ボクがまだ専門学校時代の話だが、当時『画材技法』という画材の使い方について学べる授業で担当の先生から、ある課題が出された。
それは画材(アクリル絵の具やコピック等)を使って自分自身を紹介する、というものだった。
ボクはこの課題を出された時、パッと頭に浮かんだのは東南アジアに伝わるバロンやガルーダといった神様だった。
そこで、色々考えた結果、ボクは神様を描いた。
絵は、もう処分して残っていないが、画像のようなオリエンタルな感じにした事は覚えている。
具体的には左右肌の色を違うものを描き、背後には炎を描いて完成させた。
どうして、こんな絵を描いたかというとボクは自分自身を二面性があると思っていたからだ。
もしかしたらボクの第一印象は静かそうに見えるかもしれない。
だが、胸には熱い夢を抱き、その実現に向け行動する・・。
それを絵に表したかったのだ。
因みに、自分自身を表情するのに神様を描いたのは、あくまで自分自身への『象徴』として描きたかったからだ。
課題を描く時間が終わり、全員の絵はホワイトボードに張り出された。
その時、ボクはみんなの絵を見て、愕然とした。
何故ならボクが描いた『神様』の絵以外、漫画を描いている自分自身の絵が大半をしめていたからだ。
先生は一人一人の絵について、どういう意味を持っているか?
その絵を見て、作者以外の人が『内容をあてる』という事を行った。
他の人の絵がホワイトボードに張り出される度に、生徒達はみんな同じような意見ばかり言っていた。
「この人は漫画が好きだ。」
「漫画に対して情熱を持っている。」
「向上心がある。」
とか、似たり寄ったりの意見ばかり・・
それもそのはず、みんな同じような絵ばかりだったのだから(笑)
そんな評論会が続き、とうとうボクの絵の番がやってきた。
ボクの絵がホワイトボードに張り出された瞬間・・
あれだけ意見を言っていた彼らが、明らかに困惑しはじめたのだ。
「・・・・」
少しの沈黙のあと、誰かが言った。
「宗教的?」
この発言の後、まるで糸を切ったかのように、ボクの絵の評論会が始まった。
「神様」
「情熱的」
「炎」
発言はどれも抽象的で、誰一人としてボクの絵に込めた想いをすくい取ることは出来なかったが。
その後、絵の評論会は終わり、課題の絵は回収されたが、今でもボクはあの『神様』の絵を描いてよかったと思っている。
何故なら人と違うものを描いても悪いことでは無いし、あの絵に表したかったものが『自分自身』なのだから。
日本で生きていると、何故だか皆に合わせなきゃいけないという風習のようなものがある。
それは人の目だったり、社会の目だったりするが、実際は
『人と違っていて、構わない』のだ。
それが変わっている。間違っている。
と言われても、それが自分自身であり、人の目や社会の目に屈しない表現方法だと思っている。
だからボクは先生に自分自身を表す絵を描くよう課題を出された時、もしかしたら、あえて絶対に人が思い付かないような絵を描いたのかも知れない。
それが無意識的に日本社会に抱くボクの『反骨精神』を絵に込めた結果だったのだから。