長年ぼくがチベット文化圏を旅する理由・・
それはゴンパ(チベット僧院)に描かれている美しい壁画を見に行く事だ。
日本の質素で厳かな雰囲気の寺と比較するとチベットの寺は
極彩色に彩られ壁画が内外に描かれているので見事な仏教美術をまんべんなく見る事が出来る。
ぼくが本格的にチベットの壁画巡りを始めたのはラダック旅が始まりだった。
ラダックはティクセ・ゴンパやスピトク・ゴンパ等、古くからある寺院が沢山あり、その数だけ仏教美術も豊富に残っている。
特に有名なのはリンチェンサンポ様式(西チベット様式)で描かれているアルチ・ゴンパ(ただし撮影不可)
チベット壁画巡りの旅が始まるキッカケを作ったラダックの存在を知ったのは
某食料品会社に勤めながら絵を描いていた頃の話だ。
当時、仕事に厳しい先輩のいる会社でうっ屈した日々を送っていたぼくは何気なくネットサーフィンをしていると
とあるラダックを紹介しているサイトを見つけ、ラダックの何かいい知れぬ魅力に引き寄せられた
ぼくはバイトと個展で旅費をため念願のラダックに向かう事になった。
いざ目的のゴンパに行って壁画をみるとぼくが描くアクリル画と近い雰囲気を持っていた事もあり
チベット仏教美術が放つ怪しい魅力にはまっていった。
その後もぼくはネパールや東チベット等を訪れ、まだ見ぬ壁画を探すべく旅をするようになったのだ。
【怪しいチベットの仏達】
チベットの仏というとどんなイメージを持つだろうか?
多分、男と女の仏様が抱き合った姿だったり怒った顔で激しく動いてる姿ではないだろうか?
こういった仏達のポーズには意味があり悟りを開くためのシンボルとして姿や持ち物等を用いて度々描かれる。
チベットの仏はこのような激しく動く仏達ばかりでなく日本と同じように
如来・菩薩・明王・天部(加えて祖師など微妙にばらつきがある)
というカテゴリーがあって仏画・壁画等に登場する。
といってもチベットに登場する仏達の種類は千差万別で、ぼく自信もその数に関してはよくわかっていない。
例えばチベットを代表するターラー菩薩や文殊菩薩だけでも緑・白・赤、金剛等、色ごとに名前が変わってくる。
またチベット仏教はヒンドゥー教の影響もあってかヒンドゥー教の神さまに似た
サンヴァラやヤマンタカ等(これら仏も同様に様々な種類、名前がある)も存在している。
ぼくがチベットの仏は沢山存在するという事を知ったきっかけは、ラダック以降沢山のゴンパを訪れた事だった。
ゴンパの壁画を見ると主要な仏が大きく描かれているが、その仏の周りには小さく名称不明な神々が描かれていたり
マニ車を納めたお堂やチョルテン内には数えきれない神々や曼荼羅で埋め尽くされている事があり、
一種の仏教宇宙の中を遊泳できるシステムになっている。
ぼくは旅をしているうちにチベット人の友達ができ彼から仏を紹介した本を見せてもらったら・・
とんでもない数の仏達がいるという事がわかった!
例:護法尊・守護尊系Sahaja-Samvara、Vajrahumkara、Buddhakapala、Sita-samvara、AyuhsadhanaSita-samvara、Sahaja-Kalacakra、Vajravega等
観自在系(これらは何れも忿怒姿)
Agnibhayatrana、Jalabhayatrana、Simhabhayatrana等
挙げればきりがないが・・
これら仏は中国蔵学出版社の五百佛像集という本に紹介されていた仏達だが
この本を読むまで知らなかったものばかりだった。
壁画にこういった仏達が登場するかはともかく
チベットの仏を調べれば調べるほど、チベット仏教美術の奥ゆかしさを知るのだった。
【チベット仏教美術の種類と美しき壁画達】
チベット仏教美術には様々な種類がある。
例えば初めに紹介した
■リンチェンサンポ様式(西チベット様式とも)
これは西チベットで仏教復興が起こった際、正しい仏教を導入するためカシミールに派遣し無事に帰った一人リンチェンサンポが寺を造る際にカシミールから連れてきた芸術家達によって描かれた壁画の事をいう。
リンチェンサンポ様式の例:アルチ・ゴンパ、ラマユル・ゴンパ、タボ・ゴンパ等
ただしリンチェンサンポ様式は後にカシミールがイスラム化していった事をかわきりに中央チベットで描かれる仏教美術にとって変わっていった。
■サキャ派様式
サキャ派とはモンゴルに仏教を広めるきっかけを作った宗派で、この様式は始祖が左右対になるように描かれている事が特徴。
■カルマ・ガルディ派
仏教美術を愛好していた歴代のカルマパがきっかけで誕生していった流派。
カルマパというのはチベット仏教カギュ派の一派カルマ派の二代目教主カルマパクシがモンゴルに布教後
モンケ・ハンから国師の称号と黒い帽子をプレゼントされた。以降カルマ派教主は『黒帽ラマ』『カルマパ』と呼ばれるようになった。
こういった流派は僧侶主導で特定の絵師の名前を持ったものではなかったが、15世紀に入ると宮廷絵師を輩出した
メンリ派とキェンツェ派という活躍した絵師の名前を持つチベット仏教美術二代流派が誕生した。
さて!
お次はぼくが実際に旅をしてきた中で見てきた壁画を紹介していこうと思う。
まずは縁があるのか何度も行く事になったネパールから。
こういうのね!感動ものですよね!
日本じゃこんなに寺中そこかしこに壁画を描かないので。
ネパールのゴンパは亡命してきたチベット人によって築かれたものが多いので歴史的に浅いのだけれど
カトマンズだけでも沢山の寺院があるので何日いても見飽きる事がなくて壁画散策に持ってこいですね!
ゴンパが多いエリアはボダナート、スワヤンブナート、ファルピン。
いずれも仏教の聖地で仏教都やチベット人が多くて基本的にいつでも参拝出来るのだけれど
土曜日はネパールの休日で(いわゆる日本の日曜日に該当)スワヤンブナートのゴンパに行くと僧侶からでていってください!
と言われる事もあるので注意。
またスワヤンブナートのアミターパマウンテンにあるドゥクパ・アミターパ・ゴンパ(通称セト・ゴンパという巨大な尼寺)周辺に限れば
何故か土曜のみ解放されている(それを知らずに行ったら追い返さました)
因みに7月終わりから8月初めに夏休みがあって入場不可でございます。
またネパールの仏画の歴史はヤシの葉に記された経本に描かれた仏画が始まりで18世紀にチベットのタンカ(チベット仏画)が導入され統合されていったという歴史がある。
そのためタンカ絵師が多く震災時、被害をうけたゴンパの修復にネパール人タンカ絵師達が腕を振るったのです。
ヒマラヤ以外に目を向けてみると東チベット(現在の四川省や青海省、甘粛省等の一部地域)という地域があって特に大きなゴンパが沢山ある。
次に紹介するのは東チベットのカムやアムド地方で見てきた美しい壁画達です。
しかし他のチベット文化圏の国と違い悲しいチベット仏教美術の現状があった。
カムのダルチェンドにあるンガチュ・ゴンパの四天王の壁画は何とプリントアウト。
ネパールやインドではタンカの継承が続いているので絵師の人もそれなりにいて修復する絵師もいるのだが
チベットの文化が抑圧されているチベット本土に至っては絵師の数自体が少ないのか、プリントアウトの壁画があるゴンパも少なくない。
この事はアバにある巨大僧院セー・ゴンパも同じで普通は岩絵の具で描かれるはずの壁画・天井画がここでもプリントアウトだった。
こんな大きな寺でもプリント壁画なのだから、やはり絵師の数は減ってきてるんだろう。
東チベットでもネパール等と同様に仏画教室が増えてきてるが、かの地のチベット仏教美術の未来はいかに。
【壁画を見るための注意点】
ゴンパには右回りに参拝(ボン教は左回り)する等ルールがあるが壁画に関してもルールがある。
壁画は『絵』なのだけれど仏達が描かれた祈りの対象なので、特にゴンパ内の壁画に関しては撮影出来ない所が多い。
じゃあ壁画を絵に残そうとするのもNGでそれをやったら怒られてしまった事があるし
壁画以外でも短パンで行って怒られたし仏像撮ったらこれまた怒られた。
この事を友達に話すと宮下くん怒られてばかりだね。
と言われてしまったけど当時のぼくがよく分かっていなかったのが原因でした。
ゆえに内部の撮影は僧侶や関係者の許可が必要なのである。
ただし外部に描かれている四天王や六道輪廻図、マニ・ラカン内やチョルテン内の壁画は撮影できる。
*ゴンパの外には必ず六道輪廻図が描かれているがこれはゴンパ建設のルールに決まっていて、人々に六道の教えを広く知って貰う為に描かれている。
四天王は寺を守るためでクロスワードのような壁画が描かれている場合があるが、これは本当にクロスワードになっていてパズルをとくと仏教の有難い言葉になる。
【まとめ】
壁画を見にゴンパに行くのはぼくにとって絵を描き続けるために必要な事なんだと思う。
最近では壁画だけでなくゴンパという仏教建築物自体にも興味を持っていて、いわば日本の城好きのチベット版みたいな感じだ。
ぼくは生きている間に沢山のゴンパに行ってみたいと思っているが無数に存在し新しく建設されていってるゴンパもあるのでゴンパ制覇は難しいと思う(^^;
ただ出来るだけ、ぼくは多くのゴンパに行って壁画を見てみたいと思うが。
さて!
美しい壁画を見るために是非とも一度はチベット文化圏に足をはこんでほしいと思っています。
一見の価値があるし、行って良かったと本気で思う事間違いなし!であります。