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【必見】仏画を学ぶにはチベットを旅した方がいい3つの理由

ボクは『秘境』チベットやネパールやラダックといったチベット文化圏の国々が仏画を学ぶのに最も適していると思っている。

何故ならチベットは仏教が盛んであり、ゴンパと呼ばれる僧院には美しい壁画や仏像などが沢山あって仏画師にとっては、正に『勉強の場』といっていい環境だからだ。

長年に渡りチベット文化圏の国々を旅しているボクも暇さえあれば独自にアレンジした仏画を描く絵師の一人だ。

ボクがチベット仏教美術にはまったきっかけは、ラダックでチベット仏教美術の美しさを知り、後にネパールでタンカ(仏画)絵師を見つけ出し3か月修行するまでに至った。

 

ネパールで得たものは技術だけでなく本場の美しい壁画等が今の仏画の糧になっていると思っている。

 

そこで今回、この記事では『チベット』がいかに仏画の勉強に適しているか?

 

ボクなりに考えた理由を3つ紹介するので仏画を学びたい人はチェックして欲しい。

 

【世界有数の仏教美術スポット】

先にも述べた通り、チベットにはゴンパと呼ばれる僧院が沢山あり、僧院内外には美しい壁画で彩られていて土手もカラフルだ。

ボクはそんなゴンパが好きで生涯をかけて、出来るだけ多くのゴンパを見て回ろうと思っているが、仏画を学ぶにはホンモノの仏教美術を見ることが何よりの勉強になると思っている。

だからボクは様々なゴンパを見て回っているのだが、いつも思うのはゴンパごとに様々なスタイルの壁画があったりして、全く飽きないからだ(当然だが)

ゴンパが沢山あるチベット文化圏とはチベット本土を初め、様々な国々、地域があるが、中でもラダックと呼ばれる地域は世界的にみても仏教美術の宝庫で、仏画を学びたい人は一度でいいのでいってみて欲しい地域だ。

ラダックはインド北部に広がるチベットスポットで、俗に『インドの中の小チベット』と呼ばれる事もある位、沢山の巨大ゴンパや仏教文化を見ることが出来るのだ。

ラダックにはアルチ・ゴンパと呼ばれる有名なゴンパがあるが、このゴンパには壁画のレベルが高くチベット文化圏の中でもトップクラスと呼ばれている。

またラダックは文化大革命でゴンパが破壊され続けたチベット本土とは違い、西チベットの昔ながらの仏教美術がゴンパで守り続けられている。

世界の秘境インド辺境の地『ラダック』って何処?

ボクが初めてラダックに行った時は、ティクセやマトゴンパ等沢山のゴンパを見て回ったが、ラダックのホンモノの仏教美術は本当に今の仏画に活かされていると思っている。

以下はボクが実際に旅して見てきた美しいチベット壁画だが、これら写真を見れば『仏画の勉強になる』という事がおわかり頂けるだろう。

 

■ラダック

ティクセ・ゴンパの四天王の壁画。壁画全体は劣化しているが青が基調とした美しい壁画だ。

マト・ゴンパの壁画は綺麗な朱色で、他の壁画よりは新しい感じがした。

■ネパール

カトマンズ郊外のファルピンにあるゴンパ内の壁画。これはヨーガ行者であり、悟りをひらくため修行をしている。

同ゴンパ内の四天王の壁画。

馬頭明王の壁画(ファルピンより)馬頭はヴィジャヤと共に描かれる。

ボダナートの小高い丘の上にあるコパン・ゴンパにある壁画。他のボダナートのゴンパよりも美しい。

壁画はゴンパのみならず、巡礼用のマ二車(1回転すると御経を1回読んだことになる法具)連の奥に描かれる事も(チャナ・ドルジェの壁画*スワヤンブナートより)

■東チベット

東チベットのラガン・ゴンパの壁画(白色如意宝珠マハーカーラ)

ラガン・ゴンパではヤマンタカやヘーヴァジュラといった護法神の壁画を間近に見れるゴンパだ。

他にも緑タラといった女神の壁画も見ることが出来る。

東チベットのゴンパは文化大革命の影響もあって、文革後に再建されたゴンパが殆ど。だから新しいものが多いが、中にはプリントを貼り付けただけの壁画もあり、仏画師としては土手も残念だ。

東チベットのゴンパについてはこちら

ラルン・ガル・ゴンパの他にもある!!東チベットの美しき仏教寺院の数々

この他にもチベット文化圏には美しい壁画があるゴンパが沢山あるので、当ブログで紹介していくのでチェックしておいて欲しい。

 

【チベットの仏教文化】

ボクがチベット文化圏の旅をしているのは仏画の勉強の為であるが、ボクの心情としては仏画の背景にある文化的なものを感じることが出来るから、いい絵を描く事が出来るのだと思う。

例えばボクの絵のモデルはタンカと呼ばれるチベット仏教画だ。

このタンカは確かに信仰の為、瞑想の為に描かれているものだが、元を正せばチベット人達が作り上げてきた文化の一つなんだと思う。

 

だからボクは、タンカというものをつちかってきた文化を知るために旅をしているのかも知れない。

 

妙に理屈っぽくなってしまったが、アーティストの脳を刺激するのはやっぱり海外であり、そこに広がる文化を見てきたからこそ、今の仏画があると思っている。

ラダックで見たチャムという仮面舞踏。

 

東チベットに広がる大草原を五体投地で祈りながら聖地巡礼をする人々。

 

ネパールで見たチベット仏教やヒンドゥー教が融合した祭りの数々・・

 

ボクはチベット文化圏で様々な経験をしたからこそ、『今』があるのだ。

 

だからこそ仏画を学ぶには技術的なものだけで無く、背景にあるものも実際に見ることも勉強の一つなんだと思っている。

【海外で仏画を学べる】

ネパールは宗教心高い国だけあって仏画を学べる場所が沢山ある。

代表的な場所はチベット仏教の聖地ボダナート。

ボクはラダックに行った後にボダナートで仏画を学んだが、それはチベット文化を肌で感じられる場所であり、そして何よりゴンパが20以上ある密集地帯だからである。

 

ボダナートには仏画を学べるタンカスクールの他、ホワイト・ゴンパやコパン・ゴンパでチベット仏教や瞑想を学べたり、チベット文化について学べる事に1番適した環境だ。

ただし、タンカスクールは高額な授業料を取られるので注意が必要という事をアドバイスしておく。

例:15日間3万円の学校や1時間300円だったり(日本よりは遥かに安いが)

ボクは当時ネパールに3か月修行したが、その時の事を言えば値段の高いタンカスクールに通いたくなかった為、自力でタンカ絵師を見つけ出し3時間300円という破格の安さで請け負ってくれたタンカ絵師マイラさんのおかげが大きかった。

もしも長期間、ネパールで仏画を学びたいという人はボクのように自力で探して見るというのも一つの手だ。

 

以上3つを紹介したがチベットは仏画を学ぶに適した環境だという事がおわかり頂けただろうか?

海外は日本で味わう事が出来ない、好奇心を刺激する様々な出来事、出会い等が待っていると思うので、仏画を学びたいという人は一度チベットを旅してみて自分の仏画と向き合ってみては如何だろうか?

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皆と違う絵を描いて何が悪い!?『反骨精神を込めて』

ボクがまだ専門学校時代の話だが、当時『画材技法』という画材の使い方について学べる授業で担当の先生から、ある課題が出された。

それは画材(アクリル絵の具やコピック等)を使って自分自身を紹介する、というものだった。

ボクはこの課題を出された時、パッと頭に浮かんだのは東南アジアに伝わるバロンやガルーダといった神様だった。

 

そこで、色々考えた結果、ボクは神様を描いた。

 

 

絵は、もう処分して残っていないが、画像のようなオリエンタルな感じにした事は覚えている。

 

具体的には左右肌の色を違うものを描き、背後には炎を描いて完成させた。

 

どうして、こんな絵を描いたかというとボクは自分自身を二面性があると思っていたからだ。

 

もしかしたらボクの第一印象は静かそうに見えるかもしれない。

 

だが、胸には熱い夢を抱き、その実現に向け行動する・・。

 

それを絵に表したかったのだ。

 

因みに、自分自身を表情するのに神様を描いたのは、あくまで自分自身への『象徴』として描きたかったからだ。

 

課題を描く時間が終わり、全員の絵はホワイトボードに張り出された。

 

その時、ボクはみんなの絵を見て、愕然とした。

 

何故ならボクが描いた『神様』の絵以外、漫画を描いている自分自身の絵が大半をしめていたからだ。

 

先生は一人一人の絵について、どういう意味を持っているか?

 

その絵を見て、作者以外の人が『内容をあてる』という事を行った。

 

他の人の絵がホワイトボードに張り出される度に、生徒達はみんな同じような意見ばかり言っていた。

 

「この人は漫画が好きだ。」

 

「漫画に対して情熱を持っている。」

 

「向上心がある。」

 

とか、似たり寄ったりの意見ばかり・・

 

それもそのはず、みんな同じような絵ばかりだったのだから(笑)

 

そんな評論会が続き、とうとうボクの絵の番がやってきた。

 

ボクの絵がホワイトボードに張り出された瞬間・・

 

あれだけ意見を言っていた彼らが、明らかに困惑しはじめたのだ。

 

「・・・・」

 

少しの沈黙のあと、誰かが言った。

 

「宗教的?」

 

この発言の後、まるで糸を切ったかのように、ボクの絵の評論会が始まった。

 

「神様」

 

「情熱的」

 

「炎」

 

発言はどれも抽象的で、誰一人としてボクの絵に込めた想いをすくい取ることは出来なかったが。

その後、絵の評論会は終わり、課題の絵は回収されたが、今でもボクはあの『神様』の絵を描いてよかったと思っている。

何故なら人と違うものを描いても悪いことでは無いし、あの絵に表したかったものが『自分自身』なのだから。

 

日本で生きていると、何故だか皆に合わせなきゃいけないという風習のようなものがある。

 

それは人の目だったり、社会の目だったりするが、実際は

 

『人と違っていて、構わない』のだ。

 

それが変わっている。間違っている。

 

と言われても、それが自分自身であり、人の目や社会の目に屈しない表現方法だと思っている。

 

だからボクは先生に自分自身を表す絵を描くよう課題を出された時、もしかしたら、あえて絶対に人が思い付かないような絵を描いたのかも知れない。

それが無意識的に日本社会に抱くボクの『反骨精神』を絵に込めた結果だったのだから。

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【注目】チベット仏画をイラスト風に描く3つのコツとは?

この記事では、仏画をイラスト風に描く3つのコツを紹介しようと思うが、ボクが仏画を描き始めたキッカケを少しだけ語らせて欲しい。

ボクが仏画をイラスト風に描き始めたのは、初の個展『天使と悪魔とボク』が終わった頃だった。

当初は天使や悪魔をイラスト風に描いた絵を描いていたが、突然の思いつきで仏教の絵を描く事を決意。

仏画を描き始めたのがキッカケで今では仏教美術を求めチベット文化圏の旅をする事になったが、ボクは元々漫画家を目指していた。

結局夢は挫折してしまったが、仏画との出会いで海外に行く事になるなんて夢にも思わなかった。

 

人生何が起きるか分からないものだ。

 

前置きが長くなってしまったが、ボクが紹介する3つのコツは主にキャラクターを重点をおいて紹介しようと思うので、仏画をイラスト風に描きたい人の参考になってくれれば幸いだ。

 

【ホトケの身体は4~5頭身】

まず初めにメインとなる尊格(仏)を描く事になるがボクの場合、身体は4~5頭身位に意識して描いている。

通常の仏画に描かれている仏は、大体8頭身位で、背丈も高いような気がする。

だがボクの仏画に登場するホトケ達は意識的に幼く描いているので顔も丸みをおび、4~5頭身位の少年少女のようだ。

ただ、個展を開く度に常連のお客様が言うのは

 

「個展を開く度に年齢(仏の)が上がっているような気がする」

 

と語っている位、ボクの絵は常に進化をしているようだ。

何故ボクが仏を幼く描いているかというと、そのように描く事でマンガ風に見えるし、何より自分らしさを表現出来ると思うからだ。

マンガを読めばわかると思うが、主人公は大体十代前半のキャラクターが大半を占め、か弱い彼らが困難に立ち向かう事で読者は感情移入するのだが、ボクはそういうマンガを描いていたから、その影響が強いのだろう。

ボクの仏画の場合、特徴である枠を描いてから仏を描く事になるが、まずはシャーペンで薄く全体の輪郭を描く事から始まる。

描き方はキャラクターのイラストを描く時と変わらず、顔や身体を十字に描き、その十字にそって肉付けしていくような感じだ。

 

仏のポーズに関しては真面目に描くなら参考書を元に決められたルールにそって描くのもアリだし、自分流にアレンジしたポーズで描くのもいいかも知れない。

 

ボクの場合タンカ(チベット仏教画)を元に描いているので、出来るだけルールにそって描きたいという想いがある為、タンカ風イラストのようになっている。

 

【目が1番重要!!】

イラスト、マンガ、アニメやゲームに至るまで様々な場面でキャラクターが登場するが、そのキャラクターに感情移入、好きになるかどうかは性格や思考といったキャラ設定もあるのだが、1番は『顔』の描き方にある。

中でも『目』は1番重要で、そのキャラクターの印象を決定してしまう位だ。

 

だから漫画家の人はキャラクターを描く時、気に入った顔になるまで何時間も費やす事もあるし、それにより読者はキャラクターにグッと引き込む事ができる。

ボクの仏画は見ての通り顔をマンガ風(主に目が)に描いていることで、仏がキャラクターのようになっている。

ボクが目を描く時に気を付けている点と言えば、出来るだけ(不自然にならない程度)目を大きく描いている事だ。

 

これにより十代前半の仏を描く事が可能になって、可愛い感じになる。

 

ただ、やはり目を描くのが1番難しい為ここで記事にして、説明しても中々伝わりづらいものがあるかも知れない。

だが、目や顔を上手く描く為に1番の近道は、プロの漫画家やイラストレイターが描くキャラクターを模写しまくる事だ。

 

現にボクは、その方法でキャラクターの描き方を学んだようなもので、漫画家を目指していた頃『鋼の錬金術師』のキャラクターを描きまくった事により、現在の顔や目の描き方を習得するに至った。

だからボクにとってマンガ本は教科書のようなものなのだ。

 

もしキャラクターを描くのを上手くなりたい!

 

と思うならばマンガ本で描き方を学んでみては如何だろうか?

 

【イラスト風な仏画で使う画材について。】

イラスト風な仏画と本格的な仏画の違いは、何と言っても使っている『画材』だろう。

ボクは以前ネパールでタンカ(チベット仏教画)を学んだが、そこで初めてタンカに使う画材や描き方を学んだ。

タンカは岩絵の具で塗り、伝統的描き方で描いていくのだが、初めて使う岩絵の具でボクは悪戦苦闘。

 

学んでみて分かったのはボクにとって使い慣れたアクリル絵の具で描く方がしょうにあっていた。

 

だから現在に至るまでボクはアクリルを使っているのだが、これがボクの仏画をイラスト風にしている大きな要因だろう。

 

アクリル絵の具を使えば色鮮やかに描く事が出来るし、失敗しても地塗り剤『ジェッソ』を使うことで何度もやり直す事も出来る。

 

その点、タンカの場合、失敗すると布やティッシュで拭き取る事しか出来ないので“失敗出来ない難しさ”みたいのがある。

因みにボクの使っているアクリル絵の具はリキテックスで、色々試した結果1番ボクにあっていたのだ。

 

このアクリル絵の具を使うことで様々な色を作れる事ができイラスト風に描く事がしやすく、黒を使えば尊格の輪郭も描けるので色々幅をきかせる事が出来る。

 

また、アクリル絵の具は初心者にも優しい絵の具だと思うので実践してみて欲しい。

 

【まとめ】

仏画をイラスト風に描く3つのコツをまとめてみると

■4~5頭身に描く。

■目を大きく、マンガ的に描く。

■アクリル絵の具で描く。

 

という結果になった。

 

ただ、これはあくまでボクの仏画を基準にした結果なので、3つのコツは参考程度で頭に入れておき、自分だけのイラスト風仏画を描いて欲しい。

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マンガ家の夢を抱いた男の最後の物語『神の子クマラ』とは?

最後にマンガを描いたのは丁度、初の海外一人旅であったネパール旅行から帰ってきた辺りからだっただろうか・・

以前は漫画家を目指し、夢を叶える為だけに生きてきた。

だからボクは毎日のようにマンガを描いていたが、画廊から個展をお願いされてから絵も描くようになった。

それがいつしか歪みとなり、ボクは漫画家の夢を諦めた。

 

『神の子クマラ』

 

それがボクが最後に描いたマンガだ。

 

このマンガはネパールから帰ってきたという事もあってか、ネパール的な場所が舞台のマンガで神様が主人公だ。

 

また随所にネパールで感じた事や見てきた事を参考に描いたせいか雰囲気は出せたと自分では思っている。

 

だが某編集社に持ち込みに行った際、街の雰囲気は出せているが、それ以外は全くダメ!

 

と切断されてからは、マンガそっちのけで絵を描くようになった。

因みに編集に言われた事は初めと終わりのキャラの顔が違いすぎる。戦闘シーンが下手すぎる。いらないキャラがいる。敵キャラがいいキャラに見える・・

 

などなど、思い出せば散々な言われようだった。

 

殆どの漫画家志望者は持ち込みや投稿等を繰り返し、打ちひしがれた者は挫折し、それでもなをやり続けた者は成功する確率が上がるのだが、ボクは正直その後もマンガを描くつもりではいたが絵の方に没頭するようになっていく。

前置きはさておきボクが最後に描いたマンガはどういう物語だったのか、覚えている限り、キャラクターやあらすじを書いていこうと思う。

(今まで描いたマンガの殆どは処分してしまって家にはもう存在しない。コピーもとったが今や何処にいったか・・)

 

【神の子クマラ】

■キャラクター

クマラ・・シヴァ神の息子で戦闘神。荒っぽい性格だが少女と出会った事で優しくなっていく。

サラスヴァティ・・琵琶を持つ女神で密かにクマラをおしたえしてる。

ハヌマーン・・サルの神で常識的人物。

少女・・カトマンズ的な所にいる物乞いの少女。確か名前はあったが、もうおぼえてはいない。

シュラ・・魔神シュラ族の男で人間界を支配するために街に姿を現した。優しそうなヤサ男風に描いたが編集はこれが駄目だったらしい。

 

■ストーリー

素行の悪いクマラは天界でシヴァに怒られていた。

故にシヴァはクマラに対して不穏な動きのある人間界の視察を命じられ、イヤイヤ下界する事に。

 

この時、ついて行ったのがサラスヴァティとハヌマーンだ。(編集から必要無いと言われたが・・)

 

彼らはカトマンズ的な街を散策している内に物乞いの少女と出会う。

 

この時、少女がクマラに対しての物乞いの方法・・

 

お金を入れる袋を開け、ニッコリと見つめる。そしてお金を渡すまでついてくる。

 

は、ボクが実際に体験した事をもじっている。

 

ポカラからカトマンズに帰る道中、物乞いの少年が乗り合いバスに乗り込み、ニッコリとした笑顔でボクがお金を出すまで手を差し伸べてくる。

という体験からだ。

 

クマラがお金を渡すと、彼女がすみかとしている巨大なシヴァ神の仏像の前に案内してくれた。

この時、大勢の人混みの中にシュラの姿が。

夜、不穏な動きに察知したクマラはゲストハウスを飛び出し一人、仏像のある広場へ。

 

どうでもいい事だが、クマラが泊まったゲストハウスのモデルにしたのがホテル・ヴィスタ・ネパール。

 

初ネパールでボクは環境に馴染めず、殆ど、このゲストハウスで引き篭もり状態に。苦い経験だぁー(´Д`)

 

クマラが広場に到着すると、粉々になったシヴァ神の仏像と泣き叫ぶ少女が。

 

そして月夜に浮かぶ大カマを持ったシュラの姿。

 

彼は仏像の破壊と共に人間界を支配すると宣戦布告するも、勝手な事を抜かすな!とクマラとシュラとの闘いが始まる。

 

その後、クマラの助けをするためサラスヴァティとハヌマーンが到着するもシュラの仲間達(巨大な一つ目の怪人)に行く手を阻まれる。

 

一方クマラはシュラの圧倒的力に押され、太刀打ち出来ず、打ちひしがれていた。

だが、少女の声援により気持ちを立て直したクマラは魔法の力で襲いかかるシュラを葬るのだった・・。

 

そして平和が訪れる。

 

ざっと、こんな感じのマンガだ。

 

ボクが描いてきたマンガは、この他にもドイツ兵がシャンバラを目指す話や、地下遺跡にある謎の仏像を探す冒険活劇やアマゾンの広大なジャングルで隊長とはぐれ部族と出会った少年の話などなど・・

 

様々描いてきたがいずれも落選した。

 

だが、そんな時ボクが出会ったのは絵であり、個展を開くと思いのほか好評だった。

 

そしてボクは絵を選ぶことになる・・。

 

それは必然だったのかもしれない。

 

だが、そのお陰で頭の中で想像してきた世界を実際に目にする事ができたから、これはこれで良かったのだ。

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色鮮やかなチベット仏画『カーラチャクラ(時輪金剛)』の描き方とは?

チベット仏画の中でも複雑かつ色鮮やかな姿をとっている仏が、時輪曼荼羅の中尊『カーラチャクラ(時輪金剛)』だ。

カーラは時間、チャクラは輪を意味するため時輪金剛と呼ばれているが、この尊格が意味するのは、その名の通り時間のサイクルを意味しているのだ。

カーラチャクラや曼荼羅は元々インド天文学や暦について詳しく述べられた経典『カーラチャクラ・タントラ』からやってきたもので、イスラム教に対抗するため作られたものと言われている。

また時輪曼荼羅自体、複雑な作りになっているため伝説の理想郷シャンバラを生み出した

と、言われているのだ。

 

【カーラチャクラの仏画の製作工程】

ボクがカーラチャクラの仏画を取り組んだのは2017年7月初めの事。

いつもお世話になっている羊画廊で、以前描いた『神々の住まう泉』(30号)を再ペイントするため倉庫から持ち帰ったのが始まり。

 

元々『神々の住まう泉』をもう一度描く気がしなかったボクはチベット仏画の本やインターネットで調べていく内に色鮮やかな姿のカーラチャクラを描く事に決めた。

ボクは描くにあたって、主に仏画の本を中心に構図や持ち物を決め、製作することにした。

 

チベット仏画においては構図や持ち物が違うだけでも違う神様になることがあるため慎重に描く事がポイントだ。

 

本来チベット文化圏にある寺院の壁画等を参考に描きたかったが、カーラチャクラの壁画は見たことが無かった為、チベット仏画の本は多いに参考になった。

因みにカーラチャクラの壁画はチベットやラダックのチベット寺院にあり、いつか機会があれば見に行こうと思っている。

 

ボクはカーラチャクラを調べた後、ボクの絵の特徴である枠を初めに描いた。

ただ今回早く絵を終わらせるため、枠を複雑にしなかった。

 

いつもは仏達を枠の中にビッシリ描いたり仏具や草木等、西洋美術の装飾を参考に細かく描くが、竜とガルーダの色違いに描く事で8月の中旬に終わる事が出来た。

 

竜とガルーダはよくチベット寺院の装飾やタンカ(仏画)の装飾として描かれる事が多く、恐らく魔除け的な意味を持っているのだろう。

 

特にチベット寺院の壁画の中には美しく描かれているものがあり、ネパールのチベット仏教の聖地ボダナート内にあるコパンゴンパには壁画はもちろんだが、ガルーダの天上画が凄く目に引いた事を覚えている。

やっぱり本物を見ることは、とても勉強になる。

 

ガルーダと竜の枠を描き終えると、いよいよカーラチャクラを描く事に。

 

ボクは、仏を描くさい蓮華座から描くようにしている。

 

土台から描く事で全体的にバランスを取れることがあるからだ。

 

特に大きい絵の場合、下から上へ描いている事が多い。

 

まとまりとしつ描くのではなく部分的に描いていく事で、どこをどう描けばいいか?分からなくなるという事を防ぐ意味あいもある。

蓮華座の次はカーラチャクラの身体を描いていく事になるが、この仏の特徴は何と言っても金色の妃ヴィシュヴァ・マーター

を抱いたヤブユムの姿をとっていることだ。

ヤブユムはチベット仏教特有の男女の神々が抱き合った姿の歓喜仏の事をいい智恵と方便=悟りへの道を意味し、ヤブユムはそれを体現しているのだ。

 

カーラチャクラの身体的特徴は青黒の身体に四面で、12の眼と24の腕を持ち、それぞれの手には仏具や武器等を持っている。

また手の指はそれぞれ色が違い、チベット仏画の中でも土手も手が込んでいる事が分かる。

 

因みに指の色は

 

親指=黄色

人差し指=白

中指=赤

薬指=青黒

小指=緑

 

多少面倒かも知れないが、チベット仏画のルールとしてあるため、変えることは出来ない。

 

ボクの絵は漫画風にアレンジされているがルールは変えないようにしている。

 

チベット文化に敬意をボクなりに払っているためだ。

ボクはチベット文化圏を旅している内にチベット人達が熱心に祈りを捧げる姿や、守られ続けられている伝統文化の数々に感動し、これは余りアレンジし過ぎてはいけない・・

 

変えたら文化への冒涜だ。

 

とすら思ってしまった為なるべく変えないようにしている。

ただそれでもネパール人タンカ絵師ロク・チットラカル氏に絵を見せた所、怪訝な表情をされた為、漫画風でも嬉しく無いんだろう。

 

話を戻すがカーラチャクラは指だけでなく腕も色が違い、青黒、白、赤の腕がそれぞれ八本ずつある。

 

ボクは妃を描いた後、男尊を描き、仏画の本を参考に仏具や武器を描いていった。

そして雲や天上の如来達を描き上げ9月の20日過ぎに完成する事が出来た。

 

ボクとしては意外に早く描き上げることが出来たが、技術が上がっていった為だと思っている。(8月中はバイトをしていなかった事もあるが)

ボクは7月20日過ぎにネパールに行って前回行ったことが無かったコパンゴンパを始めとした様々なゴンパ、観光スポットが多いにボクの絵に影響を与える事になったと思っている。

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カッコイイ仏画の描き方『智恵の仏“文殊菩薩”編』

三人よれば文殊の智恵の代名詞となっている文殊菩薩(マンジュシュリ)とは智恵の仏であり、チベット文化圏では人気の仏様の一つである。

文殊菩薩が司っている智恵とは真実を見極める力の事をいい、学問云々の知恵とは関係ないのだけれど、智恵の仏が一人歩きし、いつの間にか学問の仏様として崇められるようにもなった。

ボクはこの文殊菩薩を10号のキャンバスを使い20日間位かけ描き、とある賞に応募し・・

 

落選した。

 

 

落選した原因は今思えば、当時の仏画は今と比べるとまだまだ荒く、落選してもしょうが無い画力だった。

 

落選後、2015年度の『宮下拓実』展にて展示販売したものの売れず、文殊菩薩は結果的にお蔵入りになってしまった。

 

だが、ボクはその後ネパールでタンカ絵師の元、タンカを三カ月間学び、絵や筆の使い方を一から学び直した結果、ボクの画力は格段と上がってしまった。

その状況を見た画廊のオーナーはボクに今まで描いた絵の再ペイントを要求され、20点近い絵を塗り直す事になったのだが、その中の一つに文殊菩薩があった。

 

ボクは文殊菩薩の絵を2カ月半かけ、毎日毎日少しずつ色を加えながら何とか完成した。

 

ただ再ペイントするにあたり、気を付けた事がある。

 

ボクの絵は枠が特徴的で、作業の中で枠の部分が最も時間のかかる場所だったせいもあってか、時間短縮の為、普段より枠の幅を小さくして描いたことだ。

こうすることにより作業時間を短縮する事に繋がったが、それでも2カ月半もかかってしまった。

 

それでも完成してみると以前より美しく描けたので手間暇かけて描いて本当によかったと思っている。

 

因みにボクの仏画はチベット仏教画タンカを元に描いているが、本来伝統的な描き方で描く場合、枠にあたる場所は表装部分にあたり枠を描くのはNGなのだがボクはタンカを描いている訳ではないので問題はないと思っている。

(というより、神仏を漫画風にアレンジしている時点でタンカとは違っているのだが)

 

それと文殊菩薩の再ペイント前の絵は羊画廊の過去の個展情報にしっかり文殊菩薩の絵が残っているので興味のある人は調べてほしい。

 

【文殊菩薩の図像】

ボクは数ある仏達の中で一番好きなのは文殊菩薩です。

理由は子供のようなお顔で天衣をまとった菩薩形の姿なのに、右手にこれ見よがしに宝剣を掲げ、左手には経典を持っている、どこかユーモラスとも言える文殊菩薩のお姿が好きなのである。

さて、この文殊菩薩であるが、実際に実在したと言われ、数々の伝説が語り継がれている。

 

チベット仏教の始祖パトマサンヴァパもそうであるように、伝説的人物は何故かまことしやかには信じられないような語り草が語られている。

例えばネパールのカトマンズ盆地は文殊菩薩が宝剣で切り裂いた事により、盆地が出現したという伝説がある。

 

 

当然誇張表現だと思うが、ネパールではそういう事になっている。

 

 

文殊菩薩はネパールを含めチベット文化圏の国々で信仰されているが、その造形は日本とは微妙に異なっている。

日本では獅子の上に蓮華座が置かれ、文殊菩薩が座っているのだが、その姿も髷を結っておりチベット仏教の文殊菩薩のように冠を被っているという訳では無い。

またチベットの文殊菩薩は黄色い身体をしているが、日本では肌色で表現されている違いもある。

 

チベット仏教における文殊菩薩の造形はまだまだあり、知り合いのチベット人タンカ絵師の話によると、文殊菩薩の造形は六つあるという。

 

ボクは六つある文殊菩薩の姿がどういうものなのか判らないが、チベット仏教美術の宝庫ペンコル・チョルテン内には美しいチベットの壁画が数多くあるが、その中に伝承が途絶えてしまったチベット仏教の神仏の姿も多数ある。

例えば、とあるチベット仏教美術の本で見た事があるのだが、ヤマーンタカ文殊金剛や文殊金剛ヤマーンタカといった異形の神々も存在する。

 

ヤマーンタカとは五大明王の一つ代威徳明王の事だが、チベット仏教ではヤマーンタカは文殊菩薩の化身と言われておりヴァジュラハイラヴァという獣面で凶暴な仏も存在し、柔和な表情である文殊菩薩のもう一つの顔と言っていいだろう。

ボクは仏画を描くにあたり、仏画のテーマとなる神々について調べたり実際にチベット文化圏の国々に行き、仏像や仏画等を見てインスピレーションを受けたりするので、仏画を学びたい方は海外へ行き、地元住民から信仰される仏達と対話してみては如何だろうか?

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羊画廊から再ペイント指令を受けたボクは・・

2016年の夏、新潟古町の羊画廊で開催された『宮下拓美』展が盛況な内に無事終了し、次なる作品製作を練っていた際、羊画廊のオーナーから、とある指令を受けてしまった。

それは・・

 

 

以前描いた絵の再ペイントである!

 

そう、今まで何回か羊画廊で個展を開催したが、そこで展示していた絵をもう一度描きなおせというのだ。

 

このような判断をオーナーが決断したのはボクの絵のクオリティが格段と上がってしまったのが原因だった。

ボクの絵は、自分でも思うのだけれどネパールでタンカ絵師マイラさんの元で修行した前と後では、明らかに絵のレベルが上がっているのだ。

例えば、この文殊菩薩の絵は以前は画像のように細かくはなく、2カ月半かけて再ペイントした結果このような作品になってしまったのである。

ボクは元々絵の学校を出たわけでもなく(漫画の学校には行ったが)誰かに絵を習ったという事がなかった為、ネパールでのタンカ修行は何もかも新鮮で絵の大変さというのをみじみじと思い知った旅でもあったし、初めて色の使い方や筆の使い方を学んだ場所でもあった。

 

だからこそ、マイラさんの元で学んだ結果、自身の絵のクオリティが上がってしまったんだと思う。

 

ともかく画廊は20点以上ある絵の描き直しを要求され、ボクは画廊の倉庫から今まで描いてきた絵を自宅に持ち帰った。

自宅に持ち帰り、今まで描いてきた絵をよく見てみると自分でも恥ずかしい位、今のレベルとは明らかに差がある絵ばかりであった。

 

ボクはどのように再ペイントするか考えてい思ったのが二通りの方法を思い付いた。

 

一つはモチーフはそのままに、単に塗り重ねていき完成させる方法。

 

もう一つは始めから描きなおす方法・・。

 

 

実際やってみて結果的に後者の方が多くなってしまった。

 

絵のモチーフを変えないで塗り重ねていく方法の方が始めからやるより遥かに簡単だが、自分でいうのも何だが、どれもこれも絵のテーマが悪すぎる!

 

どうして、こんな絵を描いたんだろう・・

と思うようなものばかりだった為、殆どの絵を一から描きなおす事になってしまった。

 

ただ、これは突然降ってきた幸運ともいえる出来事だった。

 

 

何故ならキャンバス代を節約できるからだ!!

 

 

・・・・

 

 

・・サイズは小ぶりな物が多かったが、再ペイントは意外に楽しく、描きなおした作品を見ると改めて絵のレベルが上がったんだな・・

と描く度に思うのであった。

 

 

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小さな絵の描き方『誰でも出来る方法とテクニックとは?』

絵の描き方で難しいのは大きい絵と小さな絵だと思う。

今回記事にするのは小さな絵だがボクが思うに、小さな絵とは0号以下の十センチ代のミニチュアキャンバスで描かれたものや米粒アート等、小さな対象物に描いたものを指していると思う。

 

一見描くのが大変そう、難しそうと思えるかも知れないが、誰でも出来る描き方の方法とテクニックさえあれば簡単に小さな描く事が出来るのだ。

【小さな絵を描くテクニック】

ボクは普段から絵を描いているが、ボクの絵は装飾的で細かい。

こういった絵を0号よりも小さなサイズで描こうとすると、ある問題が起きる。

 

それは土手も見にくくなるのだ。

 

サイズが大きければ、メインテーマとなる題材を中心に置き、あちこちに様々な色を使う事で、見ている人が絵を集中して鑑賞出来る。

ただ小さな絵の場合、装飾的に描きすぎると遠くから見た場合、何が描いてあるか分からなくなることも容易に想像出来る。

その為、小さな絵を描く場合、あまり色を使いすぎないで描く事がベストだと思っている。

 

例えばボクの描いたこの絵を10分の1に縮小してみれば簡単だ。

 

あなたは見やすく描かれていると感じるだろうか?

 

いや見にくいと思うのが大多数だろう。

 

だからこそ、それを解決するためには色をあまり使わず細かくならない程度で描く事がポイントである。

ボクのような装飾的な絵でなくても、メインテーマとなる題材を中心にデカデカと描いてしまえば、遠くから見ても、何の絵なのか理解出来ると思う。

 

ただキャンバスで描く場合、こういった描き方が通用するが米粒アート等、小さい対象物に細かく描いていって作品にする場合、違ったテクニックを必要とする。

因みに反対に大きな絵を描く方法があるが、それについては、こちらの記事を読んで欲しい。

大きい絵(アクリル画)の描き方『絵の初心者だったボクが発見した方法』

【米粒アートの描き方】

ボクは昔テレビで米粒に筆で文字を書く作家の人を見た事がある。

 

その米粒を虫めがねで見てみると、ちゃんと文として読めるのだ。

 

まさに驚くべき日本の職人の力だが、これも、あるテクニックさえあれば描く事が可能だ。

 

以前ボクはマンガの専門学校に通っていたが、その時教えてもらった方法を応用すれば描く事はそう難しく無いと思っている。

 

それは・・。

 

 

紙に線を引いていく!

 

 

そして線が細かく引けるようになったら作業に取り組む!!

 

 

この方法は専門学校で教える講師の方が教えてくれた方法で、漫画を描くために必要なGペンの引き方の練習方法だ。

Gペンは万年筆のようなもので、ペン先の強弱をつけながら描くと線が太くもなり、細くもなるのだ。

この練習方法を筆に変えるだけでGペンの練習と同じような効果を持つことが出来ると思っている。

 

線をひくさい当然ながら細く細くを意識しながら描いていき、何度かやった後にこの線がベストだな!と感じた頃に作品に取り組む・・

というやり方だ。

 

慣れてない内は簡単に出来ないかも知れない

ただ何度か同じような事を繰り返す事で小さな線を引けたり細かい作業が出来るようになると思う。

 

【筆の選び方】

小さな絵を描く場合、筆選びは重要なポイントになってくる。

筆によってアクリルや油絵、水彩画等、その画材に応じた最もベストな筆というのが存在するからだ。

 

始めにいっておくとボクの絵はアクリル画だ。

 

アクリル画を描く場合、主にナイロン製の筆を使う事になるが、このナイロン製の筆の注意点として何度も使っていると毛先が広がって上手く塗れないという結末が応じてくる。

 

まるで毛先が広がった歯ブラシで歯を磨くように・・。

 

その為ボクは毛先が広がると筆を買い換えるのだが、小さな絵を描くにあたり(細かい絵を描く時もそうだが)イタチなどの動物の毛を使った筆で描く事をオススメしている。

 

イタチなどの動物の毛を使った筆は主に宗教画や細密画等、細かな作業に適していてボクがチベット仏教画を習いにネパールに行ったとき絵師の人達は概ね、その筆を使って作業にあたっていた。

だからこそ小さな絵を描く際、ナイロン製の筆と動物の毛を使った筆を併用する事により小さな絵を仕上げやすくなると思う。

因みに、仏画の描き方についてはこちらの記事を読んで欲しい。

【秘伝】気になるタンカ(チベット仏画)の描き方を大公開!!

【絵のテーマ選び】

小さな絵を描く際、絵のテーマも重要な要素だ。

もし曼荼羅を小さな絵として描こうと思ったら、ゴチャゴチャして何が描いてあるか分からなくなるし、何より物凄く描くのが大変になると思う。

だからテーマを曼荼羅のような宗教画ではなく、花、植物、動物等できる限り遠くから見ても、何が描いてあるか分かるようなテーマにした方がベストになってくる。

ボクは十センチ程度のミニチュアキャンバスに文殊菩薩を描いたが、描いた理由として遠くから見ても分かるような絵にしたかったからだ。

 

つまり文殊菩薩の身体の色はチベット仏教において黄色であり、色として他の色より目立っていると思ったからだ。

もし不動明王などに使われる黒や青などを使って描いたら印象として目立たなくなりパッとしなくなる。

 

だから明るい色を使い、出来れば分かりやすいテーマが小さな絵に合っているとボクは思っている。

 

【小さな絵を描くコツ】

最後に小さな絵を描くコツとして、0号あたりから描いていき、徐々に徐々に小さくしていくという方法をとってみてはどうだろうか?

これは大きな絵を描く時も参考にしてほしいのだが、急に小さな絵を描こうとしても上手くいかないっという事があるかもしれない。

だから0号辺りで書き慣れてから小さくしていけば、感覚として

 

「ここはこうかな?」

 

という風に分かってくると思う。

 

絵というのは描けば描くほど上手くなってくるし、小さな絵の利点として大きな絵と比べて出来上がるのも早い。

もし個展等を開催しようと計画するならば小さな絵を量産して、大きな絵は数えるほど位に描いていけば、個展を早く開催する事が出来る・・

 

というちょっとしたテクニック。

 

 

小さな絵は描くのも大変だろうけど描いていけば慣れてくるだろうから、これから小さな絵を描いていきたいという人は頑張って描いていってほしい。

 

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【色とりどりのチベット仏画】仏教で使われている色の意味とは?

色彩学を学ぶ上で、宗教についても学ぶと宗教のモチーフや神々と言った様々な所に多種多様な色が使われ、宗教により一つ一つ色々な意味を持っているという事がある。

【西洋における色の意味】

例えばという色を学ぶと、キリスト教においては血や殉教、愛を象徴していてキリスト教の受難の主日や聖金曜日、殉教者の祝日・記念日などに使われ、ヨーロッパにおいて赤い色は昔から情熱や愛といった明るいイメージがある一方、反対に血や殉教等、暗いイメージも付きまとってきた。

 

キリスト教では赤が愛や血の象徴だが他の色でも様々な意味合いを持っている。

聖母マリアによく使われる白は「純真」「純潔」「喜び」を象徴し、復活祭や祭日といった喜びを表す祭礼行事に用いられている。

 

また葬儀の使用される黒の代用として使用され「悲しみ」としての白もあるのだ。

 

緑色は「信仰心」「希望」を象徴し、年間を通して中間色的意味合いを持ち、紫は「苦行」を意味し四句節に用いられている。

 

【中国における色の意味】

しかしアジアを見れば古代中国における万物の成り立ちを説明する理論『森羅万象』には木(もく)、火(か)、土(ど)、金(ごん)、水(すい)という五気と言われるものがあり、それぞれ対応する色がある。

五気の中で赤は炎を意味し、同時に宇宙を司り人間世界の東西南北を守護する神獣「四神」において朱雀は赤い色をしている。

因みに他の四神を見てみると、北を守護する玄武は「黒」東を守護する青龍は「青」西を守護する白虎は「白」となる。

 

また五気についても、季節や空間を統合し森羅万象を創るものとして五色という色が対応している。

 

木は青(生命)

 

火は赤(炎)

 

土は黄(大地)

 

金は白(鉱物)

 

水は黒(水脈)

 

をそれぞれ象徴としての色を使われてきた。

 

【チベットにおける色の意味】

話は変わるがボクはよくチベット文化圏の国々をよく旅をしている。

チベットには、色鮮やかな寺院や仏像がいくつものあり、日本とはかけ離れた非日常世界が創られている。

そんなチベットに暮らす人々が深刻するチベット仏教においても『色』は様々な意味合いを持っている。

 

例えばチベット仏教寺院でよく見かける護法神(日本における明王)に使われる青は『怒り』を意味していて、煩悩に対して怒りを燃やし、打ち砕く不動明王等によく用いられている。

 

また赤い色は『愛欲』を意味している。

 

恐るべき超能力者ダーキニーや明王ハヤグリーヴァによく使われる色だが、これは愛欲を抑えるのは決して悪い事ではないと悟ったお釈迦様の教えに反映されている。

 

 

つまり仏の御心なのだ。

 

 

また、チベットでは「オンマニペメフム」

 

とつぶやきながら数珠を持ちマニ車を回すチベット人が多くいる。

 

オンマニペメフムとは観音菩薩の真言であり、彼は白い身体をして描かれる事がある。

 

仏教において白は「慈悲」「清らかさ」「智恵」「真実」の象徴として、菩薩によく用いられている色であり、観音菩薩から生み出された白ターラという身体に七つの目を持つ女神の色でもある。

白ターラと対をなすように観音菩薩から生み出された女神、緑ターラ菩薩の色は、その名の通り「緑」であり、これは「大きな活力」「素早い行動力」を表している。

そんな仏教の神々を生み出した釈迦如来の身体の色は「黄色」で、これは三十二相・八十種好と呼ばれるお釈迦様の身体的特徴を上げたものの一つで、それによれば身体は金色で、お釈迦様の身体から約三メートルにも及ぶ光が放たれていると言われています。

 

だからこそ仏画で描かれる際は黄色で描かれ、仏像は金色で造られている。

 

それと同じ如来でも阿弥陀如来は赤い色で描かれる事があり、これは悟りを開いた人の身体的特徴と言われる。

 

同じように大行者ミラレパも修業を重ねるうち緑色の身体になり神通力をも手にする事が出来てしまったという事があります。

チベットの大ヨーガ行者ミラレパの波乱に満ちた生涯とは?

仏教の逸話を離れてみてもチベット文化圏の国々を旅すると必ずあるタルチョーやタルシンキという祈願旗に使われる「赤・緑・黄色・青・白」という色は森羅万象の五色と同じように世界を構成する要素としての色で用いられているのだ。

因みにタルシンキやタルチョーにはルンタと呼ばれる「風の馬」が印刷され、正方形に印刷した紙をまいて「ラーギャロー(神に勝利あれ!)」と叫ぶチベット人の姿をチベットの峠や祭りの際、目にする事が出来きチベット人の信仰心の高さを知る事が出来る。

チベットを彩る祈願旗タルチョー『聖地に飾りまくる目的と購入場所とは?』

このように宗教に使われる色を紐解き学んでいくと様々な所がわかってきて面白い。

 

だからこそボクはその面白さを発見するために絵を描き、チベットへ旅をするのかも知れないと思っている。

 

何故ならチベットには画家の脳を刺激する、数多くの仏教美術が存在し、一度『チベット』という秘境に足を踏み入れてしまうと病みつきになってしまう、魔力のようなものが存在しているからだ。

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漫画仏画を描いて日々思うこと『漫画仏画絵師の苦悩』

最近、漫画仏画を描いて思うことがあるのだが絵を描くのがとっても時間がかかること!

ボクの絵を見れば判るとおり装飾画のように細かく1番小さいFゼロでも描き上げるのに1週間くらいはかかる。

こんなに時間がかかるようになったのはボクがネパールでタンカ(チベット仏教画)修行に行った事がきっかけだ。

ボクはネパールのボダナートでタンカを学んだけれど毎日空を点描でトントンと点を打っていく作業や川をヌリヌリしていく作業とか色々あった。

 

ただそんな日本で経験出来ない貴重な体験があったからこそ現在のボクの絵があるのだけれど、まぁ時間がかかる。

 

特に1番始めに描いていく事になる枠の部分。

この枠の部分はボクの絵の特徴であり画廊の人からも、これが絵の良さだと言ってくれるので手を抜く事は出来ない。

 

それと最近大変だなぁと感じるのは、そんな細かく描く枠を描いていると色を塗ったのにその色を塗って無い箇所が時たま発生する事であり、色を考える事にもイライラする事があるのに塗って無い箇所を見つけると「またかよ!」と自分に呆れながら色を塗って行く事になる。

 

ボクがそれでも描き続けていられるのはやっぱりタンカ修行で毎日手が痛くなるくらい点描でトントンと空や大地を塗っていた事を思い出せば今やっている事は現役のタンカ絵師達より遥かに楽な作業であるしタンカのように縛られず自由な絵をヌリヌリ出来るからだろうと思う。

 

だからボクはどんなに時間がかかっても絵を完成させ描き上げた時の爽快感とタンカ修行の思い出を抱きながら絵を描いているのです!

 

 

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