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チベット仏教を築いてきた高僧達。その知られざる生涯を徹底解析!

チベット文化圏に行くと数多くの人々が仏教を信仰しているが、仏教がチベットに根付く裏には様々な高僧達の力があった。

ボクはチベットを旅している画家で、仏教美術の宝庫であるゴンパ(寺院)巡りを旅のメインしているが、チベットの高僧達も仏達同様に信仰されている事に気が付いた。

例えば仏像だったり、美しい壁画だったり・・

まるでゴンパの守護神のような高僧達をボクは今まで数多く見てきたが、今回はそんな彼らにスポットを当てたいと思う。

 

【ソンツェン・ガンポ】

ソンツェン・ガンポ(569?~649)はチベット全土を統一した開国の王で観音菩薩の化身とされている人物だ。

彼は13歳で王座につき、大臣トンミ・サンボーダをインドに派遣した後、彼と共にチベット文字を制定した。

また、インド仏教経典の翻訳に努め、唐とネパールから妃を迎えると共に仏教を持ち込み、チベットに仏教を根付かせるキッカケを作った。

 

因みにネパールの王妃はティツン妃、唐の王妃は文成公主といい、チベット自治区にあるジョカン(大昭寺)には文成公主が持ち込んだ釈迦如来像がある。

また、東チベットのラガン・ゴンパにも文成公主が持参した釈迦如来像があるが、こちらはチベットで最も神聖な仏像であるという。

その名にふさわしく荘厳で神聖な雰囲気をかもちだしていたが写真撮ったら怒られたので・・

撮影はやめた方がいいだろう。

【パトマサンヴァパ(グル・リンポチェ)】

チベット仏教4大宗派の一つニンマ派の始祖ともくされるパトマサンヴァパ(?~8世紀後半?)はグル・リンポチェ(導師様)としてチベット文化圏全土で崇められるインド人行者だ。

8世紀、ティソン・デツェン王は仏教を国教とし、インド人僧侶シャーンタラクシタによりサムイェ寺を建立しようとしたがチベットの神々に阻まれ、完成しなかった。

 

そこで密教行者パトマサンヴァパをチベットに呼び寄せ神々を従わせ、チベット最初の仏教寺院サムイェ寺を建立する事に成功した。

後に密教経典をチベット各地に埋蔵し、虚空の彼方に消え去ったが、その経典を元につくられたのがニンマ派である。

不思議に満ちたパトマサンヴァパの障害はこちらの記事を読んで欲しい。

空を飛んでチベットにやってきた高僧パトマサンヴァパとは一体何者?

また、パトマサンヴァパは広く信仰されているが、縁の聖地もチベット各地にあり、ネパールのファルピンやブータン等数多く存在する。

特にファルピンはパトマサンヴァパが瞑想したという洞穴がある聖地でタルチョー(祈願旗)がはためき、煌びやかな仏教寺院が沢山あって、仏教美術好きには一度は行って欲しい所。

 

【ティロパ】

ベンガル人行者でチベット仏教の一派カルマ・カギュ派開祖マルパの師匠ナロパに教え導いた人物。

ティロパは9世紀ベンガルの王子であり、王国逃亡後はブッダガヤでダーキニーの弟子となる。

その後、自分の国に戻ると人々から食べ物を貰い、火葬場に住まいを設けた。

ある日、ダーキニーがティロパは

「四つのチャクラは清いけれど勘違いをしていて完全に清くなっていない」

と思い、ティロパに腐った食べ物を渡した。

ティロパはそれを棄てると彼女は怒り

 

「貴方が良い食べ物か悪い食べ物か判らないのであれば法を修業する意味は無い。」

ティロパはダーキニーの導きにより、ガンジス河でいつも漁師が捨てている魚の内臓を食べて生きていた。

そうして12年間瞑想する事になり、後にナロパに教えを導く事になる。

 

ティロパが瞑想した洞窟がインド北部のラダック、ラマユル・ゴンパに存在している。

 

因みに、彼はいつも魚の内臓を食べていたので『はらわたを食べるシッダ(成就者)』を意味する『ルゥイパ』として有名になり、時を経て『ルゥイパ』の名に『ティ』の前詞をつけて『ティロパ』と呼ばれるようになった。これはルゥイパの変形である。

 

【ナロパ】

ナロパは偉大な密教行者でカギュ派開祖マルパの師である。ナロパは東インドの公国の王子で、子供の頃から正義感の強い人物であった。

両親の勧める結婚に反対した彼は宗教の勉強の為にカシミールに移り、そこでパトマサンヴァパの25の弟子の一人、高僧ナムカイ・ニンポに『ナロパ』の名前を授けられる。

 

ナロパの宗教学の努力はティロパと出会った事により完成し、それはマルパに受け継がれていく。

 

【マルパ】

カルマ・カギュ派の開祖。1012年チベット最南端ブータン国境付近の森林地帯であるロタ地方に生まれる。

 

活発な子供時代だったマルパは両親によって12歳の時、仏門に入ることになりチョキ・ロド(法の知性という意味)という仏教名を受けた。

その名の通りマルパは読み書きの技術をあっという間に習得し、サンスクリット語とインド口語を学んだ。

 

彼は、より高い勉強の為に様々な困難に遭いながらインドに行き密教行者ナロパと出会い、彼と共に密教の勉強をして密教のマスターとなった。

 

後にインド・ネパールで修業しカギュ派を創立。カギュ派の『カ』とは教え『ギュ』は伝統を意味し、一般的に仏教論理学よりも瞑想修業を重んじられる。

 

【ミラレパ】

ミラレパ(1040~1123)はマルパの弟子であり、101曲にもなる詩を書いた詩人でもある。

マルパとの修業の際、作った『シェカル・グトゥ』と呼ばれる9階の塔が南チベットのロダに現在でも残っている。

大呪術者、大ヨーガ行者として生きたミラレパの生涯は、こちらの記事で詳しく書いている。

チベットの大ヨーガ行者ミラレパの波乱に満ちた生涯とは?

【サペン(サキャ・パンディタ)】

相撲で有名なモンゴルは実はチベット仏教国である。

モンゴルにチベット仏教をもたらしたのがサキャ派四世座主サペン*パンディタは大学者の意味(1182~1251)で、叔父のタクパ・ゲンツェン三世座主の予言に従い、甥のパスパとチャクナを連れ、モンゴル支配下の西夏に向かった事が始まり

当初、王は不在で会うことが出来なかったが三年後の1247年に西夏の王ゴダンと会合した事がキッカケでチベットとモンゴルが交流するようになる。

 

後にサペンは中国山西省の五台山で『大印(マハームドラー)』を説いて、1251に70歳で亡くなった。

 

また、彼の甥のパスパは元朝皇帝フビライ・ハンの師となり、チベット全土で権勢を振るった。

 

サキャ派はツァン地方のクン一族がサキャ寺を建立した事が始まりで、開祖はクンチョク・ギェルポ(1034~1102)
他の宗派と違い、世襲制で瞑想修業や仏教論理学・曼荼羅研究を行っている。

【ロサン・タクパ(ツァンカパ)】

ゲルク派の開祖ツァンカパ*本名はロサン・タクパ(1357~1419)は密教と顕教(密教以外)を統合し、チベット仏教会を大改革した高僧である。

ツァンカパは現在の青海省のツォンカ(『ツァンカパ』はその地に因んだ通称)という地に生まれ、36歳の頃、文殊菩薩を見ることが出来るというウマパと出会い、ツァンカパもまた、文殊菩薩を見ることが出来るようになったという。

ツァンカパには様々な逸話が残されているが、彼もまたパトマサンヴァパ同様神格化され、ゲルク派寺院に行くと必ず本尊として巨大なツァンカパの仏像が崇められている。

 

有名なのがネパールの『コパン・ゴンパ』で数多くの外国人が仏教を学んでいるが、ボクは半ズボンで入ろうとしたら警備員に待ったをくらった!

後に特別に入れて貰える事になったが、やはり戒律が厳しいだけの事はある。

 

【ダライ・ラマ】

ダライ・ラマ(大海の師)は観音菩薩の化身とされ、チベット全土で宗派を問わず信仰されている。

歴史はゲルク派がカルマ・カギュ派の『転生活仏制度』から刺激を受け、導入した事が始まりで、デプン寺、セラ寺座主を務めたソナム・ギャンツォがアムドのチャプチャで『ダライ・ラマ』の称号を受けた事が始まりである。

歴代ダライ・ラマは以下の通り。

■1世(ゲンドゥン・トゥプパ)1391~1474

タルシンポ寺を建立した高僧で、極めて学識ある人物として尊敬されていたがダライ・ラマと名乗る事は無かった。

 

■3世(ソナム・ギャンツォ)1543~1588

ダライ・ラマ制度が正式に開始されたのが3世の時。

モンゴルの王アルタン・ハンから『ダライ・ラマ』の称号を受け、その返礼に王に『ブラーマ(宗教の王)』の称号を授けた。1世、2世は後を追ってダライ・ラマとされた。

 

■5世(ロサン・ギャンツォ)1617~1682

チベット自治区にある世界遺産ポタラ宮の建設を命じたのが5世で、初のチベットの政治的指導者になったダライ・ラマである。

だが5世の時代でポタラ宮は完成せず、遺言により5世の死を隠したまま摂政デシ・サンギェ・ギャンツォが6世の教育と共にポタラ宮を完成させた。

 

■6世(ツァンヤン・ギャンツォ)1682~1708

モンユルのニンマ派行者の家に生まれた6世は1697年に即位。

しかし僧院生活に馴染めなかった6世は自ら還俗し、身を飾り、夜ごと酒場で美女達と楽しんだ。

その奔放な姿のせいでダライ・ラマの地位を失い、北京に護送中、没した。

 

■9世(ルントック・ギャンツォ)1805~1815

歴代ダライ・ラマの中で最も短命だったが、続く10世、11世、12世も10~20代で夭折している。

死因は判らないが、その影には貴族達の権力争いが関係しているらしい。

 

■13世(トゥプテン・ギャンツォ)1876~1933

イギリスと清朝との間で翻弄されたダライ・ラマで、英国領インドに亡命中、近代文明に刺激を受け、チベットに貨幣制度を導入。

また、軍備の増強、警察署や郵便局の設置し、チベットの近代化を進めた。

 

■14世(テンジン・ギャンツォ)1935~

アムド・タクツェル生まれ。4歳でダライ・ラマに即位し、15歳の時にチベットにおける実質的な政治・宗教指導者になるが中国共産党の侵略を受け、1959年インドに亡命した。

 

以降、チベットの自由と非暴力の必要性を訴え続け、1989にノーベル平和賞受賞した。

13世の生涯は『セブン・イヤー・チベット』や『クンドゥン』といった映画で、克明に描かれている。

【まとめ】

チベットにおいて悟りを開いた高僧達は神同様に崇められ、ゴンパでは壁画や仏像が数多く見ることが出来る。

例えばパトマサンヴァパの大仏は東チベットやネパール、ブータンといったニンマ派が多く信仰されている国に沢山あり、黄金色に美しく耀いている。

また、壁画のテーマとなるツクシンと呼ばれる木の根のごとく仏教の広がりを示す集会図の中尊としてツァンカパが描かれたり、修業者達を描いた壁画も存在している。

チベット文化圏には、こういった仏教美術の宝庫であり、チベット仏教を築いてきた高僧達の歴史を垣間見ることが出来るので、興味のある人は一度は行って欲しい場所だ。

 

『漫画仏画江師メールマガジン』ではチベット文化圏の情報と共に、知られざる壁画のテーマの話や高僧達の逸話も載っているので、ピンときたら登録して欲しい。

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【永久保存版】めくるめく仏達の世界『如来』の一覧を一挙に御紹介!

仏達のカテゴリーの最上位に位置する『如来(サンスクリット語でタタガータ)』は修行中の身である『菩薩』とは違い完全に悟りを開いた存在である。

『如』というのは真理の意味で、真理を人々に教え、救うためにやってきたという事から『如来』という。

 

因みに『菩薩』は厳密な意味で仏では無いが、人々と最も近い存在として広く信仰されている。

特にチベットでは観音菩薩信仰が盛んで、チベット人達は何千何万回も『オム・マ二・ペメ・フム(蓮華の中の宝珠よ幸あれ)』を唱え、彼らの精神的指導者であるダライ・ラマは観音菩薩の化身でもある。

 

この記事では悟りの境地へと達した様々な如来達の一覧と豆知識をチベット仏教の仏達を交えて紹介しようと思う。

 

また『菩薩』についてはこちらの記事を読んでほしい。

苦しみから人々を救う観音様の種類とは?『チベットの観音菩薩信仰』

【釈迦如来(シャキャ・ムニ)】

仏教の始祖であるシャキャ・ムニの『シャキャ』とはシャキャ族出身、『ムニ』が聖者を意味する事から『シャキャ族の聖者』という事になる。

また、釈迦如来の元々の名前であるゴータマ・シッダールタはシャキャ族を構成するゴータマ(優れた牛の意味)族の『目的を成就した者』を意味するシッダ・アルタが由来である。

釈迦は紀元前六世紀頃の現在のネパール・ルンビニーで誕生したと伝えられているが、その誕生は伝説的だ。
彼は母親のマーヤーから生まれてすぐに七歩あるいて『添加唯我独尊』と言ったとされているが、これは『宇宙の中で自分だけが尊敬されるべきである』という事の宣言であったのだ。

*釈迦の誕生日(4月~5月頃)は仏教徒にとってお祝いの日であるがネパールではブッダ・ジャヤンティという誕生祭がルンビニーやスワヤンブナート、パタン等で盛大にお祝いをする。

 

その後、大使として何不自由なく成長したゴータマ・シッダールタだったが、人生の苦痛に思い悩むようになり、二十九歳で出家し、厳しい修行の末、三十五歳で悟りを開き、ブラフマーの御告げの元、人々に教えを説き仏教の始祖となったのだ。

 

また、現在では釈迦如来の仏像が世界中で見ることが出来るが元々は像を造ることが禁止されていて、初期には法輪や塔等が釈迦の象徴として崇められていた。

 

因みに法輪は釈迦の教えを象徴し、チベット仏教寺院の屋根の上に設置されているし、仏塔は仏舎利(釈迦の遺骨)が祀ってあるとされ信仰の対象となっている。

出家後の僧服を着た釈迦の仏像が誕生したのは紀元前一世紀頃で現在に至るまで形は殆ど変わってはいないが、チベットにおいては様々な姿で表現されてきた。

 

例えばジョカンにある本尊ジョウォ・リンポチェは出家前の釈迦像で煌びやかな装飾を身にまとっているし、ペンコル・チョルテン内にあるマハームニという四面八臂四足の釈迦の壁画も存在する。

 

【大日如来(ヴァイローチャナ)】

大日如来の音写は毘盧遮那如来であり、ヴァイローチャナはサンスクリット語で太陽を意味する。

また、胎蔵界・金剛界曼荼羅の中心に位置する五仏(中心に大日、東に阿閦、南に宝生、西に阿弥陀、北に不空成就)の一つである。

大日如来は仏教における真理そのものであり、法が人格化した姿なのだ。

 

これを『法身仏』と言い、釈迦如来のように娑婆世界に現れ、教えを説いた仏の事を『応人仏』と言う。

 

大日如来の特徴は菩薩のように煌びやかな装飾をまとっていて、身体の色は白く、仏の智に入ることを意味する智拳印を結び、結跏趺座を組んでいる。

 

これは七世紀頃成立の大日如来が活躍する『大日経』における特徴だが十二世紀頃に成立した『完成せるヨーガの環』では大日如来の姿は複雑化する。

 

大日如来は獅子に乗り、四面八臂を有する。二臂は智拳印、もう二臂は禅定印を結び、他の手は数珠、円盤、弓、矢を持っている。

 

【阿閦如来(アクショーブヤ)】

アクショーブヤとはサンスクリット語で『動じない者』という意味で、生きとし生けるものに怒りの心を起こさせないという誓いをたて如来となった事からきている。

また、遥か東方にある世界『阿比囉提(あびらだい)』に住む阿閦如来は僧服を身にまとった姿で身体の色は青黒である。

密教において青は怒りの色であり、仏法の障害を打ち砕く仏であるという象徴でもある。

 

【宝生如来(ラトナサンヴァパ)】

ラトナサンヴァパとは『宝から生まれた者』を意味し、その名前の通り富を司る仏である。

 

宝生如来は願いを叶える『予願印』を結ぶ僧服の姿で描かれる事もあるが、菩薩形で妃を抱いたヤブユムの状態をとることもある。

身体の色は黄色で宝の色と似ているという事からきている。(太陽の色ともされている。)

【阿弥陀如来(アミタ)】

阿弥陀如来は西方浄土に住む仏であり、どんな悪人でも、その名を唱え、祈りを捧げれば極楽浄土に行けるとされている。

そんな有難い仏であるから古くからインド、中国、日本で信仰されてきた。

 

阿弥陀如来の別名で無量光(アミターバ)、無量寿(アミターユス)という名前があるが、チベットでは顕教(密教以外の宗派)の形としての無量寿、密教としての形としての無量光が信仰されてきた。

 

無量寿は僧服を身にまとい托鉢の容器を持った姿で描かれるが、菩薩形の場合もある。

無量光は菩薩形で妃パーンダラーを抱き、托鉢の容器と阿弥陀如来のシンボルである蓮華を持っている。(因みに身体の色は赤である。)

阿弥陀如来について詳しく書いている記事もあるので読んでほしい。

アミターバとアミターユス『二つの阿弥陀と浄土世界の真実』

【不空成就如来(アモーガシッティ)】

アモーガシッティとは『完成(成就)を必ず(不空)得るもの』を意味している。

不空成就如来は金剛界曼荼羅で北方を守護する仏であり、僧服をまとい(菩薩形で妃を抱いた状態もある)苛立ちを鎮める施無畏印を結んでいる。

また、ヒンドゥー教の聖なる鳥ガルーダに乗った姿で描かれる事もある。

因みにガルーダはヴィシュヌ神の乗物で、仏教では迦楼羅天として知られている。

【薬師如来(バイシャジャグル)】

万病を癒やし、現世において利益をもたらす薬師如来の正式名称は薬師瑠璃光如来という。

瑠璃光とは仏国土(仏の世界)の一つである浄瑠璃世界の事で、この世界を治めている仏であるから薬師瑠璃光如来なのだ。

因みに仏国土は東西南北にあり、それぞれ四つの仏達が治めている。

 

仏国土を治める四方仏は以外の通り

北=弥勒仏

南=釈迦如来

東=薬師如来

西=阿弥陀如来

 

薬師如来は僧服で薬壺や薬草を持つ以外は、釈迦如来と同じ姿である。

 

【金剛薩埵(ヴァジュラサットヴァ)】

大日如来の化身でもある金剛薩埵の『金剛(ヴァジュラ)』とはダイヤモンドの事で悟りを求める心の堅さの象徴である。

因みにインドラの持ち物である雷が武器となった形ヴァジュラでもある。

 

『薩埵』とは衆生=生きとし生けるものを指している。

 

金剛薩埵の役割は大日如来の難解な教えを衆生に分かりやすく説く事である。

 

金剛薩埵は菩薩形で右手に金剛杵、左手に金剛鈴を持った姿で描かれるがチベットではこの2つは智恵と方便の意味で、悟りを開く道というシンボルである。

また、金剛薩埵同様、同じ役割を持つと考えられるヴァジュラ・ダーラは五仏を統括する存在として考えられている。

 

【その他の如来について】

仏教では過去七仏という信仰があるが、これは釈迦が悟りを開く前にも仏がいるという考えである。

また未来にも仏が出現するという考えが誕生し、それが五十六億七千万年後に現れるというのが弥勒菩薩である。

さらに、娑婆世界の十方(東西南北、南東等の八方向と上下)に無数の仏達が存在すると考えられている。

 

【仏(如来)の仏像・壁画を見ることが出来る寺院】

ボクは仏教美術を求めチベット文化圏を旅する仏画絵師であるが、この章では仏(如来)の仏像・壁画が見ることが出来るチベットの寺院を幾つか紹介しようと思う。

 

初めに仏教美術の宝庫であるインド・北部のラダック地方には未来仏『弥勒菩薩』の仏像を見ることが出来るゴンパがいくつかあるが、その代表は巨大なゲルク派寺院ティクセ・ゴンパである。

 

このゴンパには高さ15メートルにも及ぶ弥勒菩薩(チャンバ)立像があり、他にも青く美しい壁画を沢山見ることができる。

また、アルチ・ゴンパではカシミール様式の仏達の壁画や大日如来像を中心とした金剛界立体曼荼羅があり、必見である。

 

そのアルチから南に10キロ程離れたスムダ・チュン村にあるスムダ・チュン・ゴンパではアルチ同様、金剛界立体曼荼羅がある。

 

ラダックの中心地レーから西に125キロ程先にあるラマユルにあるセンゲガンという御堂には五仏の古い仏像がある。

 

■インドのチベット世界『ラダック』についてはこちらの記事を読んでほしい。

【インド秘境の地】ラダックで寺院巡りやトレッキングする方法とは?

四川省西部に広がる東チベットというエリアにあるラガン・ゴンパには『ラガン・ジョウォ』と呼ばれるチベットに嫁ぐ際に持参した釈迦像があり、地元住民から深い信仰を受けている。

また、カンゼ・ゴンパには釈迦如来、観音菩薩を初め、数え切れないほどの仏像がある立体曼荼羅がある。

チベット自治区の仏教美術の宝庫であるペンコル・チョルテンには先に紹介したマハームニをはじめ、青黒い身体の金剛毘盧遮那や珍しい女性の姿をした四面毘盧遮那如来の壁画もある。

 

『世界一幸せな国』として有名なブータンには世界一高い仏像クエンセル・ポダンがある。

 

ネパールでは住んでいる人より神々が多いと言われる位、至る所で仏像を見ることが出来るが、中でもカトマンズ郊外のファルピンでは赤い身体の阿弥陀如来像を見ることが出来る。

この他、様々なチベット文化圏にあるゴンパで様々な仏像を見ることが出来るが

『漫画仏画絵師メールマガジン』では、仏像をはじめ、知られざるチベット文化圏の情報を発信しているので興味のある人は登録してほしい。

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空を飛んでチベットにやってきた高僧パトマサンヴァパとは一体何者?

チベット仏教の始祖パトマサンヴァパ(蓮華生)は仏教が盛んなチベット文化圏においてグル・リンポチェ(尊い人)と呼ばれる程、チベット人から人気が高い。

彼は有名な死後の様子を表した書物バルド(死者の書)を書いた人物としても知られている。

 

パトマサンヴァパは、このバルドを含めた密教の教えを記した経典をチベット各地に埋蔵した。

 

これをテルマと呼ばれているが、このテルマを発掘し、教えを説いた高僧によってつくられたのがニンマ派と呼ばれている。

その為、パトマサンヴァパはニンマ派の始祖として崇められているのだ。

 

【パトマサンヴァパの生涯】

パトマサンヴァパの『パドマ』とは『蓮華』を意味し、『サンヴァパ』は『生まれた地』を意味する。

その為、『蓮華生』と和訳されるのだが、彼の誕生は、その名の通り伝説的だった。

遥か昔、インドのインドラブーティという王がいた。

 

王は偉大であったが、子が産まれなかった為、何でも望みが叶う如意宝珠を求め、大海原に出て航海に出た。

 

そして、伝説の如意宝珠を手に入れ、帰る道中の事だった。

 

王の目の先には蓮華の上に美しい少年が座っていたのだ。

 

王は、少年に王子になってくれるよう頼み込み、王国に連れ帰ると、如意宝珠によって祝福を受けさせた。

 

その王子が後のパトマサンヴァパである。

 

【大密教行者誕生】

妃を迎えたパトマサンヴァパだったが、ある時ヴァジャラサットヴァが現れ、仏の導きにより、王位を捨て出家する事になった。

その後、様々な修行をへて、密教の力を手に入れ大密教行者となったのである。

 

そのチベット(八世紀公判)は中国とネパールからもたらされた仏教の全盛期を迎え、強大な軍事力を持ち各地を支配していた。

 

この時の王がティソン・デツェンである。

 

王は中国仏教よりも、悟りへと至る道筋をキチンと示したインド仏教を指示し、インド・ナーランダー大僧院からシャーンタラクシタを招いた。

しかし、初めは上手くいかずチベットに招く事が出来なかったが様々な施策により、ようやくシャーンタラクシタを招く事が出来た。

この時のチベット人たちは悟り云々よりも呪術的な力を信仰していたせいか、彼らの事情を考慮したシャーンタラクシタはサムイェ寺建立と密教を広めるため、パトマサンヴァパを呼び寄せる事にした。

この時、サムイェ寺を造っている最中、チベット土着の神々により、元に戻されたりと一向に工事が進展しなかった。

 

そこで、パトマサンヴァパはチベットに神通力で飛んでやってきて、次々に土着の神々を調伏していったのだ。

*土着の神々は、その後、仏教の守護神となり、今でも彼らを見ることが出来る。

チベット仏教における仏達の種類『代表的なチベットの神々とは?』

【チベットに密教を広める】

サムイェ寺を建立すると、ついにティソン・デツェン王に謁見するという機会に恵まれた。

 

しかしパトマサンヴァパは

 

「チベットの王は愚かだが、私は五明に通じている。

だから王は私を礼拝すべきである」

 

一方王も

 

「先に礼をすべきである。」

 

と二人とも挨拶をしなかった。

 

パトマサンヴァパは王の心中を察し、呪術の力で王を調伏させ、礼拝させたという。

その後、王はカシミールからヴィマラミトラを招へい。チベットの若者から翻訳家を育成し、チベットに密教を広めた。

だが、ボン教(チベット土着の宗教)を崇拝する王の臣下が翻訳家を追放するなどして、仏教に対して抵抗した。

 

こうしたチベットの現状を理解したパトマサンヴァパは、密教の教えを理解出来る程では無いというを知り、チベットを去る前に、その教えを各地に埋蔵した。

これが埋蔵経典『テルマ』である。

 

【ニンマ派とは?】

チベット仏教はニンマ派、ゲルク派、サキャ派、カルマ・カギュ派の4大宗派から構成されている。

1番古いのがニンマ派であり、先に述べた通り、埋蔵経典テルマを元につくられた。

また、僧侶が紅い帽子を被ることから紅帽派とも言われ、他宗派と違い肉食妻帯の在家出家者がいるのもニンマ派の特徴だ。

因みにニンマ派の開祖とされているパトマサンヴァパだが、厳密な意味での開祖は存在していない。

 

このニンマ派は4大宗派中で、最も密教色が強く、シャーマ二ズムの伝統を息づくボン教の要素も入っていることから、純粋な仏教では無いと批判される事もある。

 

その批判に対して、対抗したのが14世紀に登場したロンチェン・ラムジャムパだ。

 

彼は教義を整え、ニンマ派の究極の奥義ゾクチェン(大究竟)を書き示した。

ゾクチェンは三部によって構成されているが、要約すると森羅万象は解脱した『心性』であると説く。

 

因みに4大宗派を大きく二つに分けると、ニンマ派(古派)とサルマ派(新派)に区分される。

 

ニンマ派は10世紀以前に成立されたものをいい、サルマ派はそれ以降に成立されたものを指している。

因みに他の宗派についてはこちら

ツァンカパからミラレパまで『謎多きチベット仏教とは一体何なのか?』

ニンマ派の後、サキャ派やゲルク派等の宗派が誕生し、現在のチベット仏教の形をとる事になったからパトマサンヴァパがチベットに与えた影響を大きいと言える。

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下半身が蛇!ヒンドゥー教の異形の蛇神ナーガと仏教の関係とは?

RPGゲーム等をやっていると下半身が蛇で上半身が人間の異形のモンスター『ナーガ』が登場する事がある。

ナーガとはインド神話に登場する蛇神で、恐怖と不死のシンボルとして信仰されている。

仏教においてもナーガは水の神、河の神として信仰され『法華経』というお経の中では釈迦の説法に集まった僧侶・一般の聴衆の他に『非人』と呼ばれる八部衆が集まったとされる。

この八部衆とはヒンドゥー教やゾロアスター教等を由来とする神々であり、この八人の中に蛇神ナーガや有名なアシュラもいるのだ。

 

【法華経の八部衆】

天:調伏された善なる古い神々

ナーガ:水を司る蛇神

ヤクシャ:元々は悪神だったが仏教に取り入られてからは、仏教を護る神となった。

ゲンダツバ:帝釈天の眷属であり、イランを起源にもつ神

■アシュラ:ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーが由来とされる三面六臂の戦闘神

カルラ(ガルーダ):ヴィシュヌ神の乗物で大いなる聖鳥

キンナラ:半獣の神であり、ケンタウロスと関連があるとされる神

■マゴラカ:帝釈天の眷属、竜神の一種とされる。

このようにナーガは他の神々同様、仏教を護る神にされ、日本のみならずチベットにおいても信仰される。

【蛇神ナーガの神話】

『蛇王タクシャカ』という神話において蛇を敵に回すと恐ろしい事になると書かれている。

この神話の内容はこうだ。

『パリークシット王という人物は狩猟の愛好家であった。

王はある日、鹿を狩るため森奥深く進んでいった。

すると王の前に聖者が現れた為、

 

 

「鹿は知らないか?」

 

 

と聖者に尋ねた。

 

聖者は無言の行を行っていた最中であった為、沈黙したままであった。

 

 

無視されたと思い、怒り狂った王は、近くに落ちていた死んだ蛇を聖者の首にかけ、その場を立ち去ったのだった。

 

その後、王の行いを知った聖者の息子は王に呪いをかけるのだった。

 

「父を侮辱した王よ。7日以内に蛇王タクシャカに殺されてしまえ。」

 

呪いをかけられていると知ったパリークシット王は湖の上に頑丈な宮殿を建設し、虫一匹たりとも近づけさせないようにした。

 

王を呪い殺そうとするタクシャカは苦行者の供え物の果物の中に小さな虫となって忍び込んだ。

 

王が宮殿に潜伏し、既に7日がたち、太陽が沈もうとしていた。

 

王は

 

「もう呪いの日は終わろうとしている。

せいぜいこの虫が噛みつこうとしているくらいだ!」

 

と、その瞬間

 

果物に忍び込んだ虫(タクシャカ)は元の姿に戻り、王を嚙み殺してしまった。

 

そして、その毒で宮殿を焼き払ってしまった。』

 

と神話は語っている。

 

因みに蛇王タクシャカのような強い力を持つ蛇の事をマハーナーガ(大いなる蛇)やナーガラージャ(蛇王)と呼ばれ人々から畏怖されている。

 

【壁画に描かれる蛇たち】

チベット仏教寺院の壁画を見ると四天王の壁画と共にナーガが描かれる事もあり、仏教に取り込まれたという事を象徴しているが、同じ蛇でも六道輪廻図に描かれる蛇は意味合いが違ってくる。

 

六道輪廻図とは仏教における死後観を描いたものであるが、業によって生まれ変わる世界が変わってくる六つの世界を描いた様子の中央には『蛇・豚・鳥』が描かれている。

 

この3つの動物たちはそれぞれ『怒り(蛇)』『愚かさ(豚)』『欲望(鳥)』を意味している。

また、ガルーダは蛇をくわえた姿で描かれたり、蛇を体中に巻き付けた姿の仏像を見たりする事があるが、これは強力な力である蛇を支配するという宗教的な意味合いがあるが、ガルーダと蛇が犬猿の仲という事も大きいだろう。

アジア諸国で信仰されているガルーダについての記事はこちら

仏教の天使“迦楼羅(カルラ)”誕生はヒンズー教神話にあり?

神話において、蛇たちは鳥たちを虐げる存在と描かれガルーダがヴィシュヌ神の乗物になるまで蛇が優位だったのだ。(鳥と蛇が賭けをして、鳥が負けたため)

因みに、この記事で紹介している写真はコパン・ゴンパに描かれている壁画であり、他のボダナートの仏教寺院の壁画よりレベルが高いという事が見て分かるだろう。

コパン・ゴンパはネパールのボダナートを見下ろす小高い丘の上にあり、世界的仏教組織FPMT(大乗仏教保存財団)の仏教寺院でもある。

このチベット仏教寺院には瞑想体験をする外国人が沢山いて、一般の人でも参加する事が可能な為、興味のある人は行って欲しい。

 

また、ボダナートにはコパン・ゴンパの他にも瞑想体験やチベット仏教を学べるチェキ・ニマ・リンポチェのホワイトゴンパ、タンカ(チベット仏画)を本格的に学べるシェチェン・ゴンパ等、20以上のチベット仏教寺院があり、チベット好きにはたまらない聖地だ。

以下の記事はボダナートの20以上あるチベット仏教寺院のリストである。

“世界1”のチベット仏教寺院ゴンパ密集地帯に行こう!!『聖地ボダナートのゴンパ一覧表』

チベット仏教寺院の壁画のメインは四天王や護法尊だったりするが、よく見てみると蛇等の小動物を見ることができ、ボクはそんな脇役達を発見するのも寺院鑑賞の小さな楽しみだったりする。

 

因みにチベット仏教はヒンドゥー教の影響が強い為、数多くのヒンドゥー教からイメージをとった神々が登場する。

ヒンドゥー教とチベット仏教の関係についての記事も参考にして欲しい。

チベット仏教『曼荼羅の歓喜仏ヤブユム』歴史に隠された意外な真実!!

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伝説の武器を持つ怒りの仏チャナ・ドルジェ(金剛手菩薩)とは?

チベット仏教には鬼のような形相の異形のチャナ・ドルジェ(ヴァジュラパーニ・金剛手菩薩)と呼ばれる菩薩が存在する。

チャナ・ドルジェは青黒い身体と右手に持つドルジェ(金剛杵)が特徴の仏で、『金剛杵を持つ菩薩』を意味する。

 

また、チャナ・ドルジェの姿のほとんどは忿怒形で表されるが一般的な柔和な姿の菩薩として描かれる事もある。

 

その場合、忿怒形と同じように青黒い身体で右手にドルジェを持ち、左手に蓮華や金剛鈴を持つ姿で描かれる。

 

彼の存在が意味するのは仏法を守護するガードマン的役割で、しばしばチベット仏教寺院にチャナ・ドルジェの仏像が置かれていたり、壁画が描かれる事もある。

ボクがチャナ・ドルジェの仏像を初めて見たのは初めてネパールに行った時の事。

 

ネワール仏教の聖地スワヤンブナートにある寺院群の中で、マ二車が設置された御堂にチャナ・ドルジェの巨大な仏像があった事を記憶している。

 

その他にもマ二車の奥に描かれている壁画や岩壁に彫られた姿等、チベット文化圏では一般的な菩薩の一つだ。

 

因みにマ二車とはチベットの真言(マントラ)が刻み込まれた巡礼者がクルクルと回す筒状の仏具の事で、チベット仏教寺院や聖地等に設置されている事が多い。

このマ二車を1回まわすと御経を1回読んだことと同じ効力を持つとされる事からチベット人達は来世に願いを込め、毎日何千回、何万回もマ二車を回しながら真言を唱えるのだ。

 

チベット人の必須アイテム『マ二車』について、もう少し詳しく書いている記事もあるので興味のある人はチェックして欲しい。

ネパールやチベットの旅おすすめポイント『マ二車は神々の小宇宙』

【チャナ・ドルジェと金剛杵】

チャナ・ドルジェの身体の色は青黒だが、これは魔を祓うための怒りの色であり、チベットではチャナ・ドルジェの絵が描かれた魔除けの護符というものが存在する。

 

また、チベットでは護符で自身を守るという仏教文化の他にも僧侶や寺院を守るため『イダム』と呼ばれる恐ろしい形相の守護尊の中から一尊を選び出し、守って貰うという文化も存在する。

ここで分かるのがチベット人達は神々に対して敬意を払っているのと同時に、魔から守って貰うという彼らの信仰心の高さも窺い知る事が出来る。

 

話を戻すがボクがチャナ・ドルジェに対してイメージするのは魔除けの意味もそうだが、手に持っているドルジェ(金剛杵)だ。

 

ドルジェはヒンドゥー教の神インドラが持っている伝説の武器であり、雷と同等のパワーを持っているとされる。

 

因みにインドラ(別名マヘーンドラ(偉大なインドラ)、シャクラ(帝王)等数々の名前がある。)

とはインド神話の英雄神で、ドルジェを持ちながらソーマ酒を飲み、魔神を倒すため戦車にのる神様だ。仏教名は日本でもお馴染みの『帝釈天』であり、東寺の立体曼荼羅ではイケメン仏像で知られている。

 

インドラは仏教に取り入れられた際、帝釈天となったが他にもガルーダやナーガ、ガネーシャ等、ヒンドゥー教の神々が仏教の護法神になり、特にチベット仏教では日本仏教よりも数多くの尊格を見る事が出来る。

チベット仏教の仏達の種類を取り上げた記事も読んで欲しい。

チベット仏教における仏達の種類『代表的なチベットの神々とは?』

チベット文化圏ではドルジェは、誰かを救うための方法(方便)のシンボルとされ、真理を悟る為の智恵としてのシンボル『金剛鈴』とセットとして法要の際、使用されたり、チャクラサンヴァラを初めとしたチベットの神々の持ち物として仏画に描かれる事がある。

チベット仏教、ヒンドゥー教が盛んなネパールにはドルジェなどの仏具が沢山売っている仏具店が数多く存在するが、中でも印象的だったのはスワヤンブナートの丘の上にある巨大なドルジェだ。

 

インドラがいる天上の近くに雷の武器であるドルジェが設置されているのは宗教的意味を感じたが、見ていると猿が登っていたりして、少々恐かった(襲われるかも知れないから・・)

スワヤンブナートはモンキーテンプルと言われるくらい猿がうじゃうじゃして超恐い。

だが、ネパールの定番観光スポットスワヤンブナートには有名な仏塔や巨大ドルジェの他にも、仏塔がある丘周辺には数多くのチベット仏教寺院やマ二石、グル・リンポチェの仏像等、見るべき場所がいっぱいある。

ネパール仏教観光スポットを訪ねて『美しき仏教寺院3選』

因みに余り日本では知られていないがスワヤンブナート近くにある阿弥陀山(アミターバ・マウンテン)にはドゥクパ・カギュ派の巨大僧院ドゥクパ・アミターバ・ゴンパ(通称セト・ゴンパ)という土曜日限定で開門する尼寺があるので、是非1度行って欲しい。

 

【チャナ・ドルジェのマントラ】

チベット文化圏を旅するとマントラを口ずさむチベット人の姿をよく見かける。

有名なのは観音菩薩のマントラ『オム・マニ・ペメ・フム』だが、格尊格ごとに様々なマントラがあり、当然チャナ・ドルジェにも固有のマントラがある。

■チャナ・ドルジェのマントラ

オム・ニーランバラダラ・ヴァジュラパーニジュニャーパヤティ

 

また、以下の記事では他の尊格のマントラについて書いている記事があるのでチェックしておいて欲しい。

チベット密教パワー炸裂!真言オム・マ二・ペメ・フムって何?

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アミターバとアミターユス『二つの阿弥陀と浄土世界の真実』

チベット仏教における阿弥陀如来のお姿は伝統的に、一般的な如来像のアミターユス(無量寿)と密教の形としてのアミターバ(無量光)として受け止められてきた。

アミターバは密教が盛んなチベット文化圏だからこそ誕生した仏だろうが、像としては髪飾りや天衣をまとい一見菩薩のような姿である。

また白衣と呼ばれる妃(パーンダラー)を抱きしめた姿もあり、如来の持ち物として描かれる托鉢の容器や蓮華(アミターバのシンボル)を持った姿で描かれる事もある。

 

ボクはチベット文化圏をよく旅をしていてゴンパ(チベット仏教寺院)をたびたび見学する事があるが、未だにアミターバの仏像を見た事は無い。

 

だが一般的な形としてのアミタユースに至ってはネパールのチベット仏教の聖地ファルピンにあるゴンパにて、赤い身体のアミタユースの仏像を見た事がある。(チベット仏教における阿弥陀如来の身体は赤い)

一見菩薩のような姿だが、この仏像もアミターユスであり、彼が手にしている物は不死の霊薬で満たされた甘露瓶(アムリタ)である。

 

アミターユスは『限りない光』という意味であり、一方のアミターバは『限りない命』でありチベットでは延命長寿や健康安泰の仏様として信仰されている。

 

因みに『アミタ』はサンスクリット語で『無量、限りない』の意味である。

 

また密教が盛んなチベットではマントラ(真言)を唱えるチベット人や仏教徒の姿をよく見掛けるが、有名な観音菩薩のマントラ『オム・マニ・ペメ・フム』のようにアミターバ、アミターユスのマントラがある。

 

■アミターバ

 

オム・アミタプラバ・スヴァーハー

 

■アミターユス

 

オム・アムリタテージェー・ハラ・フン

■他の尊格のマントラについてはこちら

チベット密教パワー炸裂!真言オム・マ二・ペメ・フムって何?

【西方浄土に住む仏】

阿弥陀如来がおわす浄土は人間が住む世界から『西方十万億の仏国土』を越えた遥か彼方にあるとされる。

極楽浄土の様子は正にこの世のものとは思えない光景が広がっていて、金や銀で彩られた木々が広がり、天から妙なる楽しみの音色が流れ出す。

昼夜がなく曼陀羅華が黄金の地面に降り積もる・・

 

もはや思い付く限りの『あの世』である。

 

このような極楽浄土に住むのが阿弥陀如来であり、彼が住めるのはこの仏国土しかないという。

 

どういう事かというと原則として一つの仏国土に住めるのは一人の仏しか住めないとされる

だから阿弥陀如来以外の仏、つまり大日如来や釈迦如来はそれぞれの仏国土を持っているという事だ。(大日如来=蓮華蔵世界、釈迦如来=娑婆世界)

 

この極楽浄土に住む阿弥陀如来だが、彼はアミターバ(無量光)と呼ばれる事から太陽の光をも越えると信じられてきた。

 

その光は娑婆世界に住む我々人間にも降り注いでいる事から、もしかしたら人が死ぬとき、その光に魂も包まれ極楽浄土に導かれるのかも知れない・・。

 

宗教的文言になってしまったが、最後にボクの友人に起きた不思議な話で幕を閉じようと思う。

 

ボクの友人の幼少期の話になるのだが、彼は以前、車との接触事故を起こし意識不明の重症になってしまったという。

実はこの時、彼の意識は全く別の場所にあったというのだ。

 

そこは『真っ白い世界』だったと彼は言う。

 

その場所はちゃんと地面があるらしいのだが一面が真っ白なのだ。

真っ白い世界を進むにつれ意識が目覚めたというが、もしかしたらその場所はアミターバの限りない光が降り注ぐ『光の世界』だったのかも知れないとボクは思っている。

 

またチベットの死者の道案内経典である『死者の書(バルド・トドゥル)』でも人が息を引き取った後、目にするのは経験したことのないような神秘的な発光体を目にするという。(第一の光明)

 

死者の書では、このような幻影が何日も続き、悟りを開けず解脱出来ない魂は再生へのプロセスに至るが、このような死後の様子を描いた『死者の書』があるのが、チベット仏教の面白い所だ。

因みに『死者の書』はチベット仏教の始祖とされるパトマサンヴァパ(グル・リンポチェ)がチベットを去る際、身ずらの密教の教えを各地に埋蔵した経典テルマの一つであり、テルマを元に教義を整えたニンマ派において、テルマの教え等が信じられている。

 

(ゲルク派やサキャ派等の他宗派はテルマを信じていない。)

 

パトマサンヴァパは宗派を超えて、チベット各地で信仰され、崇められている人物で、彼がチベットに蒔いた密教の種は、後の世に大きな影響を与えるのだった。

因みに彼の誕生・生涯は、正に伝説的であり、神通力で空を飛んだ。

とか、にわかには信じられないような奇跡を起こしたとされる。

空を飛んでチベットにやってきた高僧パトマサンヴァパとは一体何者?

 

ボクの友人が目にしたのは『死者の書』で描かれる“第一の光明”だったのか極楽浄土にいるアミターバから降り注ぐ光だったのかは判らない。

しかし一つだけハッキリしているのは、彼は確かに『真っ白い世界』に居たという事実だ。

 

もしかすると、その世界の先に娑婆世界に住むボクたちの知らない、世界の真実というものがあるのかも知れない・・。

 

チベットの『死者の書』やアミターバ、阿弥陀信仰がボクに死後の様子を密かに教えてくれているかのようだった、といっても過言ではない。

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【大黒天のルーツ】死神マハーカーラとシヴァの関係とは?

日本の財宝神として有名な大黒天だが、元を辿ればヒンドゥー教の破壊神シヴァの忿怒相マハーカーラの事を指している。

因みにシヴァは『吉兆』を意味する男性神であり、チベット仏教やボン教の聖山とされるカイラス山(カン・リンポチェ)に住むとされる。(その為カイラス山はヒンドゥー教の聖山でもある。

インド全土で信仰されているシヴァは、特にヨーガ行者や苦行者に信奉されているがチベット仏教では仏法を聞かない神として、チャクラサンヴァラやヘーヴァジュラといった護法神に踏みつけられている。

ただ、チャクラサンヴァラの画像を見れば判るとおり破壊神シヴァのイメージを数多く取り入れられており、ヒンドゥー教と仏教の融和を図ったチベット仏教の現れが、数多くの仏達から見て取れる。

チベット仏教『曼荼羅の歓喜仏ヤブユム』歴史に隠された意外な真実!!

そんなシヴァの暗黒面であるマハーカーラとは『大いなる暗黒』を意味し、『カーラ』は時を意味する事から死神としての面も持っていて元々は柔和な尊格ではなかったが日本に入ると烏帽子をつけた優しい大黒天像が造られるようになった。

 

因みに日本にもインドのマハーカーラの類義語を持つマカキャラ(摩訶伽羅)という尊格が存在し、東京都板橋区にある安養院には忿怒相で三面六臂の摩訶伽羅天坐像というマハーカーラの特徴を兼ね揃えた仏像が存在する。

 

【チベット仏教の護法神】

チベット仏教の仏達のパンテオンには『護法神』と呼ばれるカテゴリーがあり、日本でいう『明王』に相当する。

護法神はチベット語でダルマパーラと言い、ダルマは「仏法」パーラは「守護者」を意味する。

有名な尊格として不動明王(アチャラ)や馬頭明王(ハヤグリーヴァ)が存在するがマハーカーラもその一つであり仏法を守護する存在だ。

 

また、獣面の異形の仏ヴァジュラハイラヴァや時のサイクルを表す仏カーラチャクラも護法神の一部とされる。

因みに彼らは守護尊(イダム)と言われ、チベット仏教寺院や僧侶達が数多く存在する仏達の種類から、一尊を選び出し、守り本尊とする宗教文化から来ている。

日本・チベット密教における“守り本尊”という仏教文化とは?

【マハーカーラの種類】

マハーカーラはチベットではゴンポと呼ばれ、様々な姿で表されてきた。

 

例えば画像のように馬に乗った姿で表現されることが多い(画像はマハーカーラではないが聖都ラサの守護神パルテンラモと呼ばれる女神)

東チベットのサキャ派寺院ラガン・ゴンパにある『ラガン・ジョウォ』と呼ばれるチベット国王ソンツェン・ガムポの妃の文成公主がチベットに嫁いだ時に持参した仏像がある御堂には、美しい大黒天の壁画がある。

この壁画はサキャ派の守護尊『文殊大黒天(Gurgi gompo Mahakala』と言う。

また数あるマハーカーラ像の中で最も慈悲深い存在として描かれるのが『白色六臂如意宝珠マハカーラ』

このような美しい壁画が多数存在しているゴンパと呼ばれる仏教寺院があるのがチベットの魅力である。

 

他にも宝剣やカッパーラ(頭蓋骨の杯)を持ったもの等、図像は様々だが、例外的な白色如意宝珠マハカーラ以外は基本的に怒りを表す青黒の身体をしている。

 

因みにチベット仏教では、仏達の持ち物も数多く存在しているが、以下の記事で『仏達の持ち物一覧』を取り上げたので興味のある人は読んで欲しい。

チベット仏教の仏達が持つ法具の意味とは?『金剛杵から頭蓋骨の杯等20選』

また『ヒマラヤの国』ネパールにあるダルバール広場にはカーラハイラブと呼ばれるマハーカーラ同様シヴァの忿怒の化身である巨大な仏像がある。

 

ボクが初めてカーラハイラブ像を見たのは地震前の事だった。

 

仏像の前では沢山の信者がお供え物をしていている光景が印象的だったが、恐怖の神であるカーラハイラブのお顔はどこか漫画的で可愛かった。

このカーラハイラブ像には逸話があり、この仏像の前で嘘をつくと即座に死んでしまうと信じられていたせいか、以前は容疑者を連れてきて、この仏像の前で白状させられたと言われる。

 

因みにカーラハイラブ像があるダルバール広場は震災で壊滅的打撃を受けてしまったがカーラハイラブ像は奇跡的に残っていて、震災前のように信仰されている光景を見た時、ホッとした事を記憶している。

 

 

ネパールはヒンドゥー教が盛んなインドの隣にある事から混沌としたカトマンズの街を歩くとシヴァ神の仏像やマハーカーラのようなシヴァ神を彷彿とされる仏像があちこちで見る事が出来る。

 

 

さすが住んでいる人より神々が多いとされるネパールといった所だが、ボクはそんかネパールが好きで何度も訪れているが、行くたびに新しい発見があり、飽きる事が無い。

 

シヴァ神を祀るヒンドゥー教寺院や仏教寺院が共存しているのはネパールならではなのでは無いだろうか?

 

大黒天の源流を辿ると『大いなる暗黒』マハーカーラ、つまりヒンドゥー教の破壊神シヴァに行きつくが彼が仏教にもたらしたのは大黒天やチャクラサンヴァラ等、シヴァ神の特徴を兼ね揃えた神々を創ることになった。

一人の神様のイメージによって様々な尊格が創られるようになったのは世界的にみて稀な事では無いだろうか?

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仏様は男?女?チベット仏教でみる仏達の性別とは?

仏像を拝観すると、時折素朴な疑問がわかないだろうか?

仏様の性別は一体何なのか?

 

と、

特にチベット仏教においては多様な仏達が存在しているが、今回はチベットの仏達にスポットを当ててみて気になる仏達の性別について研究してみたいと思う。

 

【お釈迦様の性別】

仏の中で1番有名なのは釈迦牟尼如来、つまりお釈迦様だ。

お釈迦様は釈迦国の王子として生まれ、何不自由なく生活していたが後に悟りを開く為に旅立ち、仏教の開祖となった人物だ。

本名をゴータマ・シッタールタといい、性別は男だ。

 

ただ、これは歴史的人物として見たお釈迦様であり仏教において性別が男?女?という議題から多少ずれている。

 

だから、ある人は仏様は性別を超越している!

 

と考えている人もいるようだ。

“性別を超越している”という根拠として、恐らく法身という考え方があるからだろう。

法身とは仏の身体の在り方『三身』の内の一つであり、真理・宇宙の象徴としての仏の事を言う。

因みに他二つは

 

■報身(肉体は無いが姿がある仏)

 

■化身(ゴータマ・シッタールタとして現れた仏)

 

有名なのは五智如来の中心的仏大日如来がいるが、彼は太陽神であり法(ダルマ)の象徴でもある。

またチベット仏教4大宗派の一つニンマ派において、普賢菩薩は法身の地位まで格上げされ、しばしば仏画等で白い身体の妃を抱いたヤブユムの状態で描かれる事もある。

 

ヤブユムとは智恵と方便の合一は悟りへと至る道という意味であり、この場合智恵とは女尊、方便は男尊を指している。

ヤブユムでも分かるようにチベット仏教では仏の性別が分かりやすく描かれているのが特徴だ。

因みにヤブユムについての記事はこちら

チベット仏教『曼荼羅の歓喜仏ヤブユム』歴史に隠された意外な真実!!

【観音菩薩の性別】

観音菩薩とは悟りへの勇気を持つ人ボディー・サットヴァの音写だ。

仏画や仏像で描かれる際は、男性とも女性とも見えない中性的な姿で描かれるが、結論からいうと観音菩薩は男性である。

 

何故ならボディー・サットヴァとは男性名詞だからである。

 

しかし、菩薩全てが男性という訳ではなくチベットやネパールで絶大な人気を誇る緑ターラ菩薩、白ターラ菩薩のように観音菩薩から生み出された女神達が有名である。

また聖観音という菩薩は左手に蓮華を持ち右手を予願印を結んでいる極めて女性的な菩薩であるが、この菩薩を女性たらしめているのは蓮華である。

仏教において蓮華は女性の象徴として描かれる事もあり、智恵と同じ意味を持っている。

 

女性の象徴である蓮華を何故、男性である菩薩が持っているのか?

 

それは観音菩薩の起源を辿れば東アジアの女神とされる事があるからだ。

 

だが、この観音菩薩。

 

正確な起源は謎なのだ。

 

起源は不明だが現在に至るまで日本を含めアジア中で広く信仰されている人気者である事は間違いはないだろう。

因みに観音菩薩は様々な姿で表現されてきた。

 

例えば十一面観音や千手観音等・・

 

様々な菩薩についての記事はこちら

苦しみから人々を救う観音様の種類とは?『チベットの観音菩薩信仰』

【恐るべき女神達】

チベット仏教ではインド・ヒンドゥーイズムの影響を受けているため、インド由来の女神達が登場する。

 

代表的なものはダーキニー。

 

カッパーラと呼ばれる頭蓋骨の杯に入った血をすする恐るべき魔女の姿で描かれるが、彼女は元々女神カーリーの侍女であった。

 

その後カーリーは破壊神シヴァの妃となった為、ダーキニーもシヴァの侍女となったのだ。

 

また彼女達は護法神達の妃として描かれる事もあるが、これは男尊にエネルギーを注ぎ込む役目をになっている。

このエネルギーの事をシャクティと言い『力』『性力』を意味し、男尊のエネルギーの源とされる。

 

ヒンドゥー教由来の女神は他にも存在し、聖都ラサの守護者であるパルテン・ラモは女神ラクシュミ信仰由来であり、チベット仏教の女神崇拝と結びつき誕生した女神だ。

そんなヒンドゥー的仏教のチベット仏教の神々だが、ヒンドゥー教よりも仏教が勝っているとするために誕生したチャクラサンヴァラと呼ばれる仏が存在する。

チャクラサンヴァラは青い身体に手が沢山あり、三日月の冠を頂く一見シヴァ神をイメージする仏だが、彼が踏みつけているのはシヴァとその妃だ。

チベット仏教では、この他にも日本では見る事の出来ないヘーヴァジュラやヤマーンタカといった異形の仏達が存在するが、こういった神々を見る為にチベットを旅するのがボクの目的の一つだ。

 

チベット仏教寺院にいくと女性や男性の仏達が壁一面に描かれ、チベットの信仰心と仏教美術の凄さを肌で感じる事が出来る。

ボクは仏画絵師であるため、そんな神々を調べて描くが、調べて行く内に様々な出自が分かるから面白い。

 

先も述べたようにヒンドゥー教の神々から結びついたものや、迦楼羅(ガルーダ)や弁財天(サラスヴァティ)のようにヒンドゥー教の神々も登場するし、阿修羅のようにゾロアスター教のアスラから来ている神もいる。

仏教の天使“迦楼羅(カルラ)”誕生はヒンズー教神話にあり?

日本の寺院で仏像を見る限り、仏様が男性か女性か?

 

区別がつきにくいが仏教が盛んなチベットにへ行くと、その点がハッキリしている。

今回は仏様の性別について記事にしてみたが、結論を言うと男性の仏も女性の仏も存在するという事である。

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何故チベット人は『オム・マ二・ペメ・フム』と唱えるのか?マントラの意味と宗教観

チベット文化圏に行くと、必ずオム・マ二・ペメ・フムと口ずさむチベット人の姿を目にすることが出来る。

意味としては『蓮華の中の宝珠よ、幸あれ』という観音菩薩の有名なマントラ(真言)なのだが、彼らは何故何度も唱えているのだろうか?

チベット文化圏の一つ『ヒマラヤの国』ネパールに行った際、現地に住むネパール人にその理由を教えてくれたので貴方に教えたいと思う。

 

【オム・マ二・ペメ・フムを唱える意味】

チベット仏教の聖地ボダナート在住のラマさんは日本に何年も行った事がある日本語が堪能なネパール人だが、彼から言わせれば魂を神様の元へ導く為に唱えている。

のだそう。

 

これに仏教的意味あいを含めれば他者の幸せを願う功徳の精神が働いているからだと思う。

チベット人を含め、仏教徒は功徳を積めば罪が消え天国に行けるという考え方がある為、彼らはマントラを唱えているのだ。

 

そしてもう一つ。

 

その背景には輪廻思想が働いている事も知っておいて欲しい。

輪廻思想は言葉の通り、生きるものは全て何度も生まれ変わりを繰り返す思想の事だ。

チベット仏教寺院に行くと必ず六道輪廻図を目にすることが出来るが、これは生前に積んだ業によって六道のいずれかに生まれ変わるという事。

 

因みに六道(六つの世界)の内訳は

 

【人道】

我々が住む、この世界の事で六つの世界の内、解脱し輪廻から解放出来るチャンスが最も高い世界だ。

 

【餓鬼道】

餓鬼という鬼を知っているだろうか?

お腹が膨らみ飢えに苦しむ姿をした異形の物だが彼らが住んでいるのが餓鬼道。

彼らは嫉妬深く貪欲な人間達の餓鬼道に堕とされた、なれの果ての姿だ。

 

【畜生道】

畜生とは人間以外の生物の事をいうが転生する際、鳥、獣、虫になることが多いと言われるため六道の中で最も悟りを開く可能性が低いと言われている。

 

【阿修羅道】

阿修羅道とは戦闘神である阿修羅が支配する争いが絶えない世界の事だ。

何故彼らが戦ってあるというと元々天道に住んでいた阿修羅一族の王の娘を帝釈天が、連れ去り正妻にしてしまった為に王は怒り狂い帝釈天に戦いを挑んだ。

だが強大な軍団を持つ帝釈天に勝つ事が出来ず、天道から追放される事になった。その後は人道よりも格下の世界を支配する事になったが、天道と阿修羅道の住民の中が改善する事なく未だに争いが続いているのだ。

 

【天道】

長寿と神通力を持つ超人的な天人が住む世界の事だ。

一見幸せそうな天人だが人間と同じように煩悩を捨てる事が出来ず、死ぬ前には服が汚れたり、汗をかいたり・・

どうでもいい事だが天人にはそれがキツイらしい。

だからきちんと修行しないと最上位の天道に関わらず地獄に堕とされる可能性もある。

 

【地獄道】

言わずとしれた閻魔大王が支配する場所で生前に罪を働いたものが死後に堕ちる世界。

地獄は八層構造になっていると言われ、仏教書『往生要集』によると等活地獄、黒縄地獄、衆合地獄、叫喚地獄、大叫喚地獄、焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄の順になっている。

また罪が重ければ重いほど下層に堕ちると言われている。

 

六道輪廻は業によってこれらの内に生まれ変わるので、オム・マ二・ペメ・フムと唱える事で解脱するチャンスを作っているのかも知れない。

 

それを示すかのように以前パタンのゴールデン・テンプル内にあるゴンパで知り合ったネパール人に六道輪廻図に描かれた六つの世界を指さしながらオム・マ二・ペメ・フム・・

 

と言っていた。

 

また彼は日本で最も有名な御経『何妙法蓮華経』と唱え六道輪廻図を指さしていた事から、この御経にもオム・マ二・ペメ・フムと同じ意味を持っていると思われる。

 

彼らが何故、毎日マントラを何百回も唱えているのか?

 

これでわかって頂けただろうか?

 

チベット人達にとって宗教とは、生活の一部であって自己を形成するツールの一つでもあるのだ。

何世紀にもわたり仏教文化が根付いてきたチベットにおいて、マントラという呪文は幸せな来世へと願うチベット人達の文化の一つなのだ。

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チベットの大ヨーガ行者ミラレパの波乱に満ちた生涯とは?

ボクがチベットの大ヨーガ行者ミラレパの存在を知ったのは、世界中の妖怪文化を真面目に研究した雑誌『怪』第壱号に掲載されていた水木しげるの神秘家列伝だった。

この漫画にはミラレパの波乱に満ちた生涯が描かれ、にわかには信じられないような伝説的な偉業や悪行の数々が分かりやすく描かれていた。

 

【大ヨーガ行者ミラレパとは?】

ミラレパというのはチベット仏教の4大宗派の一つカルマ・カギュ派マルパと共に開祖と評される人物で、大ヨーガ行者であると共に、様々な美しい詩を詠んだ事から大遊戯詩人として知られるチベット人に人気の聖人だ。

因みにヨーガ行者とは世界的に流行している呼吸法ヨガを行うヨーギニーに事で、元々の意味としては健康的意味合いとして実践されたというよりも真理や悟りに近づくための宗教的意味合いが強かった。

チベット仏教の女神ダーキニーも参照

インド・チベット仏教の生き血を啜る恐るべきダキニ天と日本の稲荷信仰の関係

このヨーガは時として仏教美術に表される事もある。

 

ボクはネパールを旅した時、チベット仏教の聖地ファルピン(グル・リンポチェが瞑想した洞窟がある)にあるチベット仏教寺院に行った時、色鮮やかな悟りを求め実践するヨーガ行者の壁画があったが、修行をする場としての寺院に相応しい壁画だと思った。

チベットを代表するヨーガ行者ミラレパがいかにして誕生したかというと、時は1052年8月25日、裕福なチベット人家庭の間で生まれ(四年後には妹ペタが誕生)、何不自由なく暮らしていた。

 

だが事態は一転、父親の死によってミラレパ兄妹の後見を頼まれた叔父叔母の昼ドラ顔負けの冷遇によって、裕福だった一家の財産は奪われ、毎日こき使われるようになったのだ。

元々お金持ちだったから、叔父達はひがんでいたんだろう。

 

馴れない畑仕事や水くみの数々・・

 

食事は犬のエサのような粗末なもの・・

 

叔父達によるイジメは続いたが、ミラレパが15歳になると母親と共に宴を開き財産を取り戻す訴えを起こすのだが、訴えは通らなかった。

 

【ミラレパの黒魔術】

ミラレパが成長すると母親の頼みで黒魔術を習得し

 

「あの叔父、叔母を呪い殺し九代までも呪うのョ」

 

怖っ!

 

だが、その位追い詰められていたんだろう。

 

 

ミラレパは長旅の末、黒魔術に長ける『クルンの偉大なる智恵の海』と呼ばれるラマに出会い、彼から黒魔術を学ぶ事になった。

 

 

チベット仏教では修行するさい、どんなラマから学ぶ事なのかと言うことであり、自分の師を求め何年も旅する僧侶もいる位だ。

 

 

ミラレパは師である黒魔術師の元10日間、修行したのち守護神からの印を受け呪術を習得する事が出来た。

 

彼は復讐の為、叔父叔母の親族達を呪い殺し、雹の嵐を降らせると村に大打撃を負わせることに成功した。

 

 

・・本当だろうか?

 

 

伝説的人物はいつも、このようなにわかには信じられないような逸話を何かしら持っているものだ。

 

 

実際に黒魔術を使えたか不明だが、この後、自分の行いを悔い、反対に聖なる法を求める旅に出る事になる。

 

【師マルパとの出会い】

ミラレパはニンマ派(密教古派)のラマの元を訪れ修行を行うが、何ら啓示を受ける事は無かった。

 

 

そこでラマの導きによりロプダク僧院のナロパの弟子マルパの元へ行く事になる。

 

 

引きつけられるままマルパの元にいき弟子にしてくれと頼むがミラレパに城を造れと命じたり、完成間際で破壊しろとか、説法を聴くのは許さん!とか・・

 

 

理不尽なイジメは続き、とうとう他のラマを探すといって出て行ってしまった。

(全てミラレパへの試練だった)

 

彼が出会ったのはマルパの弟子であるゴクパというラマ。

 

ミラレパはゴクパの元、窟にこもり瞑想等をしたが何日たっても啓示を受ける事は無かった。

 

理由はマルパからの手紙で判明した。

 

ミラレパは真理の授与に関してマルパからの許可を受けていなかったからだ。

 

つまり師からの協力なしに啓示を受ける事は出来ないという事。

 

マルパの元、再び訪れ心から反省するとマルパはミラレパを向かい入れ今度こそ彼に『教え』を与えたのだった。

 

 

ミラレパは窟の中で長い間、瞑想すると悟りを開く事に成功。

 

 

数年後マルパは優秀な弟子達に経典を与えることになった。

 

その一人がミラレパで、かれには『生命の火』という経典が与えられた。

 

【ミラレパのその後】

弟子達には国に帰り、教えを広めよとマルパは言ったがミラレパだけは数年僧院に残るように指示され、窟の中で瞑想を続けるのだった。

その後ミラレパはマルパの元を後にし故郷に戻るも、実家にあったのは母親の亡骸だった。彼は平静を取り戻す為そこで1週間瞑想したのち、施しを求めながら瞑想を続けた。

 

ミラレパはその後、再び窟にこもり瞑想を続けた結果・・

 

身体は骨と皮だけになり、体中緑色になっていった!

 

よくネパールで売っているミラレパを描いたタンカを見ると体が緑色になっているが、この頃の姿を描いたものだと思われる。

因みにタンカとは瞑想用に使われるチベットの仏画の事で美術的価値も高い。

そして、さらに瞑想を続けた結果、自由に空を飛び回り仏の説法を聞くため異次元にまで行けるようになったのだ。

 

月日はたち、多くの信者や弟子達を得たミラレパは死期を悟ると、岩山の上に立てられた小屋の中で弟子達に説法したのち入滅したのだ。

 

西暦1135年1月14日の事だった。

 

こうして波乱に満ちた大ヨーガ行者ミラレパの生涯は幕を閉じたのである。

 

チベット仏教にはミラレパやマルパのカギュ派の他にもツァンカパが開いたゲルク派やグル・リンポチェのニンマ派等があるが、他の宗派について簡単にまとめてみた記事があるので参照にして欲しい。

ツァンカパからミラレパまで『謎多きチベット仏教とは一体何なのか?』

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