今回、取材に訪れたのは福島県郡山市の天性寺。
元々、Xでの繋がりでご住職と知り合う事になり
後にお寺へ絵画制作の提案をするため赴いた際、ご縁を頂き境内図制作のご依頼を頂きました。
ご住職の木町元秀さんはアートに大変詳しいお方で、お寺の中に天渓庵という美術館がある珍しいお寺さんだった。
3度目となる天性寺への訪問となる今回、お寺の中に美術館を作った理由やご住職のアートに対する思い等をインタビューしてまいりましたので、どうぞご覧ください。
【天性寺の歴史】
来迎山天性寺は安積三十三観音霊場第八番札所であり「笹川のあばれ地蔵」としても知られ、毎年11月2日には柳の木で作られた地蔵を地面に叩きつける神仏習合の伝統行事が行われる(2006年には市指定重要無形民俗文化財に指定)
創建は1422年(応永29年)。元は臨済宗で足利満貞によって龍性寺と共に建立され、天正年間に曹洞宗に改宗。
名前の由来は先祖の足利尊氏が建てた天竜寺の二字を分けて命名され、南北朝の戦乱で亡くなった人々を供養する為に建てられたが明治6年(1873年)に龍性寺は無住になり廃寺。
天性寺は元々は線路沿いにお寺があったが、それが災いし明治時代に汽車の飛び火により火災に遭い現在地に移転した。
来迎山天性寺公式HP↓
http://raikouzan-tenshouzi.com/
【天性寺の見所】
客殿にある無料の美術館である天渓庵には有名作家の作品やお寺に関する古文書等が展示されている。
初めて天性寺に来た際は棟方志功の作品が展示されていたが3回目となる今回は梅原龍三郎、中村正義、五味悌四郎等の絵画作品が展示されていた。
特に日本画家の松村公嗣の作品二点は光を当てると本当に輝いているように見えるように描かれ、現代日本画壇を牽引する画家だからこそなせる技だと思いました。
本尊である釈迦牟尼仏が祀られている本堂内にもタンカ(チベット仏画)をはじめ多くの美術作品が展示されている。
また境内には観音堂、地蔵堂、鐘楼堂や福寿観音、印章観音、六地蔵等、多くの石仏が祀られている。
【木町元秀さんにインタビュー】
Q:お坊さんになった理由
A:僧侶になりたいと思った事は一回もなく長男だからという理由だけで、お寺を継ぎました。
昭和63年に大本山總持寺で1年半修行致しました。
Q:修行時代の思い出
A:当時付き合っていた今の奥さんが、お寺での修行がある程度過ぎてからですが差し入れを持って面会に来てくれたんですね。
甘い物とかお肉やお魚を食べる機会は殆ど無かったんですけど長い羊かんを持ってきてくれて、その羊かんをトイレで隠れて食べました。
その後も奥さんが何回も面会に来てくれたんだけど
ある時、日曜に本山に来た際に坐禅会の役員さんが何故か坐禅会の受付の人と間違えて彼女をつかまえ
「坐禅の方ですね」
とズルズル連れて行かれて總持寺の方で坐禅をさせられたという話は今も家内が忘れられないと言っていますね。
個人的な修行中の思い出と言えば、あの頃は仲間が63人位いたのですが悪い事ばっかりやってました。
本堂にある饅頭を盗んで皆で食べたりとか笑
食べ物に関して言えば恥ずかしい位、欲捨てられず
そういう悪い事をしていましたね。
總持寺というのは街場に近いので、やろうと思えば何でも出来る場所なんですよ。
ケンタッキーでもマクドナルドでも鶴見の駅に行けばいっぱい売ってて、法要やお葬式の手伝いで外に行くときに
美味しそうだな…
と思いながら見ていて、その欲との戦い、明るさや賑やかさとの戦いが辛かったですね。
ある程度、先輩になれば外に出て、お買い物しているお坊さんもいましたが、私ら1年ちょっとですと外にでるような事はなかったですね。
うちの父も總持寺で修行したので父がお世話になった方が、まだ總持寺の方でお年をめしていますが残っているんですよ。
あんたのお父さんはああだった、こうだった
と言われて、そういった事でも感慨深いものがあります。
本当はそういった方にも恥じないように修行しないといけないと思ったし、父にお世話になった方に心からお世話になり感謝していますね。
足袋なんかも洗って貰った事もあるし、隠れてお菓子を貰ったり
そういった意味では、あったかい感じの中で修行出来たなと自分の中では思っていますね。
Q:天性寺住職になったのはいつですか
A:平成26年の5月23日に住職になったんですが、父が亡くなったのが平成30年なんですが、その7年前に喉頭癌を患って声が出なくなってしまって平成23年位に父が引退して、お寺の住職となるような形だったんですね。
その後7年間、父は肝臓癌や膵臓癌になって7年間頑張ったんだけど今は私が一人で守っているという形かな。
一番は母が平成22年に69歳で突然亡くなってしまったんですよ。
そのショックを抱えた中、3ヶ月後には東日本大震災が起り
私は心の中にポカーンと穴が空いてしまって、それを埋めるのに凄く時間がかかってしまいました。
その間に父は癌が見つかって父は相当辛い時期を過ごしていたんじゃないかな。
坊さんだって人間なんだから、いくら修行しても荒んだ心を治すのは時間がかかりますね。
私も子どもが3人いるので子ども達に大分救われた部分があるし、檀家さん達から「大変だったね」と言葉1つ救われる事もありました。
母の七回忌に悟りじゃないけど突然、寂しさが抜けて、そこで塞がった感じがあるかな。
Q:お坊さんになって良かった事
A:特殊な仕事であるので大勢の方と出会ったのが一番良かった事だし、勿論檀家さんとの出会いというのも凄く嬉しいけれど
色んな多種多様な方と出会う機会があるというのも、お寺の良さなのかなと思うし
それはこれからも何百人何千人の方と会うと思うので、そのご縁は大事にしたいな、と昔から思っているし今も自分の中ではそれは思っています。
Q:日々大切にしている事
A:ご縁を大切にしているという事も一番だし、お寺を守っていくという事が一番大変かなと私は思っていますね。
ただ、家族の支えがあってのお寺なのは間違いないから家族は大事にしなくちゃいけないんですけれど
基本、600年以上歴史のあるお寺を守っていくというのが自分の任務なのかな最近思っています。
ここも色々歴史のあるお寺なので、そういった歴史を掘り返しながら
昔のいい所を残し今風に変えていくというか、あまり雁字搦めにならないような自由なスタイルで
皆さんが気軽に来てくれるようなお寺になればそれが一番かなと思っています。
Q:天渓庵を作ったキッカケとは
A:美術館の前には事務所として使っていました。ただ地震であちこち傷んだものですから
祖父の代から集めていた美術品とか父が持っていた美術品、お寺に関する古文書等、ある程度の美術品の数があったんですね。
ただ、それを見せる機会がなくて一回どこかで日の目を浴びさせたいなと思っていました。
なので本堂等も修復するのであれば、いっそお金をかけてそういったスペースを作ってみようかなと思いました。
私は特に絵に興味があったというわけでは正直なかったのですが
集めたり整理している内に段々好きになってきました。
実際に天渓庵を作った事で檀家さん達も大変喜んでくれてるし、その檀家さんのご友人を連れてきたりとかJRのツアーでも
お寺の歴史を見ながら天渓庵の絵を見るというコースになっていたりとか少しずつ周知されてきたのかなと思いますね。
お寺は法事とかお葬式とかで足を運んでもらうだけの場所ではないので
様々な分野で皆さんに見てもらって喜んで貰うのが嬉しいなと思っていますね。
Q:ご住職にとってアートとは
元々日本画を集めていたんですよ。
父が持っていたのは日本画、祖父は禅僧の掛け軸とか、そういった物を沢山持っていて和の物が中心だったんですね。
禅宗だからあまり派手な物は飾らなかったんだろうし飾るとしても茶室の床間に飾る掛け軸等が沢山あったんですね。
でも父の時にお知り合いのお坊さんが画商さんをやっていたのですが歳で辞めたんですね。
その時にとても安く沢山買ったみたいで中には浮世絵や福島県の版画家の斎藤清さんの版画とか
結構いいものがいっぱいありました。
ただ、それだと物足りないし季節感を出したいなと思って
春は桜の絵を中心に買ったりだとか夏は蓮の花、秋は紅葉、冬は雪の山とか集めてきてる内に段々と横に広がってきました。
西洋の絵も興味を持つようになったので最近は和の物だけじゃなくて西洋の物を織り交ぜながら飾ってはいるんですね。
Q:境内図をお願いした理由
A:新潟の観音寺の阿部君が大学の同期だったというご縁もあるし、私はなるべく自分と関わってくれた人がちょっとでも喜んでくれたらいいな
と考えながらいつもお付き合いしてるつもりなんですよ。
だから例えばお豆腐屋さんがお友達だったなら、お豆腐をそこからなるべく買ってあげたいとか
農家さんがいれば、その農家さんからメロン買ったりスイカ買ったりという事もあるだろうし
宮下さんの場合は画家さんなのでご縁があって境内の絵を描いて頂きました。
Q:どういったお寺を目指していますか
A:お葬式や法事というのは、どこのお寺さんでもやっている事だし当たり前の事なので
それ以外に檀家さんの悩みを聞いてあげるのは最もな正解なのかもしれないけれど、そういった方がいるのならスッと相談出来るようなお寺の体制を作ってはいるつもりであります。
勿論、Xで知り合った方がこうやって気楽に来てくれるという体制を作るのも自分にとっては
嬉しい事だし、嬉しい出会いでもあるし長くお付き合いが出来ればいいのかなと思っています。
なるべくだったら時間が許す限り一緒に御飯を食べたりだとか、お話する時間をとってもらったりだとか気は使っていますね。
あと一番は、ここには「あばれ地蔵」のお祭りが11月2日の夜にやるのですが、その保存会の方達が30名位メンバーがいますけれど
そういった方と地域のお祭り等も関わっていきたいし
後は公民館でカラオケ教室やったり卓球教室やったり、そういった所に顔出したりすると
「お寺は身近な所だね」とかお悩み相談とかお墓の相談とかをする方もいますし
なので気軽に声をかけてもらえるような自分にしていきたいな、とこれからも思っていますね。
Q:これからやってみたい事とは
A:息子が学生の時は俳優を目指していて、そういう学校に通っていて実際に映画とかCMに出てたし
そういった仲間とも今もお付き合いがあるので例えば現役で俳優さんをやっている人達がいるので
劇団みたいのをお寺で見せたりだとか、宮下さんとの出会いもあるので美術の展覧会というのも将来できたらいいな、と思うし
Xを通して元アイドルの方とか歌ってる方とかとお友達になりましたので
お寺の本堂を使ってミニコンサートをやれたらなと思いますね。
Q:お寺が衰退している事について
A:衰退はしていない。このお寺に限っていえばしていないと思います。
お彼岸もお盆も皆んな顔を出してくれますし、衰退しているといいますが正直何が衰退しているのか?と考える時がありますね。
やっぱり今のおじいちゃん、おばあちゃんの世代が息子さん、お孫さんの代になってから
続けていけるように「お寺はこういうものなんだよ」というのを次の世代、その次の世代にきちんと伝えてほしいな
というのと
「伝えなくちゃいけないな」という気持ちがいつもありますね。
だからやっぱり、お寺は堅苦しいものなんだなと思ったらそれまでだし
お寺は大元は仏教ですけれど、お釈迦様がどうのこうのと堅い事言わずに、私がお釈迦様に代わって話を聞ける立場にいたいなといつも思います。
父の教えが「ひと通り坊さんなったからには何でも良い事、悪い事全部やれよ!」
と父から教わりました。
それは人を咎めたり盗んだりとか、そういう事はやらないけれど
酒を飲みに行ったりパチンコやったらいいよ
と何でもそこそこ、ひと通りやってみな
と言うような父だったんですよ。
その父自体も色んな事を経験していたのを見ていたので、そういう点では遊びにいくのは正直楽な家庭だったのね。
禅宗のお坊さんだから、きちっと朝4時に起きて朝のお勤めをして、坐禅をして、お粥を食べて、掃除をして、と言うような父ではなかったですよ。
だからそういう点では、楽だったかなと思います。
ただ、祖父はとても厳しいおじいちゃんだったので、相当嫌いだったと思うのね。
父は長男ではなく次男なんですよ。
長男はそんな堅いじいちゃんが嫌いで飛び出していっちゃって
次男の父が住職になって、私は居心地はまぁまぁ良かったので父について色々学ぶ所が沢山ありましたけど
でも、こんな父の事を褒める程、実は仲はよくなかった。
でも今となってみれば、よくやっていたな!とか尊敬する事しか思い出せない。両親はよく檀家さんを連れて年に1回、2回は旅行に必ず連れて行っていたし
多い時はバス3台で永平寺とか總持寺に檀家さんを旅行に連れて行ったりしました。
今は旅行に行く人は中々いないんだけれど、その旅行も毎年続けてやっています。
葬式とか法事以外にも、そういったプライベートなお付き合いじゃないけど
色んな所に行って腹をわって話したりとか、温泉一緒に入ったりするというのは私も好きだし楽しいなと思いますね。
【まとめ】
今回取材して感じたのは、ご住職はアートに理解のあるお方で、お寺自体もアートで溢れる魅力的なお寺さんだという事。
美術館を寺院内に作っているお寺さんは珍しいと思うので、そんなアートな天性寺へお参りに来てほしいなと思っています。