「下積み時代」カテゴリーアーカイブ

絵の初心者が起こす失敗例と対策方法

専門学校で絵と出会ったボクは担当の先生の紹介で画廊を紹介され、そこで翌年個展を開催する事になった。

初の個展に向け絵を描いていく事になったが深刻な問題が起こった。

絵の初心者だったボクは絵の色のバランスと共に悩ませたのがひび割れだった。

完成した絵を画廊に持って行った際オーナーに指摘された事だが絵に『ひび』が入っていたのだ。

 

しかも至る所に。

 

この問題は絵を完成させた時にはまったく気が付かなかった。

というのも完成後はひびなんて入っていなかったのだ。

この問題の原因は今思えば多分、アクリル絵の具の重ね塗りのしすぎが原因だろう。

この頃ボクは色のバランス感覚がまだ整っておらず試行錯誤していた。

だから絵を描いていると「ここはこうじゃ無い、ここはこうだ」等と何度も色も重ねていき盛っていった。

アクリル絵の具は重ね塗りする事でグラデーションだったり立体感ある絵にしたりと様々な表現を出せるのだがやり過ぎは禁物だ。

結果、絵の具が渇いた後知らない内にひびが入り始めたのだと思う。

 

だからこそ早急に何とかする必要があった。

 

ボクがやった対策は、重ね塗りし過ぎない事と『ジェルメデュウム』を絵の表面に全体的に塗ることだった。

ジェルメデュウムとは絵の具と混ぜる事で生地を盛り上げる効果があるのだがボクはそのジェルメデュウムを完成後、全体的に塗っていくことで絵が固められ『ひび』を抑えることが出来たのだ。

この『ジェルメデュウム』には様々な種類があり用途も様々なのだが、ボクの使っているのは『マットスーパーヘビージェルメデュウム』だ。

 

このジェルメデュウムはつやを消してくれ、完成後ラメを塗ったりする際ラメがきわだったりするから、ずっとこのジェルメデュウムを使っている。

 

【色を発色させる方法】

 

あと画廊から指摘された事がもう一つ。

 

色の発着が弱いという事だ。

初め何のことだか分からなかったがオーナーにジェッソを使った方がいいと言われボクは使うことにした。

 

ジェッソは絵の具の定着と発色を促す白色地塗り剤の事で、キャンバス上に2~3回塗った後、絵の具を塗っていく事で絵の具がよく定着し、この問題も解決した。

このジェッソは地塗り材としての用途の他、失敗したあとの習性用だったり、星を描く際に用いたりしている。

絵を描き始めた頃、ボクはこういったアクリル絵の具以外の技法がよく分からなかったが何度も何度も繰り返した結果失敗というのが無くなったのだ。

 

【タンカ失敗!】

失敗と言えばボクがネパールへタンカ(チベット仏教画)修業に行った際タンカを学んだのだが、不意に色のついた筆をタンカに着けてしまうミスがあったり、知らず知らず手に色がついていて、タンカに着けてしまうありがちなミス・・。

アクリル絵の具なら失敗しても元に戻せるのだがタンカは水性の岩絵の具を使っている。

だから失敗なんてあってはいけないのだが、教えてくれたタンカ絵師はナプキンかなにかで拭き落として・・。

 

うーん。

 

拭き落としたが、後が残る結果に。

水彩画もそうだが絵において失敗は怖い。

後が残れば見た目にも影響するし、やはり作家としても納得のいくものでも無い。

ただそれも何度もやればミスも減っていくから、日々の鍛錬が必要なのだと思う。

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ロシア人達と1年間暮らしてみたらこうなった

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ボクは昔ロシア人達と1年間暮らしていた時期がある。

地獄の職業訓練校が終わり、父の紹介である食料品会社に住み込みでアルバイトをしていた頃だ。

その食料品会社の作業場の二階には6畳程の部屋があり、ボクはその部屋を借り毎日アルバイトをしていた。

家賃は1ヶ月一万円、風呂は社長宅で借り、夕食等は自炊する。待遇はとてもよかった。

しかしその部屋を借りるにあたり1つ条件があった。

それは‥

ロシア人と一緒に暮らすことだった。

その食料品会社がある地域にはロシア人達がウラジオストク等、極東ロシアからの出稼ぎ労働者が多く住み、社長の兄が営んでいる整備会社でロシア人達を雇っていた。

彼らは住むところが無いためボクが借りる事になった部屋で一緒に暮らせ、という訳である。

ボクは“何とかなるだろう”というおもいで了承した。

仕事がしばらくその部屋で待っていると、『彼ら』はやってきた。

ボクは緊張していた。

何とかなるだろうと思っていたが

言葉は通じるんだろうか?

仲良くなれるんだろうか?

ちゃんと暮らしていけるんだろうか?

『彼ら』が階段を上がっていく音が聞こえると共に不安が募ってきた‥

だが

彼らがボクに与えてくれた印象は『陽気で人懐っこい愉快な奴ら』だった。

ボクと一緒に生活していく二人のロシア人の“ユーリ”とセルジュ”。

ただ、愉快なロシア人ユーリの行動はボクの頭を悩ます言動が多かった。

彼はいつもパンツ一丁で生活し、ボクを見るなり

「フォッ!!」

などと奇声を発し股間を突き出す行為を行った。

その次にパンツを脱ぎフル◯ン姿で

「フォッッッ!!!」

「!?」

訳が分からない。

セルジュはボクの驚く姿を見ながらヘラヘラと笑っていた。

彼はとの生活はとても楽しく、ボクがマンガを描いていると知ると似顔絵を描いてくれと頼まれ、描いてあげるととても喜んだ。

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ボクは次第にロシアという国に興味を抱くようになった。

彼らが住んでいる所はどういう所でどんな文化なのか?

ある時、社長の兄にロシアに行ってみたいと言ったことがある。

しかし彼からの返事は『殺される』だった。

きっと先入観がそうさせたんだと思う。

海外は日本より治安が悪く犯罪に巻き込まれるかもしれない。

確かに海外は日本より治安が悪い所が多いかもしれないが気を付けていれば、ちゃんと海外を旅する事ができる。

そして大多数の人は旅人に友好的である。

だが一部の悪い人達がいるのも事実。

彼らは変に笑顔で近づいてきたり、逆に無表情だったり流ちょうな日本語で話かけ旅人に麻薬を売りつけようとしたり、お金をぼったくろうとする。

彼らの背景には貧困などそれなりの事情があるのだが、そういう人達と出会っても「NO」と言えば彼らは去ってくれる。

だが気を付けていても分からないときがある‥。

【デニスという男】

ある日一人のロシア人がやってきた。

彼は他のロシア人と同様陽気でフレンドリーだった。

彼の名はデニス。

デニスはボクに親しげに話してきたが他のロシア人達から何故か嫌われていた。

その理由が身をもってボクは味わう事になる。

その日は給料日だった。

給料をもらい部屋に戻るとデニスがやって来て一緒に酒を飲もうと言ってきた。

そして事件は起きた。

ボクとデニスはウオッカをストレートで飲んだ。

1杯、2杯、3杯‥

気がつくとあたり一面ゲボが広がっていた。

 

それまでの記憶が無い‥

そして給料袋から一万円が消えていた‥

デニスに盗られた‥

直感で分かった。

そして直感は現実になる。

彼は消えていた。

社長に相談すると警察に連絡してくれてデニスはすぐに発見されたがお金は戻ってこなかった。

デニスはロシアに強制送還。

ボクはこっぴどく怒られた。

 

 

ロシア人達との1年間の生活はボクに海外への興味を抱かせ、外国人と話しても何とか通じ合えると教えてくれた日々であった。

彼らは言葉や文化が違えど同じ人間であり生活がある。

ロシア人達の生活はがボクにそう教えてくれたのだ。

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『少年の反乱』~だからボクは逃げだした

昔からボクは何か空想にふけり、頭の中でイメージしたものをノート等に描いていくクセみたいのがあった。

 

中学に上がると当然美術部に入り、そこで同じ様な事をしていたが中学三年生の時にボクはそれを物語にしたいと思うようになった。

ボクはそれまで『マンガ』という物を読んだことが無かったが“描いてみたい”という意識が高まり、その時初めて『マンガ』を描くことになる。

初めて描いたマンガのストーリーは支離滅裂で内容はよく分からなかったが、とても楽しめた。そしてボクは次第に『マンガ家』を志すようになる。

 

中学卒業間近、問題が起きた。

 

進路である。

 

大の勉強嫌いだったせいか赤点ばかり取り高校に進学するほどの学力等無かったし、そもそも高校なんて所に行きたくなかった。

 

だからボクは考えた。

 

高校に行くくらいなら仕事をしながらマンガ家を目指したほうがいいと・・。

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だが

若さと身分がそれを許さなかった。

当然両親から大反対され、見かねた担任は一つの提案をボクに提示させた。

それは

ある職業訓練校の受験である。

そこはシステムエンジニア等を育てる工業系の学校だった。

二年間で私服OK

その文言に惹かれ授業も何とかなるだろうと、軽く考えボクは受験し

 

合格してしまった。

 

それが地獄の始まりだとは知らずに・・。

学校が始まり授業は何とかなるだろうと思っていたが・・

 

全くならなかった。

 

訳の分からない機械いじり、機械で金属を削っていく作業。数学や専門的な授業・・。

ボクは段階イヤになっていった。

そしてボクは担任に「もう辞めたい」と告げた。

だが、親の相談も無しに言った言動は当然認められず、あのイヤな毎日が続く事になる。

だがある日、日々のストレスが爆発してしまった!

 

登校拒否である。

 

だが、うまくいかなかった。学校まで母に連れて行かれ、待ち受けていた先生に徹底的に尋問された。ストレスを感じたボクは翌日逃げ出した・・。

そして事態は更に悪化する。

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発見され学校に連行されたボクは何度も『どれだけ人に迷惑をかけたか』『どれだけ愚かな事をしているか』等説教を始め、丸一日執拗な説教で終わる事がままにあった。

次第にボクの精神状態はおかしくなり死を連想するようになった。

そんな中先生の説教は熾烈差をましボクにこう吐き捨てた。

『迷惑ばかりかけるお前は家族にとって不要な存在だ!!不要家族だ!!』

 

限界だった。

 

もう死のう・・

 

ボクは何度もう自殺未遂を繰り返した。

だが死ぬことは出来なかった。

そんな現実逃避の生活は突如終わりをつげた。真冬の猛吹雪がふる中、逃げている最中発見され父に殴られた。

 

『命を粗末にするな』

 

ボクにこう投げかけ連れ戻された。

 

確かに・・

 

ここで死んではマンガ家の夢は絶たれる。

そう感じボクは学校に戻った。このようなストレスの感じる、抑圧された所で生きていく為には自分を『殺す』事だ。何も考えず“機械”のように身を起き、言われた事をひたすらに聞く。

そうやってボクは過ごす事にした。

 

だが、ある日ボクは『光』を見た。

それは何気なくTVを観ているとある専門学校のCMだった。

 

『日本アニメ・マンガ専門学校』

 

ここに行けばマンガ家になれるかもしれない。

ボクに目標が出来た。

この学校に行きマンガを学び、マンガ家になる。

ボクに目標が生まれ、どんなに最悪な場所でも何とかやっていく事が出来た。

ただ、今のボクの考えでは本当につらかったら逃げてもいいと思う。

毎日自分に嘘をつき、イヤな事をやって心が壊れる位なら逃げる事も一つの決断だと思う・・。

 

だが

 

それでどんな結末が迎えようとも全て自分の責任なのだ…

 

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空想にふける物静かな少年

ボクは絵を描き、海外へ旅に出る。

 

よく回りからは「行動力がある」「自由だね」と言われるけど、『思っている事』『やってみたい事』を行動に移した結果そのように言われるのだと思う。

このボクの“自由気まま”な生き方の原動力の核となる部分は子供の頃に既に出来上がっていた。

ボクは子供の頃、異世界や異形の者が好きで水木しげるの妖怪大図鑑やミイラの本・古代生物の本等を読み、そこに登場する魑魅魍魎達を描いたり、頭の中で物語を作り毎日空想にふける物静かな少年であった。

 

そんなボクを両親はよく旅行に連れて行ってくれた。

世界の有名な建造物がミニチュアサイズで世界一周が出来る“東武ワールド・スクウェア”や世界中の国々を疑似体験出来る“リトルワールド”等、日本にいながら海外にいけるようなテーマパークが多かった。

大人になったボクが本当に海外へ行くことになるなんて、この時のボクには想像もつかなかったけど。

ボクはこのような所のお土産屋においてあるバリ島の神獣バロンやガルーダのお面や人形達に目が止まった。

この色鮮やかな『神々』との出会いは絵に力を与え、未知なる世界への憧れを抱かされる“きっかけ”を作ったのだ。

 

そんなボクが中学に入ると美術部に入部し中学生活が始まるのだが段階、違和感を感じ始めていた。

勉強の内容は日に日に面倒になり人間関係に疲れ始めていた・・。

 

そして中学二年の夏『事件』が起こった。

 

九月の体育祭で応援席の後ろに設置する大きなパネル絵を描くために各クラスから数名選出する事になった。

だが中々人数が揃わず、多数決をとって誰がいいか決めた。

 

ボクの名前が上がった。

 

ボクはイヤだった。貴重な夏休みは奪われるし、何より好きなように描く事は出来ない。

 

『学校』は社会の縮図である。大多数の賛成派の人間達の中、一人がどんなにイヤだと言っても賛成多数で有無を言われぬまま決まってしまう。

ボクは腹が立った。

夏休みパネル制作作業にあたったが、夏休みが終わると同時に抗議の目的でボクは登校拒否を実行した!

 

 

が、

 

 

その抗議活動も一週間くらいで家族や先生の説得の元、中止する事になる。

だが意味のない行動では無かった。

翌年のパネル作業員のメンバーはこの事を考慮されボク以外の人間に当てられる事になった。

自分の行動で物事を変えることが出来る・・。

 

この時のボクはそう信じていたが後に暗い影を落とすのだった・・。

 

 

 

 

 

 

 

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