでも、こんな綺麗なたたずまいのお寺があったのか!
と思う位に樹齢何百年もありせうな巨大な木々を抜けた楼門の先にある美しい庭、そして大きな本堂が印象的だった。
少し五泉の慈光寺に似た境内で副住職さんに見つかったぼくは本堂内に入れてもらい、お寺の歴史を詳しく教えて貰う事になる。
【観音寺の歴史】
創建1468年(応仁二年)の古刹で越後の戦国武将上杉謙信公の庇護を受けた観音寺では謙信が没すると上杉家の位牌が奉られ供養される事になり
その縁あって観音寺では特別に上杉家の家紋を使用を許されている。
また戊辰戦争時は会津兵と官軍との戦いの場となり激しい戦禍を見舞われた観音寺は甚大な被害を被ったが、その後復興への道を進んでいく事にる。
因みに戊辰戦争時に撃ち込まれた砲弾が展示されていて寺院内で見る事が出来ます。
詳しくは観音寺HPまで
【観音寺の見所】
上杉謙信公ゆかりの歴史あるお寺なので上杉家の位牌、お墓の他にも見所は色々ある。
先ず観音寺の林号(柏樹林)由来となっている柏樹園という上杉景勝が作ったお庭や大きな銀杏や杉、けやきの樹。
梵鐘からは1日三回美しい鐘の音が聞こえる境内にある庭では四季折々、様々な花が咲き目を楽しませてくれる。
本堂内においても韋駄天の仏像や大正六年制作の輪廻図や写真が趣味の副住職さんの写真の常設展がある。
また観音寺の歴代住職の位牌堂は通常の位牌堂奥にある階段の先にあるが階段式は全国的に珍しい形なのだという。
【観音寺の境内図】
観音寺のパンフレットには境内図が描かれているが
実はこの境内図
この取材から半年位たった時に観音寺から御依頼があり描かせて貰ったものなのだ。
広い敷地なので参拝者の方が敷地全体を把握出来ないという事もあり御依頼頂いたのだが
絵を描くのが大変だったという記憶がある。一回の取材で描く事が出来なかったので何度も赴いて、何とか完成。
他のお寺様からも境内図の御依頼を頂いた事があるが難しい反面、描き応えがあると思ってますね。
因みにこの境内図は本堂内で展示されています。
【副住職さんにインタビュー】
●稲垣さんがお坊さんになった理由とは?
観音寺の副住職 稲垣大應(いながき だいおう)さんは外出する時も袈裟を着て出かける位、日常的に着物を愛用しているが、そこには稲垣さんの理念がある。
着物を着る事で日本の文化を守っていく事が出来る、そしてお坊さんが身近な存在になればいいな
とぼくに話してくれたけど、お坊さんになった理由を聞いてみると今とは逆だったという。
お寺の家系に生まれた稲垣さんは
子供の頃、着物を着たりお寺の手伝いがあって最初は嫌だった。
なんで自分だけ?憂うつだったと当時を振り返る。
しかし、それが変わったのは高校生の時、法戦式(ほっせんしき*お坊さんの位が上がる式)に出席した際に祖母に言われた衝撃の一言でお坊さんになると決意する。
もし寺を継がなかったら、ここを出て行かないといかない!
お寺を継がないと家族はここにいられないと感じた稲垣さんは大学卒業後、すぐに鶴見にある総持寺の門を叩く事になる。
●厳しい三年間の修行
稲垣さんにとって印象的なお寺は、僧侶になる為に入った総持寺という曹洞宗の大本山で三年もの間、修行する事になる。
修行時代は本当に大変だったらしく初めの1~2ヶ月で当時100キロあった体重が80キロまで減ってしまったという。
鏡を見る間も無い位、必死な毎日で二年目に一番厳しい部署である侍真寮(じしんりょう)でお務めをした際は1~2時間しか眠れなかったそうだ。
因みに侍真寮の他にも事務をする部署等、様々な部署があって
ローテーションで色々な場所に配属されたり人によっては同じ部署で長い間お務めをするという事もあるようです。
稲垣さんはこの質問の最後にこう語ってくれました。
もう、絶対したくない。
と。
前回阿賀野市の玉泉寺住職の永平寺の修行時代の話しを聞いたけど軍隊並みに上下関係に厳しい場所で
総持寺というお寺もまた厳しい修行の場だという事が今回聞いてみて分かりました。
玉泉寺に取材に行った時の話しはこちら。
●趣味はアウトドア!
そんな大変な修行を経て副住職になった稲垣さんの趣味は筋トレ、アメフト観戦、そしてアウトドア。
縛られて生活しているので自然の中にいると開放されるという。
確かにぼくも自然の中にいるとリフレッシュするし最近はキャンプをしていないけど滝に打たれたり自然の中で遊ぶのはブーム関係なく良いものだと思っています。
●阿賀野市のオススメ観光スポットとは?
サントピアワールドですね。
サントピアワールドは新潟を代表する遊園地だがコロナ禍になると経営危機になり全国的なニュースになった。
園存続のクラファンを行った際、支援をした事があったという稲垣さん。
こうした支援をしている人がいる事で存続の危機を救う事が出来るのだと思いました。
サントピアワールドHPはこちら。
●喫茶喫飯という禅語
稲垣さんが日々大切にしている事。
毎日毎日1日、1分、1時間を大切にして生きるという事。
この取材に稲垣さんが誠心誠意お答えしてもらっているのは
禅語の喫茶喫飯(きっさきっぱん)という言葉を大切にしているからこそなのだ。
喫茶喫飯というのはお茶を出されたらお茶を飲んで、ご飯を出されたらご飯を食べる、という一見普通の事のように思える事なのだが、もっと深い意味がある。
ぼ~っとしている知らない間に時が進んでしまう。
だからこそ
その時、その時、やる事を一生懸命するという事を教えてくれました。
●これからやってみたい事とは?
お寺のInstagramでフォロワーが増えてお寺に来てくれる人が増えればいいなという事と
稲垣さんはオペラをしている親族の関係で県外でオペラとお経のコラボしたコンサートを開催した事があり、新潟でもやれればいいなと語ってくれました。
●寺院衰退と言われている事について。
大きな原因は人の減少。そんな時代だからこそお寺を変える所は変えて残す所は残す。
HPやSNSで発信したり今の時代にあったお寺作りをしないといけない。
そして地域との結び付き、役割を残しながら変える所は変えていく、変化をしないと難しい。
【まとめ】
今の時代は発信は大切になるし時代にあったお寺を作る事がお寺という文化を残していく事なんだと思いました。
そして稲垣さんが住職になった時、どのようなお寺作りをするのか?今後の楽しみでもあります。
さんな一瞬一瞬大切に生きる稲垣さんがいる観音寺。
この阿賀野市の古刹では上杉謙信公の位牌や上杉景勝が作った美しい庭など
歴史に興味がある人なら訪れた方がいいと思えるようなお寺です。
また、阿賀野市にも観音寺のような歴史あるお寺もまだまだあると思うので今後取材していこうと思います。