「画家として生きる」カテゴリーアーカイブ

『漫画仏画絵師総決算!』ブログ開設してから、この1年を振りかえる。

もうすぐ2017年も終わり、チベット旅行サイト『漫画仏画絵師』を開設してから1年が過ぎただろうか?

今回は『漫画仏画絵師』総決算とし、この1年間を振り返ろうと思う。

 

【ブログ開設のきっかけはZINさんとの出会い】

元々ボクは絵を描いて生きていくためには如何すればいいのか?

という事を念頭に、ネットで色々調べていた。

 

そんな時、偶然世界画家旅人というサイトを発見し、画家のZINさんの講座を受けながらブログを作っていったというのが始まりだ。

 

画家のZINさんとは世界中を旅してきた画家で、オーストラリア等で絵を売ってきた経験があり、日本に戻ってきた際、何とか日本でも絵を描いて生きていく方法を模索し、発見した人物である。

 

しかし、ネット初心者であるボクがワールドプレスでブログを作ったり、ネットの事を理解するのは中々難しく、頭打ちという状態も度々あった。

 

しかしボクは、何とかブログを作りあげ(ブログを始めたのが2016年の初めだったと思う。)仕事をしながら2日間に1回のペースで更新していった。

 

ただ、中々集客という面で上手く行かず、鳴かず飛ばずだったが翌年、念願の東チベットに行く事が出来た。

 

それが1月の真冬の事だった。

 

 

【初の東チベット】

初のチベットは四川省西部に広がる東チベットというエリアだった。

だが、行ってみて分かったのは正直、相当大変で(移動面が)確かに広大な大草原や巨大僧院の数々はとても魅力的だったが、東チベット13日間という度の感想は・・

 

 

疲れた。しばらくいいかな・・

 

だった。

 

ボクは今までネパールやカンボジア、インド等、様々な国に行ってきたが、東チベットほど疲れた場所は無かった(ToT)

 

しかし、そこで見てきた日本で絶対見ることが出来ない仏教美術の数々はボクの絵に影響を与える事になり、今では行ってよかったと本当に思っている。

東チベットの旅で見てきた僧院についてはこちら

ラルン・ガル・ゴンパの他にもある!!東チベットの美しき仏教寺院の数々

【4度目のネパールの旅】

東チベットから帰ってきた後、ボクは家で絵を描き、ブログを更新していく作業を繰り返していた。

 

それが4月位まで続き、お金も無くなってきたので、好きでもない派遣の仕事をやり続けた・・

(ただ食料品会社だったという事もあり、毎日のように廃棄品のゼリーを食べれたのは良かったが)

 

5月の終わりにさしかかった際ボクはネパール行きの航空券を買い、ネパールに行くため6月いっぱいで会社を辞め、7月の終わり位にネパールへ飛んだ。

理由はタンカ絵師マイラさんに感謝の手紙を読み上げる事だった。

 

実は前年もネパールへ行ったのだが、マイラさんに会うことが出来ず、感謝の言葉も言えなかった為、次こそはという思いがあった。

 

因みにこの時はネットショップを開くための旅であった。

■民族衣装店カイラス

 

ボクは4度目のネパールに行く前に羊画廊のオーナーに日本語で描いた手紙の英語での翻訳を頼み、その手紙を持ち、ネパールへと降り立った。

チベット仏教の聖地ボダナートで仏画店を構えるマイラさんと直ぐに出会う事ができ、カタコトであるが思いの丈を伝える事ができた為、感謝の手紙を読み上げる旅は成功だった。

因みに4度目のネパールは、ファルピンやセト・ゴンパ、コパン・ゴンパ等、中々ガイドブックで見ることが出来ない観光スポットへ行く事ができ、今ではのネパール旅行の中で最も充実していた旅であった。

■ネパールでタンカ絵師マイラさんに感謝の手紙を伝えた話はこちら

英語が出来ないボクがタンカ絵師マイラ氏に感謝の手紙を伝えた話

【長田幸康氏とZINARTメンバーとの出会い】

ネパールから帰ってきて一ヶ月後、再び春に働いた会社に戻り、12月の初めまで働くことになった。

次の旅の目的はやりたい事をやっている人達と出会う事が目的だった。

 

当初ボクはブログ集客の相談の為、世界画家旅人のZINさんと会いたかったが予定がつかず、彼から紹介された画家の織田さんに相談を持ち掛けた。

 

だが、後に彼とも予定が合うことが出来ず、同じZINARTメンバーの岡部さんに頼むことした。

 

因みにZINARTメンバーとはZINさんの画家として食べていく人達に向けた講座を受けている人達の事をいう。

 

岡部さんに連絡をとった所、あってもいいという事になり、12月の10日に東京で会うことになった。

 

また、この旅では彼の他にも、チベットを旅するフリーライターである長田幸康氏や名古屋のタンカ絵師の奥様との出会いもある。

 

12月9日に名古屋に行き、ネパールで買ってきた本を翻訳して貰った後、岡部さんと友人の画家である黒沼さんにブログ集客について色々相談する事になった。

ブログ集客については一言で言う事は出来ないが、かなり勉強になった一日であった。

翌日、ボクは長田幸康さんと夕食を共にする事になり、彼からチベットについて色々聞ききたいことを色々聞いてみた。

ゴンパがどの宗派なのか、見分けるポイントは?

 

チベットで馬に乗って大草原を駆け巡る事は出来る?

 

シャンバラは存在するのか?

 

長田幸康さんが考えチベットの未来は?

 

等々・・

 

彼との質問会は3時間にも渡り(長田さん、本当に有難う御座います!)様々な情報を得る事が出来たので『漫画仏画絵師』で、この時、得た情報を順次紹介していこうと思う

 

岡部さんのサイト『アートラボ』はこちら

黒沼さんのサイト『絵画をたしなむ』はこちら

好きな事をやっている人達の出会いの旅はボクの人生に大きな影響を与え、ブログだけでなく、人間関係の幅も広くなったと思っている。

 

2017年はまだまだ、ボクが思い浮かべるような年では無かったので、来年こそは・・!

 

という思いで一杯の年末である。

 

Eメール *

羊画廊での3度目の個展『ヒンズー教と仏教の神々を描く画家の話』

韓国のテグ・アートフェアで惨敗したボクは翌年、3度目となる個展『宮下拓実展“ヒンズー教とブッダの神々”』を羊画廊で開催されることになった。

個展の名前にもなっている“ヒンズー教とブッダの神々”はネパールに行った際、そこで見てきた神様達を元に描いた作品を集めた事に由来する。

 

また開催時に展示した一部の絵はテグで売れ残った作品も展示していた。

 

ボクはこの個展の為、20位の作品を描いていたが今思えば、まだまだ荒く今のように繊細なタッチではなかった。・・(後に個展で出品した作品の殆どは再ペイントする事に)

 

ただそれでも数多くのお客さんが展示会場に足を運んでくれ、ボクの事を評価してくれた。

 

実は個展が始まるまで、絵と漫画を両立しながら描いていたのだが、多分3度目となる個展を最後に漫画を描くことをやめてしまった。

 

この時、描いていた漫画は『神の子クマラ』という漫画で、破壊神シヴァの息子クマラとサラスヴァティ、ハヌマーンが天界からネパール的な街に降り立ち、侵略者と戦う話だ。

ボクはこの漫画を漫画雑誌社に持ち込み、見せたが散々な結果。

漫画を描いたことがある人なら判るかも知れないが漫画作成には絵と話、二つともうまく考えて描かないと面白いものは出来ない。

 

ボクは持ち込み後、漫画という漫画を描くこともなく、代わりに絵を描くようになった。

 

そして、いつしか画家として成功する夢を抱くようになる・・

 

ボクは個展終了後も積極的に海外に行き、カンボジアやインドを旅したが漫画的な仏教の絵というのは相変わらず変わらなかった。

これは仏教文化が濃厚なアジアを中心に旅した事が原因かも知れないがアジアの仏達に抱く、オリエンタルな姿がカッコイイと強く思ってしまったからだ。

 

因みにキリスト教圏のドイツに行った事があるが、再び天使や悪魔といった絵を描きたいと思うような事は無かった。

 

そしてインド・ラダック地方を旅した事がキッカケでネパールでタンカ(チベット仏画)修行の旅に出る事になり、チベットの絵を描き続ける事になったのは別のお話し。

 

『ヒンズー教とブッダの神々』あたりまでネパールを旅した直後だった事もあってか、クリシュナやシヴァといったヒンズー教の絵と何処かチベット的な仏教の絵が中心だった。

 

だが今ではヒンズー教はすっかり影を潜め、チベットの神々を描くことが多くなった。

 

ボクはチベット文化圏を旅している内に、向こうの仏教美術以上に文化そのものが好きになり、伝統的なタンカのような絵を描くことが好きになったのだ。

 

旅は絵のタッチをも変えるというお話しでした。

 

Eメール *

初海外出品!テグアートフェアの真実

宮下拓実展「ぼくのマンダラ」が羊画廊で終了したのちボクはネパールに1か月旅をし、向こうの宗教美術からインスピレーションを得ることに成功した。

帰国後、羊画廊での新たな個展に向け制作していくなか画廊のオーナーから面白い話をしてくれた。

 

今年の秋、韓国で開催するテグ・アートフェアに出品しないか?

 

というものだった。

 

願ってもないチャンスだった。

 

世界中の画廊が集まるテグ・アートフェアにボクが行けるなんて・・

ただ、この時のボクは漫画家にあるという夢の方が大きく韓国に行く事への重要性を余り深く考えていなかった。

 

【韓国へ向かう道のり】

ボクとオーナーは新潟からの深夜バスにのり大阪に向け走り出した。

大阪までは長い道のりだったが深夜便という事もあり、眠っている内に到着。

ボクたちは釜山に行く船が到着する港まで行き、そこで待つことになった。

船が到着する時間になると乗船する人々が集まり、辺りは賑わい始めた。

 

そんな時オーナーの知り合いらしき関西の画廊の人達と合流し、ボクたちは彼らと一緒に乗船する事になる。

 

狭い船室に荷を降ろすとオーナーに声をかけられ

 

関西の画廊の人たちと夕食をとらないか?

 

と、誘われボクは(気乗りはしなかったが)行く事にした。

飲食スペースにいたのは関西の画廊の人たちで巧みな関西弁が飛び交っていた。

 

ボクは・・正直怖かった。

 

派手な服装をした割腹のいい画廊の人や同行していた彫刻家の人たちが話す関西弁と関西人特有の人柄に恐怖を感じていたのだ。

だからボクは同じ席についていても殆ど話をせず、声をかけられても素っ気ない態度をとっていたせいもあってか、多分印象は良くなかったものだろう・・。

ボクはその間、夕食とは言えないような鶏肉(酒のつまみみたいで、それしか無かった)の切り身みたいのをモクモクと食べ続け、食べ終えると早々に船室に戻り床につくことにした。

翌日釜山に到着すると彼らと一緒にアートフェアが開催するテグに行き、展覧会会場で準備を始めることに。

 

【テグ・アートフェア】

物凄い広い展覧会会場では世界中の画廊がひしめき合っていてユニークな展示物が至る所に飾られ、圧倒していた。

ボクはオーナーの許可の元、他の画廊を見て回ったが、どれもこれもクオリティが高いもので、正直描き始めたばかりのボクの絵はこの展覧会では似つかわしくない、と思ってしまうほどだった。

夕食が近づくとオーナーから他の人たちと一緒に食べないか?

と誘われたがボクは断り、一人で食べに行った。

ボクは一人になりたかったし、画廊の人たちと繋がりたいとかは、その当時思ってもいなかったからだ。

 

翌日、旅を楽しむ為ボクは世界遺産の海印寺に行き韓国観光を楽しんだ。

 

ボクは画廊の仕事どうこうより韓国に行きたかったという事が強かったんだと、思っている。

ただ、やはり今思えばボクの一連の行動は良くなかったんだと思っている。

 

画廊の人たちと一緒に食事をしたりしていれば何かチャンスがやってきていたかも知れない・・

この時のボクは観光したい!ボクは漫画家を目指している!絵は副業でいいや!

という想いが強かったせいか、それが態度と行動に出てしまったんだと思っている。

 

そんか韓国旅行だったが初の海外出張でのボクの成果は・・

 

 

駄目だった。

 

 

1点も売れる事は無かった。

 

 

海外の大きな壁を破ることは出来なかった。

 

韓国で画廊のちょっとだけ手伝いをして、観光した。

 

それが全てだった。

 

成果という成果を残せずボクの海外出張は終了したのだった。

以上!

Eメール *

『宮下拓実展ボクのマンダラ』曼荼羅の神々を絵にした二度目の個展

羊画廊での初の個展『宮下拓実展~天使と悪魔とボク』が終了後、絵の題材について悩んでいた。

前回の個展では天使や悪魔といったキリスト教をテーマにした絵を描いていたので、今度は余りチャレンジした事のないような題材で描いてみたかったのだ。

 

ただ、やはり宗教関係でいきたかったのでキリスト教と並んで宗教美術が多い仏教を選ぶことにした。

 

ただ、それは本当に何となくだった。

 

自宅にたまたま両界曼荼羅図の本があり、その本には数多くの曼荼羅図に登場する神仏達が拡大画像と共に説明されていて、その本を読んだボクは曼荼羅図の神仏を漫画風の絵にしたら面白いのではないか?

 

と思うようになり、キリスト教から仏教の絵に取って代わる事になった。

 

ただその時は仏教の絵にした事がきっかけでネパールに行くなんて、その時のボクは思っていなかった。

 

ボクは仏教の絵を描くにあたり、曼荼羅図の本や仏教関係の本を読みあさり、落書き帳にお釈迦様や観音様を漫画風に描いていき、徐々に徐々にそれを形にしていきキャンバスに筆をぶつけていった。

と同時にシェル美術賞に向け、60号の絵『釈迦降臨』を描くも落選。

 

今、思えば当然という荒さだったが、ボクはこの後ますます仏教の絵にのめり込むようになる。

 

初の個展終了後、気が付けば1年がたち、2012年1月に二回目の個展『宮下拓実展「ぼくのマンダラ」』が開催された。

「ぼくのマンダラ」では密教の神仏を中心にした絵をテーマにした個展で、自分で言うのも何だが結構満足な展示内容ばかりだった。

メインとなるのはシェル美術賞で落選した釈迦降臨という絵だったが、このような大きな絵が売れるかな・・

と思っていたが何と購入者が表れ、他の絵も思いのほか好評だった。

 

そして気が付けば絵は幾つも売れ、二度目の個展「ぼくのマンダラ」は好評の内終了した。

その後ボクは個展での売り上げ金とバイトで貯めたお金を元手にネパールに行き、本物の宗教美術をこの目に焼き付けることになる。

ネパールにいったのは絵の為というのもあるが、物価が安く初バックパッカーでも旅しやすいという理由とやりたくも無いバイトを辞めるきっかけが欲しかったからだ。

ただ初の一人旅でネパールに行った事がきっかけで海外一人旅の面白さにハマり、その後もカンボジアやインド、ドイツ等をリュック一つ担いで旅することになる。

Eメール *

羊画廊で初の個展“宮下拓実展「天使と悪魔とボク」”の裏話

2011年3月、初の個展に向け、専門学校を卒業してからも日々ボクは絵を描いていた。

しかしその頃のボクの絵と言えば今のような絵ではなく、表面的で、ただ原液をベタっと塗ったような絵ばかりだった。

まぁ、ボクは元々漫画ばかり描いていて絵なんて中学の美術の時間しか描いていなかったからしょうが無いのだけれど・・。

 

しかし過去のパンフレットを見ると雑だなぁと感じてしまう位ヘタだった。

 

ともかくボクは個展に向け絵を描いていたが、その時の絵の題材は悪魔と天使だった。

現在はチベット仏教絡みの絵を描いているが、これはネパールやラダック等で仏教美術と出会い、その魅力にハマってしまったからだ。

海外に行く前のボクは悪魔や天使といったキリスト教の絵に興味があった為、そういう絵を描いていたのだが、元をただせば女神転生シリーズの悪魔の絵がカッコイイと思っていたから悪魔や天使を描いていたんだと思う。

女神転生シリーズとは悪魔を倒したり仲間にしたり出来る昔からあるゲームなのだが、女神転生の攻略本には多数の悪魔達の絵が描いてあり、子供ながらにその絵を真似したりしていたのだ。

 

その結果、ボクは宗教美術に興味を抱くようになり個展開催が決まった際は悪魔や天使を題材にしたんだと思う。

 

【宮下拓実展「天使と悪魔とボク」】

ボクは毎日絵を描き、羊画廊で無事個展を開催する事が出来た。

個展の名前は「天使と悪魔とボク」

ボクとつけたのは、ボクの絵がマンガっぽいというか子供みたいな絵が多いせいもあり、そのようなタイトルにしたんだと記憶している。

 

ただ正直不安だった。

 

本当に絵が売れるのか?と。

 

羊画廊は新潟で歴史ある画廊の一つで訪れる客は目が肥えてるはずだ。

絵を描き始めたばかりのボクの絵が本当に売れるのか・・

 

と思っていたが売れた。

 

しかも幾つも幾つも・・!

 

これは本当に驚きだった。

 

ただ、その背景には画廊側がボクの絵の値段を安く設定し展示販売していた事が原因だった。

 

理由としてボクの絵を安く設定し、いっぱい買って貰う事でファンを作るという考えだったからだ。

 

また見に来てくれた人が以外に多かったのは画廊側がパンフレットを大量に作り眼回ししたり、専門学校が新聞にボクの事をかいてくれたりと色々集客していたからだ。

 

僅か6日間の宮下拓実展「天使と悪魔とボク」は無事終了。

 

その後ボクは仏教の絵を描く事になり、海外の仏教文化を探すべく翌年ネパールに行く事になる。

Eメール *

絵の仕事をするという事は一体何なのか?

 

 

2016年4月、ボクは衝撃を受けた。

 

 

ヒマラヤの国ネパールが大震災により大きな被害を受けたのだ。

 

ネパールはボクが初めて長期間一人旅をした思い出の地。

 

そしてその旅が仏教の絵を描くきっかけとなり、仏教美術を求める旅を始める事になった国だ。

 

そのネパールが大変な事になっている。

 

連日テレビでカトマンズの被害状況が報告され、貴重な世界遺産の数々が被害を受けている。

 

ボクは歯がゆい思いでテレビに目をやり、時間が過ぎていった。

 

【震災後のネパールに訪れる】

ボクは震災後、二度にわたりネパールに訪れた。

一回目はタンカ修業の為、二枚目はタンカを教えてくれたマイラ氏に御礼を言うため。

寺院等の貴重な文化遺産はまだまだ目も当てられない状況の場所があったが、ボクがタルラム・ゴンパを訪れた時の事だ。

タンカ絵師の人が四天王の壁画の修復をしていたのだ。

 

その光景を見ていてタンカ絵師とはどういう存在なのか?と考えていた。

タンカ絵師とはチベット文化の一つのタンカを継承する人であると同時に寺院の修復にも役に立っているのか・・。

チベットにおいてゴンパ(寺院)とはチベット人達と深く繋がっている存在だ。

僧侶は子供が生まれたら、その子供の名づけ親になるし、ゴンパはチベット語を教えたりと文化の継承する役目をも担っている。

 

チベット人達にとってゴンパは大切な場所だ。

 

そのゴンパの修復をタンカ絵師が担っている。

 

タンカ絵師とは?絵を描く仕事とは?

 

そんな思いにはせる出来事だった。

 

【絵の仕事とは?】

絵の仕事とは、恐らく絵以外の仕事と同じように誰かの約にたつことができる仕事なのだ。

 

絵の仕事と言っても様々ある。

 

漫画家、アニメーター、イラストレーター、画家・・

そのいずれも結局の所、誰かの為に仕事をしているのだ。(例え自分自身の為、お金を稼ぐ行為だったとしても)

 

ボクは絵を描いて、個展で展示販売したりと画家活動をしている。

だが絵とは正直あってもなくてもいい存在だ。

 

それでもボクは絵を買ったことで何かが変わったり、何かの約に立って欲しいと願っている。

 

実はそう思わずにはいられない出来事があった。

 

個展を開くとよく絵を買ってくれる人がいる。

 

彼はボクの友人の叔父で、美術教師をしている。

初めて仏教の絵をテーマにした個展を開いた際、50号程の絵を買って頂いた。

そして後に彼から聞いた話により、その絵がどうなったかという事を聞かされた?

 

画家にとって、売った絵がどうなったかは気になるところ。

 

学校に飾ってあるらしい。

 

多くの学生の目に触れ、飾ってある。

 

ボクの絵を見て、少しでもハッピーになったり、仏教の絵に関心を持ったりして頂けると画家冥利に尽きると思うのだ。

もしも何らかの絵の仕事をしているのなら、誰かの為に描いている、という思いで描いてはどうだろうか?

ボクはチベット仏教美術の素晴らしさを知って貰いたいから、チベット仏教の絵を描いている。

つまりアレンジされた絵だったとしても、チベット人達の文化を伝えるためボクは絵を描いている・・。

それは大袈裟かもしれないが、そう思わずにはいられないのだ。

 

 

 

 

 

 

Eメール *

想像力溢れる絵を描く方法『マインドマップ活用術』

想像力を鍛えるためには幾つもの方法がある‥

本や映画を観て視覚から想像力を得る方法。

音楽を聴いて聴覚から想像力を得る方法。

海外へ旅に出てその場の匂い、空気、日本で感じられないような事を感じ想像力を得る方法。

だがこの他に最も想像力を鍛える方法がある。

マインドマップである。

【マインドマップとは?】

マインドマップとは、簡単に言えば連想ゲームである。

マインドマップはボクが漫画家を目指し専門学校に入った時に教えて貰った方法だが、漫画家や小説家等クリエイティブな仕事をしている人達が実践している方法だ。

やり方は頭に思いついたものを紙に書き続ける事で脳の様々な部位を刺激し想像力を鍛えられる事が出来るのだ。

具体的に言えば‥

紙にメインテーマとなる言葉を書き、そこから放射上に枝分かれさせながら関連するワードを描いていけばいいだけ。

色鉛筆等、色つきで書けば更にベスト。色を着ける事で更に脳を刺激する事が出来る。

【マインドマップの例】

 

【旅(メインテーマ)】⇒【海外に行く】⇒【何をしに?】⇒【仏教美術を探しに】

といった具合に様々なワードを置いていくと自分でも発見出来なかったワードを思いつく事が出来るのだ。

【海外に行く】⇒【仏教美術を探しに】以外にも

【海外に行く】⇒【海外の文化に触れたい】とか

【海外に行く】⇒【外国の料理を食べてみたい】とか

人によって様々なワードを描いていける。

メインテーマとなる【旅】からも【海外に行く】以外のワードを置ける。

【旅】⇒【自分にとって旅とは?】

【旅】⇒【旅で学んだ事とは?】

【旅】⇒【知り合いに旅が好きな人はいるだろうか?】

などなど‥

 

【画家にマインドマップは必要か?】

画家にマインドマップは必要なんだろうか?

ボクの場合、そもそもボクの絵の元となるタンカ(チベット仏教画)を参考にし描いている訳だから余り必要にならないのかもしれない。

ボクの想像力の鍛え方は、本を見たり海外へ旅に出て仏教美術を見に行く事‥

チベット文化圏の美しい仏像や壁画はボクの想像力を上げるのに最適な材料だった。

だがオリジナリティ溢れる絵を描く場合、例えば真っ白なキャンバスから何かを想像して描く場合‥

もしかしたらマインドマップが画家の有効な手助けになるのかもしれない。

例えば『城』をテーマにした絵を描く場合‥

【城】⇒【城下町がある】⇒【どんな?】⇒【ドイツ風な街並み】

【城】⇒【兵士がいる】⇒【状況】⇒【兵士達は武装し今まさに戦場に出ようという状況】

【城】⇒【ファンタジー】⇒【ドラゴン】⇒【ドラゴンが城の上を飛び回っている】

と『城』をテーマにしたが、画家にとってマインドマップは必要になるのかもしれない。

マインドマップを利用する事で自分でも想像し得ない魅力溢れる絵を描けるかも知れないからだ。

マインドマップは人によって使い方は千差万別だが間違いなく想像力を上げることが出来るのだとボクは思うのだ。

 

Eメール *

夢を追うことに年齢は関係あるのだろうか?『ある日本人との出会い』

漫画家になる夢‥

画家として成功する夢‥

人によって夢は様々なれど、夢を追うことに年齢は関係あるのだろうか?

どういう訳か我が国日本では夢を追うことに年齢制限があるように感じられる。

30才になるまで夢が叶わなかったら夢を諦めなければならない的な風潮が‥

現にボクが通っていた専門学校でこんな体験をした事がある。

それは卒業間近に先生がクラス全員に将来用紙を渡され、自分の将来をについて考え、紙に書き出すというものだった。

先生は言った。

「殆どの人は30才をめどにしてる」と。

ボクは別に30才になるまでとか考えてもいなかったが先生の求める意見を書き、親の承諾を受け先生に渡すのだった‥

何かがおかしい。

 

どうして30才まで何だろう?

 

年なんて関係ないはずだ。

 

人生は1回きり、思う存分自分のやりたいように生きた方が良いに決まってる!

人の意見なんて関係ない。

用は自分が何をしたいか?だ。

ボクはこの頃、キリスト教の絵を描いていたがもっと世界を見なければならないという海外への好奇心により個展終了後、ボクはネパールへと飛んだ。

【やはりボクが考えていた事は間違いなかった!】

ネパールに行ったのはただ単に物価が安いという理由だけだったが、そこで見たこと、感じたこと、出会ったことは後のボクの人生に大きく影響する。

ボクは以前から心地よいと思った場所を何度も行く癖みたいのがあって、それはネパールでも同じ事だった。

ボクはタメル地区にある日本人経営の『ちゃちゃかふぇ』という日本食レストラン(主に洋食だが)に頻繁に通っていた。

というのも、ちゃちゃかふぇで手伝いをしながらネパールに暮らしている日本人と出会ったからだ。

 

彼は色々な意味でぶっ飛んでいた!

 

彼がネパールに来た理由‥

ネパール人の奥さんを探しに、だそうだ。

しかも彼がネパールにやって来た当初、英語もネパール語も喋れずお金もどういう訳か殆ど持っていなかったらしい。

そしてゲストハウスに借金を繰り返して住み着きネパール人の奥さんを探していたみたいだ。

この時の彼の年齢は50過ぎだったと思う。

そして夢は‥

ネパールにメイド喫茶を作る事!だそうだ。

面白い‥

この人はなんて面白いんだ!とボクは思った。

50を過ぎても夢を追い続けている彼の目は輝いていた。

やはり年なんて関係ないのだ。

どう思われても自分のやりたいようにやってる方が格好いいのだ。

3度目のネパールに行ったとき、もう彼は日本に帰国し会うことは出来なかったが彼との出会いはボクの人生観に大きな影響を与えるのだった。

 

 

Eメール *

旅はボクにとっての想像力の鍛え方

ボクは仏教美術を求めてアジアを旅している‥。

 

これはボクが実践している想像力の鍛え方の1つだ。

 

海外には日本では絶対見れないような刺激的な光景や城砦のような仏教寺院の数々をこの目にすると、そこで体験した空気みたいのを表現したくなってボクは絵を描くのだ。

ボクの場合、仏教画なのだけれど海外にいかなくても資料を見れば描けるんじゃないか?と思われるかもしれない。

確かにボクの絵はタンカ(チベット仏教画)を参考にしていて描かれる仏達もボクの持っている資料を見れば描けるのだ。(仏達の持ち物や体の色、体位は資料を参考に描いている。)

だが資料だけで絵を描き続けても良い絵は描けないとボクは思うのだ。

仏教の源流たるアジアにこの足を伸ばし仏教文化が残る国々を旅する事で想像力が上がり今よりもっといい表現方法をアジアの国々で感じ取ってもっといい絵を描けるようになるのだ。

 

特にチベット文化圏はボクの想像力を上げる事にはかかせない地域だ。

チベット文化圏とはチベット、ネパールやインド、モンゴルやロシアの一部の自治共和国の国々の事を言うのだけれど、それら国々には色鮮やかな仏教美術を用いた寺院の数々や独特な仏教文化が残っていて、ボクの絵に参考になるような光景の数々があり、それらはボクの脳を刺激する。

だからボクは旅をやめられないのだと思う。

 

旅は想像力を上げると共に自身への投資なのだと思う。

 

ボクはスキルアップすると思うような事だったらお金を惜しげもなく使ってきた。

 

例えば専門学校。

 

ボクは画家としてやっていく!と決める前まで漫画家を目指し、漫画の技術を上げたいと思い専門学校に入学するため、多額の授業料を会社で稼ぎ入学したのだ。

 

専門学校は特に想像力を鍛える場所として最適だった。

 

漫画の参考資料が数多くあり、想像力を上げる方法等を学ぶ事が出来たのだ。

学校から教えてもらった想像力を上げる方法の1つにマインドマップというものがある。

マインドマップとはイギリスの教育者トニー・ブザンが開発した思考技術の事で、具体的には中心部に何らかのテーマを描き、そこから放射状に思いついたイメージ等を描き枝分かれしながら描き続け事の言う。

ボクは漫画を描いていた時、想像力が行き詰まった時、このマインドマップを作り漫画を描いていた事がある。

他にも物語を造っていく上で必要な事や物語の基本的事(起承転結)等想像力を上げる方法を色々学ぶ事が出来た。

 

だけど技術や想像力は上がったが漫画家になる事は出来なかったが‥。

 

だが専門学校に行った事は無駄ではなかった。

 

そこで出会ったのは絵であり、その絵をもっと良いものにしたい!と思い付いたのが海外へ旅をする事だったのだ。

 

初めは漫画への想像力を上げるためだった。

 

ボクは初めて訪れた国ネパールでヒンズー教や仏教の神々と出会い、ネパールの独特な臭いみたいのを表現したくなってボクは神様が主人公の漫画を描いた。

だが編集社に評価してもらったが酷評の数々だった。

 

だが同時進行で描いていた絵は個展での評判が良かったせいもあってか次第に絵を中心に描くようになり、ネパールで神々と出会った事もあってか毎年のように海外へ旅するようになったのだ。

 

ボクにとって想像力を上げるという事は海外へ行き本物の仏教美術を見ることにより脳を刺激し、今よりもっと良い絵を描きたいと思い技術を自然と上げる事なのだと思う。

 

Eメール *

運を引き寄せる事は出来るのか?『運と出会いの数々』

運はあるのか‥?

ボクは絵を描き個展を開いたり海外へ旅をしている訳であるけれど、これに至るまでには運を自然に引き寄せ、絵描きになる出会いがあったのだ。

 

そもそも運とは何なのか?

 

ボクが思うに運とは突然現れる吉兆なのだと思う。

そしてそれは引き寄せる事が出来るのだと信じてる。

ボクは漫画家になるため専門学校に入学したが、それには理由があった。

当然漫画家になるスキルを得る事も出来るのだけれど日本アニメ・マンガ専門学校では年に数回『添削会』というイベントがあり、地元にいながら東京から様々な編集社(週間マガジンやシリウス等)が専門学校までやってきて自分で描いた漫画を添削してくれるのだ。

だからボクは添削会に間に合わせるように毎日マンガを描き編集社に添削してもらったが在学中たったの1度も担当をつける事も出来なかった。

だがボクと同じように漫画を描いてきた仲間の中には担当をつける人もいたし、漫画家デビューする者さえいた。

 

彼らには運があったのだろう。

 

漫画家になって成功する高校生のマンガ『バクマン』で主人公が語る漫画家になる条件を次のように語っている。

 

『うぬぼれ』『努力』『運』

 

漫画家になりたいと願う事でモチベーションが上がり、その為に目的を叶える為の努力をする‥。

 

でも最後は結局は運なのだ。

 

ボクの知り合いに専門学校時代から漫画家を目指している人がいるが彼はボクよりも多くの時間を使い漫画を描いている訳だけど、担当もついてないし賞も受賞していない。

 

何故か?

 

彼は編集社にマンガを持ち込む訳だけれど編集社のアドバイスをあまり聞かないのだ。

もしかしたらアドバイスを聞いたら今よりもっといいマンガもかけるかもしれないし担当もつく事が出来るかもしれない‥。

彼はそれを怠っていた。

ボクの場合アドバイスを聞いてマンガを描いてきたけれど、それでもダメだった。

だけどボクは在学中別のアドバイスをもらった。

専門学校で『画材技法』という授業があった。

水彩絵の具やアクリル絵の具、コピック等様々な画材を学べる授業なのだが、ボクはそこで自分でも気付かない独特な色彩感覚を発見し絵を描いた。

その絵を見た担当の先生は色づかいの注意点や「ここをこうすればもっとよくなる」とか様々なアドバイスを受け、専門学校2年目に個展をやらないかと誘われた。

 

突如やってきた吉兆だった。

 

この運を逃すともう次はないと思ったボクはその運をつかみ、絵描きの道を歩むようになるのだった。

 

ボクが思うにもしも運がやってきたら、例え自分が望まない形だったとしてもその運を掴めば新たな道を開く事が出来るのだと信じている。

 

【運と環境】

運は環境により引き寄せる事が出来るのだと思う。

例えば専門学校、漫画家を目指す人達が集まるのだから夢を叶える情報も入ってくるし運を引き寄せられる環境なのだと思う。

ボクがタンカ(チベット仏教画)を学びにネパールへ修業しに行った際に関しても、タンカ絵師が多くいて良い師と出会う事も出来るからだ。

タンカ絵師を探しにボウダナートにおもむいた際こんな事があった。

ある食堂に入った際、目の前にいたチベット人に個展のパンフレットを見せた際の事だ。

彼は自分も絵を描いていると言い、スマフォの中の画像を見せてくれたのだ。

 

なんと彼はボクが探していたタンカ絵師だったのだ!

 

ボクは彼に「勉強したい!学ばせてほしい!」と熱弁したがつたない英語が伝わらなかったか、発音が悪かったか相手にされず彼は去ってしまったのだ。

もしかしたらもっと強く引き止めていたら何とかなったかもしれない。

 

運がやってきたら引き止めるものだがボクは諦めてしまった。

 

ただボウダナートはタンカ絵師が多くいる。

 

だからボクは諦めなかった。

 

例え相手にされずともバカ高いタンカ学校に行かずともボクは諦めなかった。

 

そしてついに師となるタンカ絵師マイラ氏と出会うのだった。

諦めなければ運は自分に寄ってくるものだと思うし、経験的に思いがけない時にやってくるのだとボクは思うのだ。

だからボクは絵を書き続け、仏教美術を求めアジアを回る。

何か思いがけない運や出会いがやってくると信じてるから。

 

 

 

 

 

 

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