画家として生きる

漫画家志望の人間がなぜ画家として人生を歩む事になったのか?

投稿日:

ボクは個展をしたり海外でライブペイントしたりと画家人生を歩んでいるが、そこに至るまでの経緯は偶然と挫折が重なった末だった。

そもそもボクは画家を目指していた訳ではなく

 

 

子供の頃の夢は漫画家であった。

 

 

なぜ漫画家を夢見たかというと昔からボクは頭の中で『もう1つの世界』を創造することが好きで中学生になると漫画にするという事が多くなった。

 

 

そして中学卒業位になると

 

 

漫画家になる!

 

 

と心に誓い漫画を描いてコンペに送ったり漫画家のアシスタントに応募したり

振り替えれば画家を目指す人間の人生というよりも漫画家志望ね生き方をボクは歩んでいたのだ。

 

 

だがそんなボクの人生が一転したのは専門学校に通った事が始まりだった。

 

【専門学校の授業で絵と出会う】

ボクが新潟にある日本アニメ・マンガ専門学校に通おうと思ったキッカケはコンペに出しても賞が取れない、アシスタント募集に応募しても連絡が来ない等

 

上手くいかない事ばかりだったからだ。

 

ただ今思い返せば当時のボクの画力はまだまだで物語自体も独りよがりなものだった。

アシスタントの件にしても反応が悪いから編集社に突然電話して

 

 

「アシスタントにしてくれ!」

 

 

なんて自分の実力も分からない絵を送ってもいないのに直談判したが当然ダメで

 

 

「そんなに言うならアシスタントにならない方がいい」

 

と一喝されたり・・

社会人としてもダメだったボクは、上手くいかないのなら専門学校に行こう!と思い立ち会社に行き約300万を貯めると

 

 

新潟の古町にある日本アニメ・マンガ専門学校に入学した。

 

 

この専門学校は後にアニメ化を果たした『将国のアルタイル』の作者カトウコトノ等数多くの漫画家を輩出した実績のある学校だし

 

有名な出版社が学校に赴き漫画を見てくれる添削会も魅力的だったからだ。

 

だが行ったからといって漫画家になれるとは思わなかったが夢が叶う可能性が少しでもあるのなら行くべきだと思ったからだ。

入学して思ったのは日本アニメ・マンガ専門学校で学んだ事の多くは基礎的な授業が殆どだった事だ。

 

まぁ基礎がなっていなかったら良い漫画や絵も書けないから間違っていないのだが。

 

例えばこういった授業があった。

 

・コマ割りや物語の作り方

・基礎的な技術、ペンの使い方

・デッサン

・トーンの振り方

 

中でも絵の具やコピックの使い方を教えてもらう画材技法という授業はボクを画家として運命付けてしまった。

というのも画材技法を担当していた講師は外部からやって来た人で後にお世話になる羊画廊の人だったのだ。

 

その授業でボクは持ち前の想像力を絵にぶつけ続けた!

すると講師の人の目にとまり羊画廊で個展をしてみないか?

という話になりボクはいつしか漫画そっちのけで絵を中心に描くようになったのだ。

 

【初の個展で絵が売れまくる】

専門学校で絵と出会い翌年の個展に向け絵を描き続けたボクは絵の描き方に悪戦苦闘。

 

色と色のバランスも分からない。

 

アクリル絵の具の使い方も分からない。

 

という超初心者のボクはバイトをしながら独学で学んでいった。

 

例えば美術書から絵の構図を学んだりゲームの背景から色の使い方等を学んでいった。

 

 

そんな感じで2011年に初の個展が開催。

 

 

当時の絵は今よりも技術的にまだまだだったが安かった事もあり絵の殆どが売れていった。

個展の成功によりボクはますます絵を描くようになった。

ただこの時はまだ漫画家の夢を追っている状態でバイトと絵と漫画という三足のわらじであった。

 

【初の海外一人旅はネパール】

個展終了後ボクはネパールへ旅立った。

名目としては仏教芸術を探りにネパール取材というのが表向きだったがバイトを辞めるキッカケが欲しかったというのが一番大きいと思う。

 

まぁ物価も安いし長期滞在しやすいし(実際旅費五万だけで一ヶ月いる事になる)

 

行ってみて思ったのは日本とは全くと言っていいほど、かけ離れたネパールは当時のボクにとって居心地のいい所では無かった。

 

ダルバール広場で怪しげな物売りにアクセサリーを強引に買わされたり自称ガイドに案内料払ってしまったり・・

 

そんなネパールの洗練はボクをホテルにこもらせる原因をつくり食事以外殆ど外には出なかった。

 

ただ唯一の心の救いはホテルがあるタメル地区にあるちゃちゃカフェという日本料理屋だった。

このちゃちゃカフェには当時、手伝いをしていた日本人男性がいてボクは彼とよく話したりチベット人経営の酒場で一緒に酒を飲んだり・・

 

色々と楽しんでいたのだ。

 

そんなこんなで初の海外一人旅は終わり帰国後ボクは仏画を中心に描いていくようになる。

【漫画家の夢を挫折する】

専門学校卒業後、三足のわらじでやってきた訳だったが次第にそれは歪みを生むようになっていった。

毎年のように個展を開催していると、それだけ絵に費やす時間をとらないといけない。

 

食料品会社のアルバイトも週5~6あり作業時間はだいたい7時間位ある。

家に帰れば仕事で疲れはて絵や漫画に費やす時間は長くても1~2時間位。

 

また個展があるので漫画よりも絵を中心に描いていかないといけない・・

 

 

そんな毎日を送っている内に遂にボクは漫画を描くのを止めてしまった!

 

 

原因は確かに絵とバイトの両立はあるのだけれどネパールの経験をぶつけた漫画を出版社に持ち込んだ結果が

 

酷評の嵐だった事も大きかった。

 

絵に関しては上手くいってるのに漫画は全くの逆。

出版社にボロクソ言われたボクは精神的に落ち込み以来漫画を描くのをやめ夢を追うのを諦めたのだ。

 

【夢を諦めた事により世界が広がった】

ボクは漫画家の夢を諦めた事により絵が中心になった生活になっていった。

絵を描いていなかったらネパールで仏画修行の旅に出なかったし、このブログを作ったりオーストラリアでライブペイントをする事も無かった。

 

 

そしてボクの夢を変えてしまったといって過言ではないと思う笑

 

 

何か才能を活かした仕事をして生きてみたいという夢を持つという事は一般企業に就職して定年まで仕事する・・

 

 

という普通の生き方よりもはるかに大変な事だ。

 

しかし夢を持つ事で

 

面白い人生をおくれるのは間違いない!

 

 

-画家として生きる

Copyright© 漫画仏画絵師 , 2019 All Rights Reserved Powered by STINGER.