日本において『手がいっぱいの仏』と言えば千手観音が有名だが密教が盛んなチベットでは日本で見る事の出来ない異形の仏達の姿を見る事が出来るし、その仏達の多さも日本に比べると遥かに多い。
例えばサキャ派の代表的尊格ヘーヴァジュラやヒンズー教の破壊神シヴァ神の影響をチャクラサンヴァラ等、7~8世紀タントリズムが盛んだったインドの影響を受けた仏達が数多く存在するのだ。
チャクラサンヴァラ等も手がいっぱいある仏の一つだがチベットでは、まだまだ沢山ある仏達が存在する。
ボクは実際にチベット仏教が盛んなネパールやチベット、ラダックを旅してきたが、そこで見てきたチベットの『手がいっぱいの仏達』三尊をボクの旅話と共に紹介しようと思う。
■こちらも参考に。
【千手観音菩薩】
千手観音菩薩は苦しみにあえぐ数多くの衆生を救い、願いを叶えてあげようと沢山の手がある慈悲深い仏様だ。
また千手観音の正式な名前は千手千眼観音菩薩といい千の手にはそれぞれ衆生をあまねく見渡せる眼が千あるのだ。
千手観音は日本でも厚く信仰されているがチベットでもチェンレースィ(サンスクリット語:アヴァローキテーシュヴァラ)として厚く信仰され、寺院に行くと巨大な千手観音菩薩の仏像が参拝者を見下ろしているなんて事もある。
東チベットのラガンという町にあるラガン・ゴンパには美しい壁画と共に巨大な千手観音立像があり、その美しさと迫力でボクは五体投地をし、旅の祈願をしたという経験がある。
それと驚いたのは仏像の下にチベットで禁止されているダライ・ラマの写真が掲げられていた事だ。
チベットではダライ・ラマの写真を所持していただけで処罰の対象となってしまう現状なのだ。
信仰・思想の自由を制限されているチベットだが、チベット人のささやかな抵抗を垣間見た瞬間だった。
少しボクの話をするが、ボクがチベット文化圏の国々を旅するのは絵のインスピレーションを受けるためにチベット寺院や聖地を旅しているのだ。
千手観音といった手がいっぱいの仏像は画家として面白い題材だが、描くのが難しい事もあって中々描くことは無いが旅をしてリアルな表現方法を学ぶ事で描けるようになるだろうと思っている。
千手観音の話を戻すが図像として表される場合、沢山の手には数多くの法具等を持っているが、こういった法具の殆どは煩悩を打ち消したり、人々の願いを叶えてくれる物ばかりで、沢山の手にこういった法具を持っているという事はやっぱり慈悲が深い仏としての象徴なのだろう。
【白傘概仏母】
日本では耳慣れない白傘概仏母(びゃくさんがいぶつも)だが、チベットにおいては代表的な尊格で女神グループに属する仏様だ。
まさにその姿は女性版千手観音菩薩と言ってよく、千手観音菩薩と同じく千の手と千の眼を持っている。
この白傘概仏母も慈悲深い仏様で左手に持った傘で災いをはねのけ、右手に持った輪宝で煩悩を打ち砕くと言われ、その正確から寺院に壁画や仏像が鎮座していたりする。
白傘概仏母の身体の色は白であるが、仏教においては慈悲の象徴として観音菩薩に使われる色として知られ、忿怒の表情をしているが慈悲深い女神様なのだ。
また彼女が踏みつけている動物たちは衆生を象徴し、白傘概仏母が衆生を護ってるという事を意味している。
チベット美術の宝庫であるラダックのレーにある王宮跡内部にある御堂には白傘概仏母の仏像があり、薄暗い御堂から光が差し込み、厳かな雰囲気をかもちだしていた。
レー王宮跡はポタラ宮をモデルとなったとされる場所で、確かにポタラ宮そっくりだった。
このレー王宮跡は入場料が必要らしいが運良く御堂に供えに行く人について行く事ができ中に入る事ができた。
きっと白傘概仏母のお導きなのだろう・・
【代威徳明王】
代威徳明王はチベット仏教ではヤマーンタカといわれ、数多くの図像が表されている。
またヤマーリという場合、守護尊として見なされる場合がある。
因みにヤマとは人類最初の死者ヤマ、つまり閻魔大王の事でヤマーンタカは閻魔すら制する者を意味している。
数多いヤマーンタカの中で最も凶暴で手がいっぱいのヴァジュラハイラヴァは文殊菩薩の化身とされ、36の手に16の足と水牛の頭を持つ異形の仏様だ。
またチベット仏教の神々の特徴であるヤブユムの状態をとり、踊っているような姿をとるヴァジュラハイラヴァも存在する。
ヤブユムとは知恵と方便は悟りへの道という仏教の教えを比喩的に表した図像の事で男女の神々が抱き合った図像の事をいう。
ヴァジュラハイラヴァの仏像は主に女人禁制のゴンカンにあり、強いパワーがあるせいか布で顔を覆われている事が多い。
ラガン・ゴンパにはヴァジュラハイラヴァの仏像こそ無いが、壁画として表され、画家心をくすぐる美しい壁画だった。
チベットの手がいっぱいの仏はチベットを旅するとまだまだ沢山登場しそうだから、異形の仏達の全容を知ることは計り知れないだろう。
しかし、そこに手がいっぱいの異形の仏達の仏像や壁画がある限り、ボクはチベットの旅を止めることはないだろう。